その46「灯華がうちにやってきた・中」
午後8時。テレビは音楽番組がついていて、聞きなれない音楽が流れている。
一つの小さなちゃぶ台を、子ども1人と大人3人が、肩がぶつかり合いそうなほど寄り合って囲んでいた。
「あんた、ちょっと頭どけなさいよ。テレビが見えないでしょ」
「うるさいな。一番見えやすいとこを占領しといて文句言うな」
宿を貸し晩飯まで提供しているというのに、図々しさを控えようともしない灯華。ここまでくると、一周回ってむしろ清々しかった。
「……ふぅ。あんた、案外料理の腕はいいのね。週2でうちでシェフとして雇ってあげてもいいわよ」
「家出娘の分際で雇用の話を持ちかけるな」
なによ、せっかく誘ってやってんのに。そうボヤキながら、灯華は満腹そうにお腹をさすった。
「あー、お腹一杯になったら眠くなっちゃった。私の布団はどこ?」
「ないよ」
「はぁ?ここには、ゲスト用の寝具の備えもないわけ?」
「この部屋が、急な来客に対応できるように見えるか?3人で住むのにも狭いくらいなのに」
「……はぁ。仕方ないわねぇ。ブランケットくらいはあるでしょ。それよこしなさいな」
リモコンを取り、次々にチャンネルを送っていく灯華。俺は立ち上がり、タンスから深月姉の冬用の毛布を取り出した。
「風呂はどうする?ちょうど沸く頃だから、先に入っちゃえよ」
「お風呂はいいわ。なんか悪いし。シャワーだけもらうわ」
ここまで図々しくしておいて風呂は遠慮するという、その分別の基準がよくわからなかったが、灯華は割とご機嫌さんで風呂場に向かっていった。
「ゆ、ゆーいちっ!!」
灯華の姿が見えなくなった途端、深月姉は血相を変えて夕一の肩を掴んだ。
「あの怖い人一体だれなのっ!?知り合い!?」
「ああ、深月姉は知らなかったのか。あれは、さきちゃんの親戚の娘だよ」
「さきちゃんの親戚が、なんでカジュアルな調子でうちに泊りに来てるの!?」
「それはこっちが聞きたいよ」
深月姉はがくりとうなだれる。そして、俺の首を震えながら抱きしめてきた。
「うぅ……。私、捕食を待つ小動物のような気分だったよ……」
「いくら鬼みたいな女でも、取って食いやしないよ……」
ついには俺の首元に生ぬるい感触が走る。涙を流しているようだった。極度の人見知りの深月姉にとっては、この状況は拷問に近いことは、確かに考えてみればすぐにわかることだった。
「ねぇ夕一、いっそのこと、今のうちに夜逃げしようよ。近くのホテルに泊ればいいから」
「なんでそうなるんだよ。風呂入ってる途中に家主が逃げ出したら、さすがのあいつでもパニックになるよ」
「なら、いっそのこと万能包丁で一思いに……!!」
「猟奇的な発想に走らないでくれ」
気が動転して、まともな思考を保てていない。どうするべきかは、俺にも判断しがたかった。
そのとき、風呂場の方から大声がした。
「ああっ!!着替えがない!!私のパジャマ!!」
俺は壁の隅に置かれた灯華の持ち物を見た。考えてみれば、手さげのポーチ一つで家出してきた奴というのも、珍しいものだった。
「深月姉のスウェット貸すから、ちょっと待ってろ」
風呂場の方に言って、俺はタンスから深月姉のスウェットを取り出す。そして、深月姉の方に差し出した。
「深月姉、俺じゃ行けないから、風呂場まで行って、これ置いてきてやってくれ」
「夕一、私に虎子もいない虎穴に入りに行けって言うの!?」
「風呂場だ。虎穴じゃない」
「私に火中に身を投じろって言うの!?」
「だから風呂場だって」
結局、この場は汐里に運んでもらうことになり、なんとか事なきを得たのだった。
風呂場から出てきた灯華は、深月姉と同じスウェット姿だった。いつもは左右で小さく髪を縛っているが、それも風呂上りのためなく、深月姉と同じストレートのロングヘアだ。
「……うん。大抵の場合ここは『姉妹みたいだな』と言うのが相場なんだろうけど、不思議なほど似てないな」
「当たり前でしょ。誰がこんな自堕落女と」
「がーーーん!!」
床に手をつく深月姉。できるなら、もう灯華には口を開いてほしくなかった。
「とうかちゃん、おままごと」
「えっ?」
言ったのは、汐里だった。
「おままごとの、やくそくした」
「えっと、もう眠いから、また明日に……」
「やくそく、した」
「…………はい」
汐里ははしゃいで、ミニチュアハウスを広げていく。
「他人の子どもって、怒ることもできないしやっかいね……」
灯華にも、苦手な人間は存在するようだった。
「はい、きょうはとくべつに、しおの直子、貸してあげる」
これは芳美、これはエリック、と、おなじみの人形たちを紹介していく。
「人形のネーミングセンスが、6歳児とは思えない……」
「お前のとこの子も大概だけどな」
そうして、4人でおままごとが始まっていく。
汐里はよほど楽しかったのか、いつもより遅めの、10時頃まで遊んだのだった。
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