その53「プリンセス・汐里と戦った」

 「ゆーいち、戦おう」




 夕食も食べ終えた頃、突然俺は汐里に勝負を挑まれたのだった。




 「ん、オセロでもするのか?」




 「ちがう。肉弾戦」




 「そのまんまの意味かよ」




 なかなかにハードな挑まれ方だった。




 「なんで俺と汐里が戦うんだよ。なにか俺が恨みかわれることでもしたか?」




 「えっと……」




 この返しは予想していなかったのだろう。汐里は辺りをキョロキョロと見回す。




 「なんらかの恨み……」




 「そこのところははっきりさせろよ」




 汐里は大きくファイティングポーズを取る。彼女にとって、これ以上の言葉は不要のようだった。




 「深月姉、汐里が今日妙に好戦的なんだけど」




 「ああ。今、日曜日に戦う女の子のアニメがやってるからだよ、きっと」




 汐里はコクリと頷く。俺は普段休日もバイトに出ていることが多いため、そのアニメのことはほとんど知らなかった。




 「『プリンセスアイドル愛実ちゃん』っていうアニメ」




 そう、汐里は言った。




 「それはプリンセスなのかアイドルなのか、一体どちらなんだ?」




 「ん、どちらかというとアイドル」




 アイドルのようだった。 




 「歌って戦えるアイドル」




 「戦闘スキルをさらっとアイドルの一要素みたいに言わないでくれるかな」




 まだ観てはいないが、色々な要素が詰まりに詰まったアニメのようだった。




 「しお、これからプリンセスアイドルになるから、しおのことは、“プリンセス・汐里”って呼んで」




 「なるほど。可愛らしいな」




 「ゆーいちは、いまから“ダーティーなめくじ”だから」




 「容赦ないなこっちの名前」




 俺の戸惑いには一切構わず、汐里は広告を丸めたステッキを構えて戦闘体勢をとる。俺は仕方なく、両腕を広げ汐里の前に立ちはだかった。




 「………!!おまえはだれだっ……!!」




 「ふはははは、俺はダーティーなめくじだ!プリンセス・汐里、勝負だ!」




 「おお、ゆーいち、才能ある!」




 「てんで褒められた気がしねぇよ」




 褒められた役柄の名前が「ダーティーなめくじ」というのも、困ったものだった。




 「いくぞっ、ダーティーなめくじ。このパンチで沈めっ!」




 汐里は腕を振り上げ、一直線に突進してくる。最初なので、俺はとりあえず横に避けた。




 「ぐぐっ!はやい、ダーティーなめくじ……!」




 悔しそうに横目で俺を見る汐里。




 「くっ、ここは最終奥義をつかうしかないのか……!!」




 「いや、早いよ。出すタイミングが」




 汐里はなにやらゆっくりと両腕を回し、少しかがんで構える。そして、次の瞬間、汐里は跳ね上がった。




 「くらえ、プリンセス・連打……!!」




 汐里らしい抑揚のない発声とともに、ステッキの先端が俺の前に突き出された。




 「……………」




 「……………」




 「……プリンセス・連打……!!」




 「……ああ、これで技モーション終わりなのか」




 俺は叫び声をあげて、胸を押さえ倒れる。そこでやっと、汐里の顔が笑顔になった。




 「勝った………!!」




 誇らしげに汐里はステッキを突き上げる。そして、六畳一間をぐるりと凱旋した。




 「あれ、どう見ても連打じゃないだろ……」




 「アニメでは、一撃に見えて実は何発も、っていう感じの技になってるんだよ」




 深月姉が補足をする。つまり、汐里のなかでは、あの一瞬で何回も俺の身体をステッキで滅多打ちにしていたようだった。




 「ゆーいち、もっかいやろう」




 凱旋から帰ってきた汐里が言った。




 「いいよ。次は負けないからな」




 「次は、ゆーいち“ヘドロうじ虫”だから」




 「だから容赦なさすぎだろ、敵の名前が」




 もはや名前というよりただの悪口だった。




 そうして、“プリンセス・汐里”の激闘は、寝る前の歯磨きをするまで続けられたのだった。

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