その57「晩ごはんに闇鍋をした・上」
「よし、冷静に考えてみよう」
朝。汐里を幼稚園に送り出し、アパートに戻って時は午前8時。俺と深月姉は、ニューズ番組が流れる中、座して向かい合っていた。
「俺はさっき、『今日の晩御飯はなにがいい?』と聞いたね」
「うん、聞いたね」
「深月姉は、それを受けて、『んー、そうだなぁ』と言いながら悩んだわけだね」
「そうだね」
「その後に、どんなことを言っていたか覚えているかい?」
「んと、『まだちょっと寒いし、あったかいものがいいなぁ』とか、『お腹一杯になれるものがいいなぁ』とか」
「うんうん」
「あとは、『和食がいいなぁ』とも言ってたかも」
「その通りだ」
俺は頷いて見せた。
「でね、深月姉は、しばらく考え込んだわけだ」
「私、ご飯とかもじっくり考えないと決められないタイプだからね」
「そう。だから、たっぷり10分くらい考えてたね」
俺は静かに、深月姉を見据える。
「ここからが重要だ。そして、深月姉は眉間につくっていたしわを解き、そっと口を開いたわけだ。表情は明るげ、なにかいい案でも思いついたようだった。さぁ聞かせてくれ、深月姉はあのときなんて言った?」
「闇鍋」
「なんで闇鍋なんだよっっっっ!!!!」
そのツッコミは、狭い六畳の部屋に高らかに反響した。深月姉は、きょとんとしたまま俺の方を見ていた。
「どうしたの、夕一?」
「なんで出てきた結論が闇鍋なんだよ!なんらイベントのないこのド平日になんで闇鍋なんだよ!」
「えっ、そんなに変かな?」
「それに気づけていない時点でかなり変だよ!」
深月姉はまだおかしいとは思っていないようで、むしろこちらに対して、なにか変なものを見るような目を向けている。俺は責めたてたい欲求を抑えて、ゆっくりと話し始めた。
「いいかい?そもそも闇鍋は料理じゃないんだ」
「どうして?れっきとしたお鍋だと思うけど」
「鍋っていうのは、具材やスープがうまい具合に混ざり合い、調和していくものなんだ。でも闇鍋は全部適当に入れちゃうから、調和がない。あるのは事故だけだ」
「でも、あったかいし、お腹一杯になれそうだし、私の要望を満たしてると思うんだけど」
「和食であるかは疑問だけどな。でもさ、あの3つの要望をふまえて、どうして闇鍋になっちゃったんだろうか」
「私は、夕一が『今日の晩御飯はなにがいい?』って聞いたから、正直に答えただけだよ?」
「でもね、普通こういった質問をした場合、作るサイドとしては、ハンバーグとかオムライスとかを想定するもんなんだ」
「でも、闇鍋だったら、ハンバーグもオムライスも一緒に入れて食べられるよ?」
「鍋にハンバーグとオムライスを入れちゃったら、もはや料理名変わっちゃうよ。それはもはや、『ダシの効いたリゾット』だよ」
「チーズとかも入れたいかも」
「うん、それ『チーズ・リゾット』だね。昆布くさい」
リゾット、という言いかえをしてしまったのが悪かったのだろうか、深月姉はやめようとするどころか、期待で目をさらに輝かせていた。
「いいね闇鍋!ぜひともやろう!」
「だからやらないってば」
「ねぇ、これ一回きりにするから。それに、汐里ちゃんには別のものを、私が作ってあげるから」
俺の腕に抱きつき、頼み込む深月姉。引き剥がそうとするが、離れない。そんな組み合いを数分続けた末、俺は折れてしまった。
「……わかったよ。だけど、家にある食材だけにしてくれよ。わざわざ買うと、本当にとんでもないもの入れそうだから」
冷蔵庫を開ける。だが、最近買い物に行っていないこともあり、調味料を除いては、ほとんど空に近かった。
「あるのは……もやしと青ねぎ、それに卵だけだな」
「戸棚も見てみようよ」
普段、保存食や缶詰なんかをしまっている、戸棚を開けてみる。だがこちらもスカスカだった。
「インスタントラーメンしかないなぁ。この前ツナ缶とか色々買っておいたんだけど」
「えへへ、お腹が空いたときに食べちゃった」
引っ張り出してきた食材を、台所で並べてみる。俺たちは、それらを眺めてみた。
「もやし、青ねぎ、卵、それにインスタントラーメン。これを鍋にすると……」
「ラーメンだね。なんのひねりもない」
俺は青ねぎを切ろうと、まな板を出す。だが、包丁へと伸ばした手を、深月姉は握って止めた。
「どうしたの深月姉」
「これは闇鍋じゃないよ!ただのラーメンだし!」
「もういいじゃないか。ラーメンおいしいし」
「それに闇の要素が全然ないし!わくわく感ないし!」
それは、確かにそうだった。
「夕一、やっぱりスーパーに買いに行こう!」
「えぇ、それは……」
だが、深月姉はもう決めてしまったようで、タンスの前でスウェットを脱ぎ始める。そして2分と経たないうちに、外出の準備を終えてしまった。
「よしできた。行こう、夕一!」
「こんなときばっかり早いなぁ、深月姉は……」
俺は、ため息をついた。
そうして、今夜の闇鍋の食材を買い始めるため、外へ出て行くのだった。
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