その36「絵本の読み聞かせをした」

 その日の夜。汐里は箸をせかせかと動かし、急いで夕食を食べていた。




 その理由は絵本だった。この前夏夜姉と図書館で選んで借りてきた絵本を夢中になっていたのだった。昨日などは、読書に没頭するあまり、ろくに会話もしていなかった。




 「ゆーいち、お本、読んでほしい」




 俺がキッチンで洗い物をしていると、汐里が絵本を突き出してきた。表紙を見てみると、大きく『桃太郎』とタイトルが打たれていた。




 「ベタな絵本借りてきたもんだなぁ」




 俺が選んだ覚えはないから、夏夜姉のセレクトであることは間違いない。桃太郎はしっかりとストーリーがあるし、ナンセンスな本に懐疑的な夏夜姉が選びそうな本ではあった。




 「いいよ。食器洗い終わったら、そっちに行くから」




 そう言うと、汐里はコクリと頷き、絵本の散らばる部屋の片隅へトタトタと去っていった。 




 「あっ、今度は夕一が読み聞かせ役になるんだ!」




 寝そべっていた深月姉は、疲れた顔をほころばせた。




 「ということは、深月姉も汐里に絵本読んでたの?」




 「そうだよ~。帰ってきてからずっとだよ~。普段声帯をあんまり使わないから、のどが痛くって仕方ないよう」




 しきりにのどをさする深月姉。そればっかりは、普段の行いが悪いとしか言いようがなかった。




 俺が汐里のいる横に座ると、汐里はあぐらをかく俺のひざの上に座り、本を差し出した。俺は汐里に腕を回す形で、本を広げた。




 「あ、それ私4回読んだよ。犬に噛まれてる青鬼の鼻に大きなほくろがあるから注目だよ」




 あまり特にならない情報を教えてくれる深月姉。汐里は俺のひざを叩き、早く読むよう急かした。




 「桃太郎」




 「タイトルとかはとばして」




 作者名も言わせないあたり、すごい急かしようだった。




 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」




 「あるところってどこ?」




 「んー、岡山県だ多分」




 「なるほど」




 どうやら汐里は、対話しながら進めていくタイプのようだった。




 「続けるぞ。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」




 文章が終わると、汐里は両手で絵本のページをめくった。




 「おばあさんが洗濯をしていると、川からドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました」




 「昔は大きなももが、よくながれてきたの?」




 「いや、あんまりないんじゃないかな。そんな自然現象聞いたことないし」




 汐里は考え込むようにうつむいた。




 「しじょうかちは、いくらくらいだろうか」




 「……どうだろうな」




 すぐに金の話に入る汐里だった。




 「おばあさんは桃を拾って、家に持ち帰りました」




 「家に持ちかえったら、どろぼうじゃないの?おばあさんタイホされないの?」




 いちいち鋭いところを突いてくる。俺は少しの間考えた。




 「おばあさんは警察と太いパイプがあるから、逮捕されないんだ。年始めにはお歳暮も送ってる」




 「なるほど……」




 「夕一、その答えはどうなんだろう……」




 深月姉が横で軽く引いていたが、構わず俺は続けた。




 「その大きな桃をおじいさんが斧で割ると、中から元気な男の子が出てきました」




 桃から出てきた桃太郎がアップになり、端でおじいさんとおばあさんが驚く様が描かれている。だがここでも、汐里は小難しそうな顔をしていた。




 「どうしたんだ、汐里?」




 「斧でまんなかを割ったのに、どうして桃太郎は無事なの?」




 「……たしかに」




 絵本の桃は、見事に真ん中から2つに割れている。だが、桃太郎はまるで無傷だった。




 汐里は解答を求めるように、俺を見ていいる。これには、俺も頭を抱えた。




 「……実は桃太郎はステンレス製だったんだ。ティファールの仲間だな」




 「なるほど……!!」




 合点がいったようで、汐里はポンと手を叩いた。俺は胸をなでおろす。




 「夕一……」




 対して、深月姉は明らかに残念そうな顔をしていた。




 「その男の子におじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。桃太郎は元気にすくすくと育ちました」




 汐里はまたページをめくる。なんだか、ページをめくられるのが少し怖くなっている自分がいた。




 「ある日桃太郎は、村人たちを苦しめる鬼たちをみかねて、鬼退治に出ると言い出しました」




 「……………」




 また、汐里は黙ってうつむいた。考えている。




 「どうして鬼たちは、村人をくるしめるの?」




 「さぁ、どうしてだろうな」




 「どうしていきものは、おたがいにくるしめあうの?」




 「……………」




 質問の内容が壮大すぎて、俺の答えられる範疇を超えてしまっていた。




 「……続けるぞ。おばあさんは桃太郎にきびだんごを……………なぁ、別の本にしようか」




 「どうして?これからがおもしろいのに」




 汐里は不満そうだったが、このまま進んでいけば、また質問攻めに会うことは目に見えていた。




 「もっと平和的で矛盾点のない絵本を……」




 「でもゆーいち、どうして桃太郎は犬をなかまにするの?他の人はみんな犬以下なの?」




 もう読んでいないというのに、汐里は質問を浴びせてくる。




 「……桃太郎は根っからのインドア派でぼっちだったんだ。人見知りで人間とはチャットでしか話せないから、一緒に鬼退治なんてもってのほかだ」




 「ふぅん。おねーちゃんみたいなもの?」




 「ぐはぁっ!!」




 深月姉が倒れこむ。桃太郎のせいで、まるで無意味な犠牲が生まれてしまった。




 「と、とにかく、なにか別の本を……」




 俺は床に散らばる本を拾い上げた。




 『赤ずきん』、『三匹の子豚』、『おおかみと七匹のこやぎ』。このタイトルを見た瞬間、俺ははっとした。




 「ぜんぶ狼が捕食しようとする話じゃないか……」




 こんな話を読んだが最後、汐里は食物連鎖についての質問を連発することになるだろう。夏夜姉も変なラインナップを揃えてきたものだった。




 「次は赤ずきんちゃんがいい」




 「……よし、わかった。でもそのかわり、食物連鎖に関する質問はやめような」




 「……?しょくもつれんさって、なに?」




 俺の背筋に、鋭く電流が流れた。やってしまった。




 汐里はぽかんとした顔で、俺の次の言葉を待つ。深月姉に助け舟を求めようとしたが、さっきのダメージが大きすぎたのか、いまだに起き上がれずにいた。




 「ねぇ、ゆーいち?」




 「んんん、なんと答えたものか……」




 背中に汗が流れる。まだ6歳の汐里に、残酷な自然の摂理について説明をするのか。まさか、絵本を読むだけでこんな思いをするとは、思いもしなかった。




 そうして、大人二人が絵本に苦しめられる中、夜はふけていったのだった。

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