その25「さきちゃんが遊びにきた・上」
「あした、さきちゃんをおうちに呼んでもいい?」
夕食時、ちゃぶ台を囲むようにしてみんなで酢豚を食べているなか、汐里は切り出した。
「さきちゃん?幼稚園のお友達か?」
コクリ、と汐里は頷く。
「ふたりでお人形さんであそぶの」
「む、むりむりむりっ!知らない人が家に来るなんて、考えただけで恐ろしいよ!」
「深月姉、来るのは幼稚園児だからさ……」
「関係ないの!人間は年齢問わず皆魔物だよっ!!」
お箸も床に落とし、ガクガクと震える深月姉。そんな様子を見せられては、安易に快諾するのは気が引けた。
「それじゃ、汐里たちが遊ぶ間外に出てたらどうだ?俺家にいるから」
「私にこの殺伐とした社会を一人で出歩けって言うの!?」
三角座りになり、また震えだす深月姉。こんなので数ヶ月とはいえ企業勤めができていたことを考えると、もはや奇跡に近かった。
汐里は震える深月姉の背中をよしよしとさする。
「さきちゃん、とってもいい子」
「急に噛み付いてきたりしない?」
「かみつかない。たたいたりはするかもしれないけど」
「暴力イヤ~~!!」
ガクガクブルブルと、着信中の携帯のように深月姉は震る。汐里はただただいつくしむように背中をさすっていた。優しい子だった。
「深月姉、なにごともチャレンジだよ。人見知りもきっと克服できるから」
「ちゃれんじ……?」
震えが止まり、深月姉は俺を見た。
「人見知りも、がんばればなんとかなる?」
「ああ。きっとな」
深月姉の表情が、わずかに柔らかくなった。そして目を閉じ、頭をおさえた。
「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ………」
「あのさ、別になにかの使徒と戦えって言ってるんじゃないんだからさ……」
なんともオーバーな深月姉だった。
そして次の日、幼稚園のお迎えを深月姉と俺二人で行った。深月姉は面倒だからと嫌がったが、無理に誘ってきた。できる限り外へ出したほうが、深月姉が社会復帰するうえでもよかった。
幼稚園のすべり台の近くで、汐里は園児と話し込んでいた。恐らく話し相手がさきちゃんだろう。
「あ、もしかして、松笠さんですか?」
声をかけられる。二十代後半の、かなりきれいな女性だった。子どものお迎えに来たお母さんたちの中でも、一人服装もぴしりとしていて、どこか抜け目のない印象すら持たせた。
「汐里の保護者です。それじゃ、あなたがさきちゃんのお母さん?」
「はい。咲希の母の桜井です。どうぞよろしくお願いします」
桜井さんは柔和な表情を見せる。俺はできる限り愛想よく微笑み、お辞儀をした。
「今日はご夫婦でいらしたんですね。仲睦まじくされていて羨ましいですわ」
桜井さんの視線が深月姉に移ると、深月姉は反射的に俺の背中に隠れた。俺はそれを取り繕うように、笑みで返した。
「実は、僕たちは夫婦じゃなくて姉弟なんです。今、一時的に汐里を2人で預かっていて。だから、苗字も柏木といいます」
「あら、そうだったんですね。それは失礼しました」
桜井さんは丁寧に頭を下げた。俺も慌てて頭を下げ返した。
それからは、迎えに来るために、うちの住所を桜井さんに教え、念のために連絡先も渡した。彼女は娘に、迷惑をかけないようにとだけ言うと、挨拶をして幼稚園を去っていった。その後姿さえも、洗練されている印象を受けた。
俺たちはさきちゃんの方を見る。目元が母親に似てぱっちりとしている。そしてなんのコンディショナーを使っているのか、ストレートパーマでも当てたかのようにしなやかな髪をしていた。
「可愛らしい女の子だな」
深月姉に言ったつもりだったが、さきちゃんはそれに反応して顔を赤らめる。
「あらやだ。そんなことないですってばゆーいちさん。おせじがうまいこと」
これが、さきちゃんの口から発せられた第一声だった。思わず俺と深月姉は顔を見合わせる。
「なんだろう、類は友を呼ぶというか……」
「ませてるって言葉じゃ足りないくらいませてるね」
汐里は不思議そうに俺たちを見ていたが、やがて早く家に帰るように言った。いつまでもいても仕方がないので、俺たちはアパートを目指して歩き始めた。
「ねぇ、さきちゃんは好きな食べ物とかあるの?」
道中、俺はさきちゃんに質問を浴びせてみた。
「そうですわねぇ、たくさんありますけれど、ハンバーグが好きですわ」
言葉遣いはませているものの、やはり嗜好は他の子どもと同じようだった。
「そうなんだ。おいしいよね、ハンバーグ」
「はい。やはりきざんだ大葉とおろしポン酢はぜっぴんですわ」
「和風ハンバーグかよ」
ポン酢ベースのソースが好きな園児など聞いたことがない。やはり嗜好までませていた。
「そういえば、ゆーいちさんは、しおりさんの人形のおうちを作ってあげたのですよね」
「ああ、そうだよ」
そう言うと、さきちゃんは目を輝かせてぱちんと両手を合わせた。
「すごいですわ、おうちをつくるなんて!うちのおとうさまにも教えてやっていただきたいですわ」
「……はは、どうも」
世辞まで言えるのか、この園児は。この瞬間、桜井家の教育が怖くなった。
さきちゃんにこれだけ社交性が備わっていることもあるからだろう。深月姉は汐里のとき以上にさきちゃんを警戒していた。さきちゃんは、覗きこむようにして俺を盾にして隠れる深月姉を見た。
「あの、あちらにいらっしゃるのはおねえさんですわよね?どうしてかくれているのかしら?」
どう答えたものか、俺は迷った。人見知りと言ったところで、さすがのさきちゃんでも理解はできないだろう。
「それは、初めてさきちゃんに会うから、ちょっと恥ずかしがってるんだよ」
「あら、そうでしたの」
さきちゃんは口に手をおさえて、上品に微笑んだ。
「ふふ、よいですわ。苦手はみんなにありますもの。わたしも、ついこのまえまでにんじんが食べられなかったものですから」
「あ、あはは……」
園児にフォローをされている。深月姉も落ちたものだった。
汐里が、俺のカーディガンの袖を引っ張った。
「ゆーいち、もうすこし急ごう。はやく帰って、さきちゃんとおままごとする」
「おままごと……」
この二人が人形さん遊びをするとどうなるのか。興味があるのと同時に、どこか恐ろしいような気もした。
「あの、夕一……」
「ん、どうしたんだ、深月姉?」
「私って、なんなんだろう……」
盛り上がる汐里たちをよそに、深月姉は完全に意気消沈していた。先ほどのやりとりを考えれば、無理もない話だった。
そんな傷心中の深月姉に肩を貸しながら、俺たちはアパートへと向かうのだった。
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