その63「汐里に嫌いな食べ物があった」
夕食時。汐里は苦々しげに、じぃっと皿を見つめる。その皿には、ミックスベジタブルのグリーンピースだけが、きれいに残されていた。
「食べるべきか、食べないべきか。それがもんだい……」
「いや、食べろよ汐里」
汐里は箸の先でグリーンピースをつつく。だが、それを口に運ぼうとはしなかった。
「まさかグリーンピースが苦手だったとは……。これまでも、弁当にミックスベジタブルを入れてたことがあっただろう」
「ぜんぶ、おともだちがたべてくれてた」
「なるほど……」
今になるまで嫌いであることを気づかせないとは、汐里もなかなかの策士だった。
「嫌いなものも食べないと、大きくなれないぞ」
「なれる」
汐里は、深月姉を指差す。
「おねーちゃんは、きらいなもの食べてないけど、おおきくなってる」
「た、たしかに……」
できるだけ深月姉が嫌いな食べ物は出さないようにしているが、たまにスーパーで買ってくる弁当なんかに、深月姉の嫌いなトマトやピーマンが入っているときがある。そんなときの深月姉は、嫌いな食べ物だけかたくなに口をつけなかった。家に、ダメ人間の生ける標本みたいな姉がいると、どうも教育がうまくいかない。
「深月姉は大人だからいいんだよ。でも子どものときは大きくなる途中だから、食べないといけないんだ」
「でも、きらいなものたべなくておっきくない大人、見たことがない」
「それは世の明るみに出ていないだけだ」
汐里は不思議そうに首をひねっていたが、俺がスプーンで口元までもっていくと、ぷいと顔をそむけてしまった。
「食べてみたら、意外とそんなに悪くないかもしれないぞ?」
「もうたべた。で、ヘドロみたいな味がした」
「えんどう豆農家が聞いたら泣くぞ……」
「これはもう、緑の悪魔……」
グリーンピースが汐里によって悪魔認定されたところで、今度は深月姉が入った。深月姉は汐里の頭を撫でて、諭すように言った。
「でもね、汐里ちゃん?グリーンピースって、すごく栄養があって、身体にいいんだよ?」
「それじゃ、どんなえーよーがあるの?」
「えっと、それは……」
早くも言葉に詰まる深月姉。俺は充電中のスマホを引っ張り出して、急いで検索する。そしてグリーンピースの栄養価の表を深月姉に見せた。
「なになに……えっと、ビタミンだよ汐里ちゃん!ビタミンCとか、ビタミンB1とB2とB6が豊富らしいよ」
「ビタミンB1とB2とB6は、どうちがうの?」
「えっとそれは……」
深月姉は救援のサインを俺に送ってくる。俺も、慌てて検索をかける。
「……あった。ビタミンB1は疲れの予防、ビタミンB2は口内炎とかダイエットによくて、ビタミンB6は肌にいいらしいよ、深月姉」
「そう、そうなの汐里ちゃん。そういうことなの」
「むむ……しお、こうないえんはこまる……」
やっと汐里を説得できそうなポイントがみつかった。深月姉は、したり顔で汐里との距離をさらに詰める。
「そうだよね?お口の中痛いのは嫌だもんね?そうならないために、ちゃんとグリーンピースも食べようね?」
汐里は悩んでいるようだった。口内炎の痛みとグリーンピースの味。その末、彼女は顔を上げて俺を見た。
「ビタミンB2は、グリーンピースじゃないととれないの?」
「そ、それは……」
幼稚園児だというのに、なかなかに手ごわい。俺はまたスマホを見る。
「……牛乳やチーズ、卵、それに納豆からでも取れるらしい」
「しお、牛乳はまいにちのんでるから、たぶんこうないえんだいじょうぶ」
そう言うと、汐里はまた、グリーンピースを拒否する体勢に戻ってしまった。
俺と深月姉は顔を見合わせる。互いに目配せをするが、やがて深月姉は諦めたように目を閉じ、首を振った。
「……負けた」
結局、残されたグリーンピースは俺と深月姉で分担して食べた。
汐里のグリーンピース克服には、まだまだ時間がかかりそうだった。
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