その20「温泉旅館に泊まった」

 旅館に着いたのは、午後3時を過ぎた頃だった。特急列車の中で一時間近く揺られ、降りてからは駅の改札を出たところのバス停で巡回バスに乗り、山奥のこの旅館にたどり着いた。




 来る途中の日本様式の庭だけでかなり格式の高い旅館であることがわかったが、平日の昼間ということもあり、人はあまりいなかった。チェックインすると、長い廊下を渡って、部屋に通された。




 「旅館に着いたけど、これからどうする?」




 「そうね、とりあえず、部屋でゆっくりしましょうか」




 俺たちは大の字で、畳の上に寝そべった。




 「……………」




 「……………」




 寝そべってはみたものの、かなり暇だった。急に来たということもあり、この場所ではなにが有名なのかもよく知らない。




 夏夜姉も同じように感じたようで、備え付けの40型のテレビを付けだした。




 「……この時間帯だから、ワイドショーしかやってないわ」




 「うわ、しかもこれ事件のニュースじゃん」




 テレビでは、金銭トラブルで老夫婦が刺されるという傷害事件のニュースが流れていた。




 「そういえば、小説とかだとよく温泉旅館で殺人事件が起こるけど、どうして知人を殺すのに温泉宿を選ぶのかしら」




 「さぁ。旅行に来てハイテンションになったからじゃないの?」




 「テンションが上がって近くに鈍器があったから、ちょっと殺してみようかと思ったの?そんなカジュアルな殺人ってある?」




 「それだけ恨みのある人間だったんじゃないの?」




 「でも、それだけ憎い人間なら普通一緒に旅行になんて来ないでしょ」




 「確かに……」




 夏夜姉の言うとおりだった。




 しばらく俺たちはぼんやりとテレビを見ていたが、途中で俺は部屋の中を探索して、館内のサービスの書かれたパンフレットを見つけ出した。




 「あ、ここネット繋がってて、映画観放題なんだって」




 「いいわね、それ。今日は眠くなるまで一緒に観ない?」




 「いいよ」




 夏夜姉は早速映画を選び始める。彼女が選んだのは、画質の荒いかなり古いウェスタン映画だった。




 マカロニ・ウェスタンと呼ばれた60年代に量産されたウェスタンものの中でもかなり良質な映画だったようで、映画自体はかなり古かったがそれなりに楽しめた。




 時計を見ると、午後6時をさしていた。




 「いい時間だし、続きは温泉に入ってからにしない?」




 それに対して、夏夜姉の反応はあまりよくなかった。




 「私はいいわ。この時間だったら、結構人が混んでいて恥ずかしいし……」




 「別にいいじゃないか。混浴でもないんだし、まわりは女の人だけだよ?」




 夏夜姉は首を振る。そういう問題ではないようだった。




 「それじゃ、夜遅くの誰もいなくなったタイミングで入る?」




 「私、潔癖症だから、人がたくさん入った後の垢まみれの浴場はちょっと……」




 「よく温泉に来るの同意したね」




 温泉と反発しあうために生まれたかのような性格だった。




 「俺は大浴場に行ってくるけど、夏夜姉はどうする?」




 「内風呂にするわ……」




 夏夜姉に浴衣を手渡され、俺は部屋を出て大浴場へ向かった。




 大浴場は、期待を裏切らないものだった。広いスペースをいくつか区切られ、水風呂やジャグジーなど、様々な風呂があった。外へ出れば、石造りの露天風呂もあり、サウナもかなり大きかった。




 現実離れした風呂を十分に堪能して、俺は大浴場を後にした。その入り口で、夏夜姉が立っていた。




 浴衣姿の夏夜姉は、後ろ髪は髪留めでとめられ、頬はほのかに紅く火照っていた。内風呂に入ってきたらしい。




 「夕一、ちょっと、旅館の中をぶらぶらしない?」




 それからは、お土産コーナーや、数十年前の機体が並ぶゲームコーナーを巡った。そして遊技場に来たところで、定番の卓球台を見つけた。




 「どうせだから、ちょっとやっていこうよ」




 「でも、私運動神経ないし……」




 とはいうものの、興味があるのか、近くのラケットを手にとる。そして、ピンポン球を俺に投げてよこした。




 俺もラケットを握り、軽くサーブを打つ。山なりに跳ねる球めがけ、夏夜姉はラケットを振った。だがそれは虚しく空を切った。




 「ワンテンポ遅れてるかな。もう一度」




 俺は再びサーブを送る。夏夜姉はよく狙いを定めてスイングするが、やはりタイミングがずれて、空振りに終わる。それは何度やっても同じことだった。




 「す、すごいよ夏夜姉。これだけラリーが続かない人間は初めてだ」




 ラリーどころか、ピンポン球に当てることすらできていない。まるでピンポン球が露骨にラケットを避けているようだった。




 「夏夜姉、前世でピンポン球の廃絶運動とかしてた?」




 「ピンポン球に恨み買うようなことはなにもしてないわよ」




 だが実際、そうとしか思えないほどの外しっぷりだった。




 「ねぇ、いっそ私だけテニスラケットを使っていい?」




 「どんなチートだよ」




 「で、夕一はしゃもじで」




 「そこまでくると、勝負に負けることより他の客の視線が辛い気がするよ」




 だが、深月姉同様負けず嫌いの夏夜姉は、悔しそうにほとんど素振りに近いスイングを繰り返していた。




 「もう、どうした当たったくれるの……!!」




 性格があいまって、かなり不機嫌になっている。俺は慌てて言葉を探した。




 「夏夜姉、世の中には、いじめられっこからボクシングの世界チャンピオンになった人もいるんだ。だから練習すれば夏夜姉も……」




 「肉体的に絶頂期の21で、球にかすりすらしないのよ?」




 「……ごめんなさい」




 そればっかりは、なにも言い返すことはできなかった。




 結局、卓球は夏夜姉の運動神経のなさを露呈するだけのものとなり、俺たちは遊技場を出た。




 「ふぅ、運動したから、また汗かいちゃったわね」




 「そうだね」




 「部屋に戻って、もう一度内風呂に入るわ……」




 「どんな罰ゲームだよ」




 旅館に来て、一度も温泉に入らないという人間もかなり珍しかった。




 指定どおり、8時過ぎに部屋に懐石料理が来て、俺たちは海の幸に舌鼓を打った。少し遅めの夕食を終えてから、俺たちは売店に行って缶ビールとジュースを買った。そして部屋に戻って、また映画を観始めた。




 夏夜姉は缶ビールを開けて、ちびちびと飲む。俺も冷たい缶ジュースを袋から取り出し、タブを引っ張って開けた。




 「結局、家にいるときとあんまり変わんないね」




 「まぁいいじゃない。私は楽しいから」




 夏夜姉の距離が近くなる。左手が、やわらかなぬくもりに包まれる。しなだれかかるように、頭が俺の肩に乗せられた。




 夏夜姉の髪からは、ほのかに甘いコンディショナーの香りがした。

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