その44「心理テストをした」
いつものように、汐里を幼稚園まで送り出す。部屋に帰ってくると、深月姉は既に起きていた。
「おはよう。朝ごはん、なににする?」
「んっと、シュガートースト」
俺は6枚切の食パンを、トースターの中に入れた。
まだ朝のニュース番組がやっている時間帯。いつもの深月姉なら、二度寝に入ってもおかしくなかった。だが今日の彼女は、寝癖でぼさぼさの頭を手櫛ですきながら、片手で一冊の文庫本を開いていた。
「どうしたの、その本」
「前に買ったけど、読んでなかったの思い出したの」
表紙を覗き込むと、『みんなで楽しめる!わくわく心理テスト』とあった。
「深月姉出不精なのに、誰にテストするつもりだったんだよ」
「夕一がいるでしょ」
「19年も一緒にいて、これ以上なにが知りたいって言うんだ」
俺は冷蔵庫から、マーガリンを取り出した。深月姉は、真面目な面持ちでページをめくっていた。
「ねぇ、夕一は今、真っ暗な森の中にいます。野うさぎが出てきそうな程の森ですが、実際には出てきません」
「唐突だな、深月姉」
「そこに、一冊の本が落ちていました。あなたは手にとってみます」
「ふむふむ」
「ここからが質問だよ、夕一。その本に出てくる主人公は、どんな人ですか?」
「なるほど……」
すべてを聞き終え、俺は深々と頷いた。
「野うさぎのくだりいらないだろ、明らかに」
「もう、文句言う前に、答えてよ」
俺は考えてみる。こういった類の選択肢のない心理テストは、感覚で答えられないのが難点だった。
「そうだな……普段は気弱だけど、いざというとき勇敢に立ち回れる主人公だったら、話としては面白くなりそうじゃないか?」
「なるほど。それじゃ、答えを見てみるよ」
深月姉は、次のページをめくった。
「えっと、その主人公像は、あなたが付き合いたいと思っている女性像です、だって。どう?」
「んー……」
思い当たる節がないわけでもないが、特別そうだというわけでもない。微妙な結果だった。
「まぁ、この話をまとめると……」
深月姉はこほんと咳払いをした。
「夕一の理想の女の子は、私だってことだね」
「どうしてそうなる」
どこをどう解釈すればその結論に至ることができるのか。途中式を教えてほしいところだった。
「ほら、私って、普段は気弱だけど、いざというとき勇敢に立ち回れるタイプの女の子でしょ?」
「てんで初耳だよ。なんの心当たりもないよ」
「ほら、普段は人が苦手だって避けてるけど、いざというとき夕一には強く当たれるでしょ?」
「それは内弁慶って言うんだよ、一般的に」
ちょうどそのとき、トースターからチンと音が鳴った。俺はトーストを皿に乗せ、そこにマーガリンを塗った。
「それじゃ、普段はピーマン食べられないけど、いざというときはがんばって食べられるのは?」
「それはむしろ普段食べられないことを恥じようよ。23にもなって。それに、よしんばそれが理想像にあてはまってても、ピーマン食べられるだけで好きにはなれないよ」
「むぅ、夕一ってぜーたくだねぇ」
俺はスティックシュガーの封を切り、マーガリンの上に振りかけて、深月姉に渡した。お腹が空いていたのか、深月姉は本を横に置き、すぐにかぷりとかじりついた。
「それじゃ、小学2年のとき、おっきな犬から夕一を守ってあげたことは?」
「あったっけ、そんなこと?」
「あったよー。夕一そのとき3歳だったから、覚えてないかもしれないけど」
まったく記憶にはなかったが、深月姉の目を見る限り、どうやら本当のことであるらしかった。
「まぁ、それは確かに条件に当てはまってるかも……」
「でしょ!?やっぱり夕一の理想の女の子は私なんだよ!」
シュガートーストをかじりながら、深月姉はうれしそうに目を輝かせた。
「そっかー、夕一はねーちゃんのこと、大好きだったんだなぁ」
ニヤニヤとしながら、オレンジジュースが欲しいと深月姉は頼んでくる。俺は、グラスにパックのジュースを注いだ。
「でも、実家の周りにおっきな犬飼ってる家なんてあったっけ?」
「え、ほら、近所の松枝さんとこの」
俺は近所の松枝さんが飼っていた犬を、頭に思い浮かべた。
「……チワワじゃん」
「と、当時の私たちにとっては大きかったの!」
どこかおかしいと思っていたが、そういうことだったのか。俺はようやく合点した。なにせ、深月姉は物心がつき始めた遥か昔からずっと、どうしようもないヘタレだったのだ。
このテストは終わったからと、慌てて深月姉は次のテストに移ろうとする。俺は昨日の野菜炒めをレンジにかけながら、次の質問に耳を傾ける。
そうして、心理テストは彼女がトーストを食べ終わるまで続けられたのだった。
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