その66「野球中継を観た」

 ちゃぶ台には、大皿に乗せられたもやしのあんかけと、茶碗に盛られた白ご飯。それに味噌汁があった。




 深月姉はテレビをつける。ちょうど、いつも見ているクイズ番組がある日だった。




 「うわ、まだ野球やってるよ……」




 「野球の中継が長引いてるんだな」




 試合は8回の裏。巨人と阪神、伝統の一戦。1対1の投手戦で、今は阪神の攻撃だった。 




 「野球ってどうして時間が過ぎたら終わってくれないんだろうね。観たい番組があっても見れないし、昔は録画予約もよく野球中継のせいで失敗してたでしょ?」




 「まぁ、最初の方から試合を観てた人にしてみたら、結果がわからないとなんのために観てたのかわからないからな。映画を観てて、クライマックスのところで止められるようなもんだ」




 「でも、たまに延長してても途中で終わっちゃうときがあるよ?」




 「それはまぁ、放送局側も我慢の限界があるからな」




 いつものテレビ番組がないため、俺たちは食事に集中する。だが、汐里だけはじぃっと野球中継を観ていた。




 「どうした汐里。野球が珍しいのか?」




 「ん、ちがう。おとーさんが、よく見てた」




 「なるほど、父親か……」




 汐里の父親は、占い師でギャンブラーという、かなり怪しい職歴の持ち主だった。俺と深月姉の従姉妹にあたるゆめ姉ちゃんの夫で、二人は借金があったからか、汐里を俺たちに預け、夜逃げをしていたのだった。




 「お父さんは、どこのチームのファンだったんだ?」




 「巨人」




 ちょうど、今中継が行われているチームだった。




 「おうちで、穴のあいたバットを叩いておーえんしてた」




 恐らく、球状でよく売られている、バットの形を模したメガホンのことを言っているのだろう。家でもメガホンを持って応援しているあたり、かなりの野球ファンであることが予想された。




 「野球好きだったんだな、汐里のお父さんは」




 「ん。巨人命、って言ってた」




 「へぇ」




 「ほかのきゅーだんは、みんな腰抜けのヘドロ野郎だって言ってた」




 「なんて言い草だ……」




 かなり偏った見方をするタイプの野球ファンのようだった。




 さらに、汐里の話は続く。




 「とくに阪神は、ほんとうにきらってた」




 「まぁ、ライバル関係だからな」




 「みんな能無しのポンコツ野郎って言ってた」




 「これまたひどい言いようだな」




 子どもの前でここまでのことを言うとは、やはりろくでもない親だった。




 「それじゃ、さぞかし巨人のことは褒めてたんだろうな」




 「うん。でも野球をみてるときは、よくわるぐちも言ってた」




 「なんて言ってたんだ?」




 「死にぞこないの給料泥棒って言ってた」




 「もう全員敵なんだな」




 口の悪さだけは確かなようだった。




 阪神の攻撃も不発に終わり、九回、巨人の最後の攻撃に入った。巨人の投手が最後のバッターをセンターフライに討ち取ったとき、汐里はガッツポーズをとっていた。




 「がんばれ、ジャイアンツ……!!」




 汐里はご飯そっちのけで、試合に集中している。さすがに俺と深月姉も、その頃には野球中継の悪口を言う気はなくなっていた。




 ここで、実況のアナウンサーが他の試合の報道をする。他の試合は大方終わっていて、あとはパ・リーグのホークスライオンズ戦が続いているだけのようだった。




 「そういえば」




 「ん、どうした汐里?」




 「ホークスもすごく嫌ってた」




 「嫌いな球団ばっかだな……」




 野球が好きなのに、ここまで球団へのリスペクトを欠いた人間も珍しい。




 「まぁ、ホークスはよく巨人の日本一を奪ってるからな。で、今度は『何の何野郎』って言ってたんだ?」




 「ゴミだって言ってた」




 「今度は簡潔に罵倒してきたな」




 本当に困った親だった。




 巨人の最後の攻撃は、最初のバッターが三振で討ち取られ、次はボテボテのピッチャーゴロ。そして最後のバッターは、レフトフライであっさりと終わってしまった。




 汐里はそれを観て、怒りの握りこぶしを作っていた。




 「しおだったら、もっといいしごとしてるのに……!!」




 「場末の居酒屋の親父か、お前は」




 汐里はなおも、くやしそうに、歯をかみしめている。俺は、野球から目をそらせようと、晩飯を早く食べるように促した。




 「おとーさんも、おれだったらもっといいしごとしてるのに、って言ってた」




 「ギャンブラーがよく言えたな……」




 自分はまともな職にすらついていないというのに、いい気なものだった。




 「お父さんは野球、うまかったのか?」




 「中高と、きたく部だったらしい」




 「野球未経験かよ」




 虚言癖も、ここまでくるといっそ清々しかった。




 結局、最終回裏で阪神がサヨナラのヒットを打って、2対1で試合は終わった。試合が決まった瞬間、汐里は立ち上がって地団駄を踏んだ。




 「おい、ご飯の途中に立ち上がるなよ」




 「ええい、オレンジジュース!オレンジジュースをもってこい!」




 誰も持ってこようとはしないため、汐里は自分で取りに行こうとする。それを、俺と深月姉は慌てて止める。




 野球中継が終わり、待っていたクイズ番組が始まっても、汐里の不機嫌はしばらく直らなかった。




 汐里には、もう二度と野球中継を見せないでおこう。そう固く誓った俺と深月姉なのであった。


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