その60「お花見に行った・上」
幼稚園を通ると、桜が満開だった。この前まではまだ蕾だったが、いつの間にやらすっかり花開いている。
「桜、きれいだな」
「ん、きれい」
隣を歩く汐里も同意する。彼女は俺と手を繋ぎながら、ずっと上を向いて桜を見ながら歩いていた。
「ゆーいち、しお、花見がしたい」
「えっ、お花見か?」
コクリ、と汐里は頷く。
「おべんとうをもって、公園に花見にいく」
公園とは、きっと近くにある朽木公園のことを言っているのだろう。朽木公園は、狭い敷地にすべり台やジャングルジムなど、最低限の遊具だけが置かれた公園だったが、たしかにあそこにも桜の木が植えられていた。だが、あそこで花見をするというのは、大人からしてみると、多少人の目が気になった。
「桜の下でたべるおやつは、またかくべつ」
「なるほど」
「生きててよかったなぁ、っておもえる」
「6歳で生きる喜びを見出したか」
なんともオーバーな話だった。
「わかった。約束はできないけど、色々考えておくよ」
「なにとぞよろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げる汐里。相変わらず彼女のボキャブラリーには驚かされるばかりだった。
家に戻ると、朝のニュース番組を観る深月姉に、早速切り出してみた。
「深月姉、汐里がお花見に行きたいって言ってたんだけど」
「え、お花見?」
彼女は振り返って、こちらを見た。昨日ドライヤーを当てなかったからだろう、横髪が寝癖ではねていた。
「あの、桜の木の下にブルーシートやらを敷いて、お酒やらおつまみやらを飲み食いするやつ?」
「うん、そうだよ」
そう答えると、深月姉はむっとした表情を見せた。
「夕一、いくら汐里ちゃんに言われたからって、私のこと全然考えてないよね。私が壁に囲われていない場所で、まともに飲食ができると思う?」
言われて、はっとする。深月姉は、かなりの対人恐怖症だ。たしかに、通行人が行きかう場で楽しくおにぎりを頬張っている姿を、想像することはできない。
「それに、お花見って、大抵他の団体さんもいたりするでしょ?人ごみの中に自ら足を踏み入れるって、どんな拷問なの?私がなにをしたって言うの?」
「いや、なにをしたっていうわけでもないんだけど……」
むしろニートである深月姉は、なにもしていないと言ったほうが正しい。
「それにね、夕一。お花見に行ったら、みんなお酒を飲むでしょ?お昼からお酒を飲むなんて、私自堕落にも程があると思うの」
「そればっかりは、どんな花見客も深月姉だけには言われたくないだろうけどな」
普段家事の一つもしないくせ、とことん自分のことは棚に上げる深月姉だった。
「でもさ、深月姉。汐里だって楽しみにしてるんだ。それに、もしかすると汐里にとっては、初めての花見なのかもしれない」
「それはわかるけど、人ごみはちょっと……。あ、そうだ。これはどう?パソコンで桜の画像を映して、それを見ながらみんなでご飯を食べるの」
「なんか焼肉の匂いだけでご飯食べるみたいな切なさを感じるぞ」
「でも、本物の桜だって、味はしないでしょ?」
「それはたしかにそうだけど……」
深月姉がノートパソコンを開く。そして本格的に桜の画像を探そうとするのを、俺は慌てて止めた。
「いいかい、深月姉。ネット上で探してきた桜の画像を見たって、それはお花見とは言わないんだ。それはただの『桜の画像の閲覧』だ」
「でも、結果としては変わらないよ。ご飯食べてお腹膨らむだけなんだから」
ああ言えばこう言う。深月姉も、わりと本気で拒んでいるようだった。
汐里には、なんとか花見をさせてやりたかったが、深月姉はかなりの関門だった。人を本気で恐れているし、全力で阻止しようとしてくる。そのくせ、汐里と2人で行くと言ったらふてくされるだけの、「仲間はずれはイヤ」今生も持ち合わせている。
「……わかったよ。それじゃ、人が通っていなければいいんだろう?平日、汐里が幼稚園が終わってから、見に行くことにしよう。ちょうどおやつの時間帯だから、深月姉にとってもいい酒が飲めるさ」
「平日の昼間なら、あんまり人、通ってない?」
「平日の昼間に通行が活発になるようだったら、この国も末だよ」
そういうと、やっと深月姉は緊張を解き、花見を受け入れる姿勢を見せた。俺はやっと胸を撫で下ろす。
そうして、俺たちはノートパソコンで、花見ができる場所を探すのだった。
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