その28「春乃がうちにやってきた」

 夕方。バイトも終わり汐里と二人で夕飯の材料を買いに行った。この時間は、ちょうど商店街のスーパーが値引きを始める頃だ。今日はエビチリだった。




 「あ、こんにちは」




 その道中、春乃と出くわした。前と変わらず子犬のコロンを連れていたが、スポーツウェアではなくブレザー姿だった。




 「お二人でおさんぽですか?」




 「ううん、ちょっと晩御飯の材料を買いにね」




 汐里は、義男、義男と呼びながら、子犬と戯れていた。




 「はるのちゃん、あした、しおのおうちにきて?」




 「えっ、汐里ちゃんのおうちに?」




 春乃がこちらに目配せをしてくる。本当に来ていいものか、戸惑っているのだろう。




 深月姉のことを考えれば、あまりよくはなかったが、ここで難色を示すのも気が引けた。




 「いいよ。俺も明日の午後はなにもないから」




 「おにんぎょさん、もってきて?」




 「うん。昔遊んでたおもちゃ箱を探してみるね」




 俺たちはそこで別れ、商店街のスーパーで食料を買って帰った。




 「ゆーいち、おねーちゃんはおっけーしてくれるだろうか」




 「どうだろうな……。なにせ、高校生だからな……」




 汐里の友達の幼稚園児相手ですらまともに話せないほど人見知りの深月姉だ。来るのを許す許さない以前に、高校生と一つの部屋に長時間滞在することなど、彼女にできるのかどうかも疑問だった。




 アパートに帰って、俺は夕食の準備をする。そして3人でちゃぶ台を囲み食べ始めたとき、思い切って切り出してみた。




 「深月姉」




 「もぐもぐ……ん、どうしたの?」




 「女子高生は好き?」




 その場に沈黙が流れる。深月姉はポカンとしていた。




 「どうしたの、いきなり。ねーちゃん女の子だから、女子高生でもなんでも、好きにはなれないよ?」




 「えっと、そういう意味じゃなくて」




 「それじゃまさか、夕一女子高生を好きになったの!?」




 「そういう意味でもなくて」




 「夕一に彼女なんて、私認めないよ!!」




 「だから違うってば」




 深月姉は箸を置き、俺の肩をがっと掴んだ。




 「夕一が彼女なんて作ったら、この家の敷居はまたがせないんだから!」




 「この家の家賃払ってるの俺だけどな」




 「契約の名義は私だもん!」




 この部屋は、深月姉が働き始めるときに借りることになった部屋なのだった。だから確かに深月姉が借りているといえなくはないが、今はそんなことはどうでもよかった。




 「深月姉、そうじゃないんだ。勘違いなんだ」




 「勘違いで好きになったの!?夕一たぶらかされたんだね!」




 「だから違うってば」




 汐里は狂乱する深月姉の肩をぽんぽんと叩いた。




 「はるのちゃん、しおのおともだちなの」




 「えっ、女子高生が汐里ちゃんのお友達なの?」




 コクリ、と彼女は頷く。




 「それで、明日遊びにくるの」




 「女子高生が、うちに…………?」




 深月姉の身体が、硬直する。そのまま震えだすかと俺は思った。だが、実際は違っていた。




 「………がはっ」




 深月姉は失神し、そのまま後ろへ倒れこんだ。口からは泡を吹いていた。




 俺は白目を剥いた深月姉のまぶたを、そっとおろしてやることしかできなかった。




 そして次の日、午後3時過ぎに春乃ちゃんはやってきた。




 「お邪魔します」




 その手には、お菓子の箱が入ったコンビニ袋と、可愛らしいトートバッグが下がっていた。今日はコロンは連れてこなかったようだ。




 「いらっしゃい」




 汐里が一人玄関で出迎える。俺はテレビの裏で震える深月姉の背中をさすっていた。




 「あの、夕一さん、どうしてそんな奥にいらっしゃるのですか?」




 「えっと、それは……」




 そのとき、深月姉がすいと立ち上がり、春乃に歩み寄った。




 「夕一の姉の深月です。どうぞよろしくね」




 「あ、萩野春乃です。こちらこそよろしくお願いします」




 春乃は深々とおじぎする。その拍子に、また眼鏡が床に落ちた。




 なにかがおかしかった。普段でさえしまりのないしゃべり方をする深月姉が、はきはきと話している。




 「人見知りしていない……」




 これは奇跡かなにかなのか。だが、その答えはすぐにわかった。




 「同じにおいがする……」




 「……えっ?」




 びし、と深月姉は春乃を指差した。




 「さては春乃ちゃん、昔ぼっちだったな!」




 「ええっ!?」




 驚きのあまりのけぞる春乃。かけなおした眼鏡がさっそくずれる。




 「ど、どうしてそれを……」




 「ふふふ、春乃ちゃん、言わずともわかるよ。我々は同類なのだから!」




 得意げに話す深月姉。だが、あまり自慢になる話でもなかった。




 「同類って、それじゃ、深月さんも……」




 「そう……。中学と大学のときにね」




 「わ、私も中学です!2年と3年のとき!」




 「私は1年と3年だった!」




 深月姉と春乃は、互いに手を取り合う。その姿だけを見ると、まるで生き別れた姉妹の再会のようであった。




 「深月さん、実は私、高校デビューをしたはいいものの、この2年ちょっと、明るい自分を演出するのに疲れちゃっていて……」




 「わかるよ。高校デビューは偽りの仮面だからね……」




 深月姉は俺に、お茶とお菓子を入れて欲しいと頼んだ。俺は言われたとおり持っていったが、ちゃぶ台にそれらを置いても、二人はまったく気づいていなかった。




 「でも、大学で気を抜いちゃだめだよ。あそこはぼっち生産工場みたいなところだから」




 「えっ、受験をがんばれば、みんな幸せな夢のキャンパスライフが送れるんじゃないんですか!?」




 「甘いよ春乃ちゃん!それは教師と塾講師が作り出した幻想だから!」




 そこからは、深月姉の暗い大学生活の話に入っていった。俺などは数分で滅入ってしまうような内容だったが、春乃は熱心に頷き、時折共感の声など出しながら聞き入っていた。




 「でもまさか、深月姉がまともに話せる人間がいたとはな……」




 「私、面接官が元ぼっちだったら、最大のパフォーマンスを発揮できるかも」




 「たとえ採用されても、お客も元ぼっちじゃなきゃすぐボロ出るけどな」




 二人はしるこサンドとジュースを飲みながら、ぼっち談義に花を咲かせていた。




 「はるのちゃん、しおのおともだちなのに……」




 「まぁ、なんか楽しそうだし、今はそっとしてあげよう」




 深月姉が俺や汐里以外の人間と、これほど楽しそうに話すところなどほとんど見たことがなかった。汐里には悪かったが、深月姉と春乃は2人にして、俺と汐里は部屋の隅でお絵かきをした。




 「私、ほんとコロンの散歩と一人カラオケでしかストレス発散できなくて……」




 「ねぇ春乃ちゃん、今度一緒に一人カラオケに行こうよ!」




 「いいですね、それ!」




 「いや、そこは二人で歌えよ」




 深月姉たちの思考は、俺にはよくわからないのだった。


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