その26「さきちゃんが遊びにきた・下」
部屋に着くと、汐里とさきちゃんは子どもらしくはしゃぎだした。そして、さきちゃんは笑顔で俺にこう言った。
「とても小さくてかわいらしいおへやですね!」
「………ははっ」
それに対して俺は、苦笑いをもってして他に対応することができなかった。
みんなで並んで手洗いとうがいをする。それが終わると、汐里たちは駆け足でミニチュアハウスの元へ向かっていった。
「さきちゃん、おにんぎょさんは、もってきた?」
「もちろんですわ」
さきちゃんは幼稚園バッグをまさぐる。取り出されたのは、男女二体のリスの人形だった。
「ガンジーくんとマザー・テレサちゃんですわ」
リスの人形につけるにはあまりに偉大すぎる名前だった。
俺はオレンジジュースの入ったグラスとクッキーの皿を盆に載せ、ちゃぶ台まで運ぶ。さきちゃんは、これまた丁寧に感謝の意を述べた。
「そうだ、ゆーいちさんとおねえさまもいっしょにやってくださいませ」
「えっ、俺たちも?」
そうです、と言ってさきちゃんは手を叩く。深月姉は、帰ってからというものずっとテレビ台の裏に隠れていた。
「わかった。それなら芳美とエリックを持ってくるよ」
「ちょっと待ってくださいまし」
さきちゃんはまた幼稚園バッグから人形を取り出す。今度は猫の男女だった。
「わたしのネルソン・マンデラくんとナイチンゲールちゃんをお貸ししますわ」
「どれだけ知識量があるんだこの子は……」
少なくとも、ネルソン・マンデラを「くん」付けで呼んだ幼稚園児は彼女が初めてだろう。
「4人いるから、家族ごっこにしよう」
「よいですわ」
汐里がトタトタと深月姉の元まで駆け寄り、テレビ台の裏から引きずり出してくる。深月姉はまだかすかに震えていたが、汐里がその背を撫でていた。
「それでは、わたしとゆーいちさんがおとうさんとおかあさんをしましょう。しおりさんとおねえさまは子どもということでいかが?」
「ん、わかった。わたし、おねえさんがいい」
深月姉が妹ということのようだった。
「俺が猫でさきちゃんがリスだけど、夫婦で大丈夫か?」
「いい。これ、ざっしゅ」
「雑種?」
コクリ、と汐里は頷く。
「このねこは、ねこだけどリスとねこのハーフ。このリスも、ねことリスのハーフ」
「なんだかややこしいな……」
「ちがいますわしおりさん。愛は種族をこえるのですわ」
「こっちは哲学的だな……」
どちらにせよ面倒な話であることにかわりはなかった。俺はそれ以上なにも言わないことにした。
人形たちが、ミニチュアハウスの中に入り、各々の席につく。俺のネルソン・マンデラとさきちゃんのマザー・テレサが向かい合う形で、人形ごっこはスタートした。
「ねぇ、ネルソン・マンデラ」
「……なんだ、マザー・テレサ」
「わたしたち、もう終わりにしましょう」
「ちょっと待てっ!!」
俺はあわてておままごとを止める。
「しょっぱなから家庭崩壊してる家族ごっこってあるか!?」
「家族は、たとえはなればなれになっても家族ですわ」
「だから哲学的なんだよっ!!思想がっ!!」
よくわからない、といった様子で二人は首をひねる。その反応をしたいのはこちらの方だった。
「それで、おっけーしてくれないかしら、ネルソン・マンデラ?」
「イヤだ。イヤだよマザー・テレサ。君なしでの生活なんて考えられないんだ」
さきちゃんのマザー・テレサがそっぽを向く。
「あなたのそういうみれんたらしいところが、わたしはイヤになったのよ」
「し、辛らつだなぁ……」
まさかこんな展開になろうとは、思いもしなかった。
「おかあさんっ!」
そのとき、汐里扮する長女、直子が介入してきた。
「おとうさんとおかあさん、離婚するの?」
「そうよ、直子。これからはわたし、もういちどひとりのおんなとして、羽ばたいていきたいの」
直子は身体をぶんぶん横に振り、否定の動作をする。
「イヤだよ、おかあさん!」
「直子……」
「わたしの親権はおかあさんじゃなきゃイヤだよ、おかあさん!」
「嫌われてるなぁ、ネルソン・マンデラ」
始まってからというもの、お父さんはいいとこなしだった。
「お、おかあさん……」
そこに、控えめに深月姉演じる次女、ナイチンゲールが登場する。
「あら、ナイチンゲール」
「おかあさん、別れちゃうの?」
「ええ。でも働いてないあなたには関係ない話よ」
「がーーーん!!」
深月姉はここでもニート設定のようだった。深月姉のナイチンゲールは、もう部屋に戻るしかなかった。
「さぁ、どうなのネルソン・マンデラ。別れてくれるの?」
「……わかった。別れよう」
さきちゃんは満足げに、うんうんと頷く。
「……ありがとう、ネルソン・マンデラ。むすめたちには、できるだけ会えるように時間をつくるわ」
話が大分具体的でリアルだった。汐里の直子は何故か跳ね上がっている。
「さぁ、行きましょう直子。これからが第二のじんせいよ」
「うん、おかあさん」
二人はミニチュアハウスの外へと出て行く。
「あの、私は……」
深月姉のナイチンゲールは、結局取り残されてしまうのだった。
それからは、汐里とさきちゃんの二人で仲睦まじく、バツイチ母と小さな娘の第二の人生を演じていた。
そうしている間に日が暮れ始め、やがてさきちゃんのお母さんが迎えにきた。
「あの、咲希はご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いえ、全然」
部屋で死体のように横たわる深月姉を隠すように立って、俺は言った。
さきちゃんは、丁寧に頭を下げる。
「しおりさん、ゆーいちさん、また遊びましょうね」
「うん。またきてね」
そうして桜井親子は帰っていった。桜井さんの車は黒塗りの左ハンドル、しかも運転手付きだった。
「エリート教育って怖いな……」
俺は部屋に戻る。そこには、息絶え絶えの深月姉が這っていた。
「夕一、私っていったい……」
「……ビール、持ってこようか」
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