その40「さきちゃんの家に遊びに行った・上」

 幼稚園のお迎え。暖かな陽光が降り注ぐ中、お母さん方がぽつぽつとかたまり談笑している。その中を、俺はまっすぐ汐里の元に向かった。




 汐里は相変わらず、ジャングルジムの近くで仲良しのさきちゃんと遊んでいた。二人でジャングルジムにもたれ、談笑していた。




 「あ、柏木さん。こんにちは」




 声のする方を振り向くと、さきちゃんの母親がいた。この前と同じく、上品な衣服を纏い、とても一児の母とは思えないようなプロポーションをしていた。




 「こんにちは、桜井さん」




 「この前はありがとうございました。咲希がなにかご迷惑をおかけしませんでしたか?」




 俺はさきちゃんが来た日のことを思い出す。さきちゃんの社交性に怯えた深月姉の表情が真っ先にフラッシュバックしてきたが、俺はそれを悟られないように笑顔を作って返した。




 「いいえ。とても礼儀正しくされていましたよ。汐里も楽しそうでした」




 「なら、よいのですけど……」




 社交辞令だと思ったのか、桜井さんの表情は晴れなかった。




 「ゆーいち」




 汐里はトタトタと俺のところまで駆け寄ってきた。




 「しお、きょう、さきちゃんのおうちに行く」




 「えっ、でも、桜井さんの家が迷惑なんじゃ……」




 「よいのですわ、ゆーいちさん」




 母親よりも先に、さきちゃんが口を出してきた。




 「このまえお世話になったお礼をいたしたいのですわ。たいしたおかまいはできないかもしれませんが」




 「あなたが遊んでもらうんでしょ。ほんとにこまっしゃくれてるんだから、この子は……」




 桜井さんは困り顔で頭を抱えていた。そして、少しして朗らかな顔で俺に話しかけた。




 「うちは特に予定もないので、柏木さんのところがよければ是非。咲希も家だと、いつも一人で遊んでいるものですから」




 「それじゃ、ご迷惑おかけしますがお願いして……」




 そう言ったとき、さきちゃんが俺の手を引っ張った。




 「わたしは、ゆーいちさんもきていただきたいのですわ」




 意外な申し出だった。というより、子ども同士の約束に保護者が誘われるのは、不自然とも言える。




 「でも、汐里と遊ぶのに、俺がいても余計なだけじゃないか?」




 「咲希、柏木さんにご迷惑がかかるから」




 母親にたしなめられても、さきちゃんは引かなかった。




 「お母さま。わたしのネルソン・マンデラくんの意志を継げるのは、ゆーいちさんしかいないのですわ」




 ネルソン・マンデラというのは、南アフリカ共和国の元大統領のことではなく、さきちゃんの持つ猫の人形の名前だった。この前さきちゃんが遊びにきたとき、俺はさきちゃんの人形を借りて、おままごとをしたのだった。




 桜井さんは、ため息をついた。さきちゃんの強情さを、一番身を持って知っているからだろう。




 「柏木さんさえよければ、うちはまったく構いませんが」




 さきちゃんに加え、汐里も俺の腕を引っ張ってくる。この様子だと、断ることはできそうになかった。




 「……それじゃ、お言葉に甘えてもよろしいですか?」




 その言葉を聞いた瞬間、汐里とさきちゃんがはしゃいで跳ね上がった。だが俺にはそれを笑って眺める余裕などなかった。




 やるべきことがあった。桜井さんに事情を伝え、急ぎ足でアパートに戻った。




 「あ、おかえり、夕一」




 深月姉はいつもどおり、昼過ぎでもパジャマ姿のままだった。俺は靴を脱ぐことなく、その場で深月姉に言った。




 「深月姉、ちょっと色々あって、さきちゃんの家に遊びに行くことになった」




 「えっ、さきちゃんって、汐里ちゃんの友達の?どうしてまた……」




 「それを説明してる時間は今はないんだ。桜井さんを待たせてる。帰りは遅くなるから、腹が減ったら冷蔵庫のプロセスチーズでも食べてくれ」




 「ちょっと待って。プロセスチーズじゃお腹ふくらまないよ!というより、今日は私と一緒にドラゴンが統べる世界を探検する約束だったでしょ!?」




 バイトが休みの今日、俺は深月姉とアクションRPGを一緒にする約束をしていたのだった。




 「帰ってきたらするから許してくれ」




 「ダメ!だって夜は汐里ちゃんが寝てるから大声出せないんだもん!私は夕一と大声でゲームがしたいの!」




 「カラオケじゃないんだから別に声なんて出さなくていいだろう。六畳一間なんだし、耳元で話せばかすれ声でも伝わるよ」




 「顔を寄せ合ってかすれ声……。それはそれで、いいかも……」




 深月姉の心が、微妙に揺られているようだった。ほわりとした表情で宙を眺めていたが、それもつかの間、慌てて俺を指差してきた。




 「だ、ダメだよっ!昼間に一緒にゲームをできるときなんか、滅多にないんだから!それを幼稚園児のために費やすなんて、ねーちゃん許しません!!」




 「ねーちゃんだったら園児のわがままくらい聞いてやれよ」




 「ねーちゃんだから夕一の時間は私のものなの~~!!」




 さきちゃん以上に子どもっぽい反応をみせる深月姉に、俺はため息をつくしかなかった。だが、桜井さんや汐里たちを待たせている手前、そんなことをしている時間すら惜しい。俺は考えた末、最後の手段にでた。




 「……わかった。それじゃ、来週の月曜日、丸一日バイトを休んで、深月姉のために時間を使おう」




 「………!?そ、それって、一日私と一緒にゲームをしてくれるってこと?」




 「もちろんだ。それに、なんなら深月姉の好きな料理を作ってあげたっていい」




 「……!!な、なら、しるこサンドも?」




 「それは技術的に無理だけど……」




 俺は顔をひきつらせていたが、深月姉の表情は輝くばかりだった。




 「それじゃ、朝は軽くパズルで、その後アクション、昼過ぎはアクションRPGで、夜は戦国シュミレーションね!」




 「わかった。だから、そういうことで俺は……」




 「あ、でも、できれば土日とか、もっと早いほうがいいかも……」




 「わがまま言うな!来週の月曜!それじゃまた後で!」




 「ああっ、夕一っ!」




 その場で儚そうに手を伸ばす深月姉を置いて、俺は家を出る。そのまま、小走りで幼稚園まで戻った。




 「あの、ずいぶん疲れた様子ですけど、大丈夫ですか?」




 桜井さんの気遣いに、俺は作り笑いを浮かべて大丈夫だと言った。




 幼稚園の前には、黒塗りのリムジンが止まっていた。




 「狭い車内ですが、よろしければどうぞ」




 「えんりょはいりませんことよ」




 リムジンが狭ければ、うちの実家のワゴンカーはどうなるというのか。そんなことを思いつつ、俺は汐里とさきちゃんに両手を握られ、リムジンまで歩んでいくのだった。

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