その22「汐里と魔物退治に出た」

 「朽木の森のむこうには、まものが住んでいる」




 汐里は、少しばかりおどろおどろしく声に凄みをきかせて言った。




 「汐里、それどこで聞いたんだ?」




 「ようちえんのお友達に」




 汐里はさっきまで深月姉と一緒にお風呂に入っていて、その頬は火照っていた。今も深月姉にバスタオルでくしゃくしゃと髪を拭いてもらっている。




 「まものってどんなのなんだ?」




 「すっごくこわい。夜になると、血にうえて吠えまくる」




 「なるほど」




 「朽木の森は、魔の森……」




 どうやら森自体も魔認定されてしまったようだった。 




 だが、汐里の話す朽木の森とは、幼稚園からほど近い朽木公園に隣接する森林地のことだった。森と呼ぶほど広くもなく、おそらく100坪もないはずだ。そんな場所に、ねずみや虫ならいざしらず、魔物が住み着いているとは考えにくかった。




 「汐里ちゃんは、その魔物が恐いの?」




 深月姉の質問に、ふるふると汐里は首を振る。




 「こわくはないけど、あぶない。できれば、しおが退治したい」




 「おお、すごいな」




 「そのあとじっくり炙って、塩とこしょうでいただきたい」




 「かなりワイルドだな……」




 魔物も汐里のなかでは食料にカテゴライズされているようだった。




 「ゆーいち、明日まものをやっつけに行こう」




 「えっ、明日か?」




 明日は休日だったが、俺はいつもと変わらず夕方までバイトがあった。




 「明日はバイトだから、行くのは夜になっちゃうぞ」




 「いい。まものは夜しかでない」




 むしろ好都合なようだった。




 どうするか、俺は考える。深月姉にも目配せをするが、その表情は朗らかだった。行ってくれば?とでも言っているようだった。




 「わかったよ。それじゃ、明日、晩飯食ったらちょっと行ってくるか」




 「うん」




 汐里は満足そうに頷いた。




 「ねんのために、虫とりあみももっていこう」




 「えっ、魔物そんなサイズ感なのか?」




 思ったよりコンパクトな魔物のようだった。




 そして次の日、俺はコンビニのバイトが終わると、廃棄の弁当を抱えてアパートに帰った。いつもは自炊をするが、今日は汐里も早めに魔物退治に出たいだろうから、時間短縮のためだった。




 帰ってくると、俺の袋を見て、深月姉は文句を言った。深月姉は家で作られたあったかい家庭料理が好きなのだ。




 皆夕食を終えると、汐里は早速リュックサックを抱えた。




 「それ、なにが入ってるんだ?」




 「んと……武器がいっぱい」




 ファスナーを開けて、汐里はいくつか取り出して見せてくれた。




 折り紙の手裏剣や、チラシで作った刀。そのほか丸めた紙にミシン糸がついた爆弾や、トイレットペーパーの芯を合わせた双眼鏡があった。




 「すごいな」




 「うん。すっごくさいきょー。国家レベル」




 国家もナメられたものだった。




 俺たちが玄関に立つと、深月姉はにこやかに手を振った。




 「えっ、深月姉は行かないの?」




 「うん。ちょっとゲームがいいところだから」




 この前夏夜姉との約束で買ってもらったゲームに、深月姉ははまったようだった。操作が難しめのアクションゲームだったから、なおのことアクションが得意な深月姉を燃えさせたのだろう。




 俺と汐里は深月姉に見送られ、アパートを出た。




 夜の町を、二人で歩く。近所は住宅街だったから、街灯と民家の窓の他にはほとんど明かりはなかった。一度幼稚園まで行き、そこから朽木公園まで歩いた。




 「着いたぞ……」




 朽木の森は真っ暗だった。公園の方ですら、街灯がぽつぽつとあるだけなのだ。俺はあらかじめ持ってきていた懐中電灯のスイッチを入れた。




 「それ、しおに。しおに持たせてほしい」




 「わかったよ」




 俺は懐中電灯を汐里に渡す。


 


 「行こう」




 汐里が先頭となり、森に入っていった。とはいえ、庭付きの家一件程の広さしかないスペースだ。少し歩けば、すぐにフェンスに当たり、その先に道路が見えた。




 「ここではないか……」




 汐里は引き返し、微妙に角度を変えて再び森の深くに入っていく。どうやらこれがしばらく続くようだった。




 そのとき、なにかの鳴き声がした。虫ではなく、動物のものらしき声だった。俺たちは、耳をすませる。




 「まものだ……!!」




 汐里は声がする方を探っていく。すると、あるとき茶色の物体が木と木の間を横切った。瞬間、俺は寒気を覚えた。




 「あ、あれだ!!」




 汐里が追いかけようするのを、俺は腕を掴んで止める。これ以上は危険だった。




 懐中電灯を取り上げ、俺が先頭に立って入ってきた方へ引き返す。そのとき、目の前を、再びなにかが横切った。




 「………!!」




 俺たちはおそるおそる歩く。右へ左へ、懐中電灯の明かりをやって確認をする。後ろで、なにか物音がした。振り返ろうとしたとき、俺の足下で、なにか不気味な感触がした。




 「ひ、ひぃっ!!」




 俺はのけぞって、尻餅をつく。汐里はリュックからチラシの刀を取り出したいた。だが、その刀は敵に構えたところで、すぐにおろされた。




 「………犬?」




 俺の足下にいたのは、まだ小さな茶色の子犬だった。ぱっと見た限り、ミニチュアダックスフントのようだった。




 「かわいい……」




 汐里は犬の頭をたどたどしく撫でる。人なつっこい犬のようで、すぐに俺から汐里の方にすりよっていった。




 「よしよし、義男」




 「また昭和テイストな名前だな……」




 汐里のネーミングセンスは相変わらずだった。




 「こいつ、首輪が付いてるな。子犬だし、きっと飼い主が探してるだろう」




 「ゆーいち、義男をうちにもって帰ろう」




 「ダメだって。飼い主が探してるんだから」




 「でも、義男すごくおなかへってる」




 俺は子犬を見る。腹が減っているかどうかはわからなかったが、幼稚園で噂になるほどの間迷子になっているのだから、おそらくは飢えているだろう。このまま放っておいて、すぐに飼い主に見つけられるという保証もなかった。




 「……仕方ないな。飼い主が見つかるまでだぞ」




 「やったー」




 俺は子犬を抱き上げる。馴れているのだろう、大きく暴れることもなく、子犬は抱えられていた。




 「義男、きょうはしおといっしょに寝ようね」




 そんなことを言って、汐里は子犬にちょんちょんと触れている。




 そんななか、俺の頭の中を埋め尽くしていたのは、ペット禁止のあのアパートで、どうすればバレないで済むかということだけだった。

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