その21「カラオケに行ってきた」
「あ~、暇だよ~」
深月姉は両手を挙げてそう叫んだ。それから一つあくびをする。そのまま昼寝に入ってしまうかと思ったが、今日はそうはいかなかった。
今日は俺もバイトがなく、一日休みの日だった。水曜日の昼間。汐里は、平日のため幼稚園に行っている。
「夕一~、なにか面白いことないのー?」
「外に出ればいいじゃん。家にいたっていつもと同じことしかできないよ」
「えー、でも私日光に照らされたら多分溶けちゃうし……」
「どんな呪いだよ」
深月姉はその長い髪をくるくると指に巻きつけて遊んでいる。本当に暇なようだった。
「あ、そうだ深月姉、働いてみるっていうのはどうだろう」
「やなこった」
ぷい、と深月姉はそっぽを向いてしまう。相変わらずだった。
「それだったら、近所のTSUTAYAで、なにか映画でも借りてくれば?」
「今は映画な気分じゃないよ」
「ゲームで天下統一は?」
「上杉家が強すぎて諦めた」
「働くのは?」
「身体が拒否反応を示してる」
ばたり、と深月姉は布団に倒れこむ。だがすぐに、起き上がってきた。
「あ、そうだ夕一、カラオケに行こう!」
「えっ、カラオケ?」
「そう!今だったら平日で安いし、汐里ちゃんのお迎えの帰りに3人で!」
目を輝かせる深月姉。カラオケを提案してきたのは意外だった。
普段、たまに懐かしいアニソンをくちずさんだりするものの、それほど歌うのが好きだったという印象はない。夏夜姉を含め3人でカラオケに行くこともあるにはあったが、それほど頻繁ではなかった。
「まぁ、たまには遊びに行ってもいいか」
「やったー」
深月姉は嬉々としてパジャマを脱いで着替え始める。俺は慌てて目をそむけた。深月姉が着替えるなど久しぶりだったから、油断をしていた。
それから俺たちは2人で幼稚園に汐里を迎えに行った。教室から出てきた汐里は、数人の女の子と一緒だった。友達もちゃんといるようだった。
幼稚園を出たその道中、俺はカラオケに行く話を汐里に伝えた。汐里は不思議そうに首をかしげた。
「から…おけ……?」
「そっか、汐里は知らないのか」
「ばんぱいあがねるところ?」
「それは棺おけだよ。なんで自ら棺おけ入りに行くんだよ」
汐里は古い笑いのパターンまで熟知をしているようだった。
「あ、わかった夕一!さっくりジューシーな鶏料理だ!」
「それはから揚げだよ。というか、ノッてこないでくれるかな」
深月姉に感化されたのか、汐里も次のボケを繰り出そうと難しい顔をして考える。
「コーヒーに、ぎゅうにゅうを入れたやつ」
「それはカフェオレだ、汐里」
「あっ、警察に部屋を捜索されること?」
「それはガサ入れだよ。俺なんの法を犯したっていうんだよ」
「歩数をはかるやつ?」
「それは万歩計だよ汐里。よくそんなの知ってたな」
「銀行に融資を求めること?」
「それは借り入れ。こんな意気揚々と借金しに行かないよ」
強引なボケに、俺はため息をつく。
「おでこがキュートな金色の浮遊物のこと?」
「それはもうわからないよ」
なにがなんだかもうよくわからなかった。
駅前のカラオケ屋に入る。初めて来る店なので会員登録やらなんやらを俺が済ませ、深月姉たちはドリンクバーに走っていった。案内されたのは、3人にしては広めの部屋だった。
「よし、歌うぞ~~!」
深月姉は機械をいじって曲選択をする。選んだのは、中島美嘉の『WILL』だった。
「しょっぱなから暗いな……」
「い、いいじゃん好きなんだし」
深月姉が切なげに歌いあげる。俺は汐里の肩をつついた。
「汐里もなにか歌いたいやつあるか?」
「このまえ、幼稚園で『ちょうちょ』を歌った」
「お、それじゃそれにするか」
俺は機械を操作して、曲を入れる。深月姉が歌い終わると、汐里がもじもじと恥ずかしそうにマイクを取った。
「ちょうちょ~~、ちょうちょ~~なーのーはーにーとーまーれー」
ところどころ音を外し、テレながら汐里は歌う。それがなんとも可愛らしかった。
「とーまーれーよーあーそーべー、あーそーべーよーとーまーれー」
「なんて人畜無害な平和な歌なんだろうか」
「これから辛い人生が待っているとも知らずにね」
そう言う深月姉が次に入れたのは、『secret base ~君がくれたもの~』だった。
「また切ない曲を……」
「いいじゃん。好きなんだから」
そうして、深月姉は三角座りになり、部屋の天井を見上げた。
「まぁ、10年前の8月は学校でぼっちだったけどね……」
「……………」
なんとも反応に困る話だった。
俺が歌い終わったタイミングで、深月姉はドリンクを入れるために席を立った。
「汐里ちゃん、次のジュースはなにがいい?」
「ん……カルピス」
「わかった」
「深月姉、俺には聞かないのか?」
「ふふふ……夕一には、ねーちゃん特製のスペシャルドリンクを入れてきてあげる」
そう言って部屋を出て行く深月姉。いい歳だというのに、なんとも子どもっぽかった。
そうして3分ほどで深月姉は帰ってきた。だが様子は、出て行ったときとは大きく違っていた。その手にはカルピスと、半分ほどを満たす黒く濁った液体のグラスが握られていた。
「帰ろう、夕一!!」
「どうしたんだそんなに慌てて」
「さっき、中学のときの同級生に会った!!」
深月姉は早々に荷物をまとめている。汐里はかまわず童謡『チューリップ』を歌っていた。
「見間違いだろう。平日の昼間だぞ」
「間違いないよ!それにその子店員だったし」
もはや深月姉はドリンクのことなど気にもとめないようで、しきりに俺の腕を揺らした。
「別にいいじゃないか。どのみち室内なんだし、会うこともそんなにないだろ」
「嫌なの!中学と大学の人だけはほんとに嫌!」
「大学もボッチだったのかよ……」
「10年前の8月は記憶から消し去りたいの~~!!」
深月姉は狂乱したのか、そのまま部屋を飛び出て、走り去ってしまった。部屋には、俺と汐里が取り残された。
「……?おねーちゃん、どうしたの?」
「……辛い人生を歩んできた反動だ」
汐里は首をかしげて、歌に戻った。
「あーかーしーろーきーいーろー、きーれーいーだなー」
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