その9「みんなで映画にいってきた」


 夏夜姉との約束の日。俺は深月姉と汐里を連れて、電車を乗り継いで待ち合わせ場所まで行った。




 「あ、夏夜姉、ごめんね待たせて」




 「ううん。それはいいんだけれど……」




 駅前の時計台で一人待っていた夏夜姉は、明らかに不満そうだった。




 「どうして姉さんまで」




 「久しぶりだね、夏夜ちゃん」




 深月姉は、なにか勝ち誇ったような顔で夏夜姉を見ている。夏夜姉はくいと眼鏡を上げ、軽く深月姉を睨んだ。




 「弟が映画に行くのについてくるなんて、姉さんどれだけブラコンなの?」




 「あれ、弟を映画に誘ってる夏夜ちゃんに言えた台詞?」




 夏夜姉が悔しそうに黙り込む。夏夜姉が言い負かされるなんてことは、滅多にないことだった。




 「平日の昼間に夕一を誘って映画なんて、夏夜ちゃんも暇だねー」




 「それこそ、年中予定も仕事もない姉さんに言えた台詞なの?」




 「がーーん」




 一人で勝手に墓穴を掘った深月姉は、深くうなだれる。俺はため息をつくしかなかった。




 夏夜姉は視線を落とし、俺と手をつなぐ汐里を見る。




 「この娘が汐里ちゃんね?」




 汐里は、ぺこりと頭を下げる。




 「まつかさしおりです。しゅみはお絵かきです。どうぞよしなに……」




 「あ、ご丁寧にどうも。夕一の姉弟の柏木夏夜です。趣味はプログラミングです」




 「夏夜ちゃん、私は!?姉妹、姉妹!」




 完全に無視されるのも、どうも寂しいようだった。面倒な深月姉だった。




 夏夜姉は諦めたようで、行きましょう、と俺たちに行った。彼女の道案内の元、映画館を目指し歩き始めた。




 「夕一、なにが観たい?」




 道中、夏夜姉が聞く。




 「え、夏夜姉が観たい映画があったんじゃないの?」




 一瞬、ぎょっとしたように夏夜姉がこちらを見た。だが、すぐに落ち着き払ったように、咳払いを一つする。




 「まぁ、夕一の希望も聞いておこうと思ってね。なければいいのよ、うん」




 急に夏夜姉の歩が早まる。俺たちは、追いつくので精一杯だった。




 デパートに隣接する映画館は、宇宙をテーマにした内装で、薄暗い藍色の天井には、細かな星が散っていた。チケット売り場やフードショップも、どこか近未来的なつくりになっていた。




 「わー、最近の映画館ってこうなってるんだー」




 ほとんど家にしかいない深月姉は、テーマパークにでも来たようなはしゃぎようだった。




 くいくい、と汐里は俺のジーンズの裾を引っ張る。




 「しお、えーがかん来たの、はじめて」




 「そうだったのか。それじゃ、どうせだしポップコーンとホットドッグでも買ってやろう」




 「りょうほう!?すごいところだ……!」




 心底感動しているようだった。




 「それで、夏夜ちゃんはなにが観たいの?ないなら私が……」




 「ある!あるから!」




 夏夜姉は慌てて言ったが、タイトルを言おうとはしない。それどころか、しきりに館内に貼られた映画のポスターを見回していた。




 助け舟を出そうと、俺も面白そうな映画を探す。だが、俺が見つけるよりも早く、夏夜姉は一つのポスターを指差した。




 「……あ、これ!これだったの!」




 それは、グロテスクなゾンビが街を襲う、スプラッタ系のホラー映画だった。ポスターを見た瞬間、深月姉が震え上がった。




 「無理無理無理!!なんでゾンビ映画なの!?夏夜ちゃんゾンビあんまり好きじゃなかったでしょ!?」




 「嗜好の変化よ」




 「急にゾンビが好きになる嗜好の変化ってどんなの!?」




 深月姉は、ゾンビもホラー映画も大の苦手なのだった。嬉々としてFPSのゲームをしているくらいなので、ある程度グロテスクな描写には耐性があるが、ゾンビや怖がらせる要素が絡んでくると、からっきしダメになる。テレビでホラー映画を観た夜など、中学生になっても、トイレに何度となく付き合わされたものだった。




 「しお、これがみたい」




 汐里が指差したのは、デフォルメされた動物たちが活躍するカートゥーン・アニメの映画だった。




 「これこれ!そう、これにしようよ!」




 深月姉もそれに同調する。




 「それじゃ、俺と夏夜姉がこのゾンビ映画を観て、深月姉と汐里がアニメ映画を観るっていうことでどう?」




 「えっ、それはちょっと……」




 「問題ないわ。それでいきましょう」




 夏夜姉が言って、決定となった。




 深月姉と汐里が観る映画は30分後だったので、俺と夏夜姉はポップコーンとジュースを買って、先にホールに入った。




 「あ、忘れるといけないから、先にこれ」




 席についたところで、俺は紙袋を手渡す。中には、汐里が転園に必要な書類が入っている。夏夜姉は受け取ると、中身を確認せずにそれをバッグの中にしまった。




 「汐里ちゃん、可愛い子ね」




 「おとなしくて言うこともよく聞くから、苦労はしてないよ」




 「育てるつもりなの?」




 それは、汐里の親次第だった。引き取りにこないようならば、こちらで面倒をみるほかない。




 だが、ニートとフリーターの2人で暮らすだけでも苦しかったのに、汐里まで養う余裕などはどこにもなかった。




 「わからない」




 「そう。まぁ、もしかしたら役に立たないかもしれないけど、一応これを」




 夏夜姉は、一冊の本を差し出す。それは、幼稚園の子どもを持つ親向けの、幼稚園の行事について一通り書かれた本だった。




 「姉さんも含めて、面倒を見るのは大変だろうけど、私はできる限り助けるから。だから、いつでも頼って」




 俺は頷く。夏夜姉は照れたようにうつむく。スクリーンの光が、その頬に当たって、赤く照らされていた。




 そのとき、絶叫がホール内にこだました。前を見ると、ゾンビに襲われる女の子が、血みどろになりながら叫んでいたのだった。




 「夏夜姉の言葉はすごくうれしいけど、違うシチュエーションで言ってくれるとさらによかったかな」




 「……以後気をつけるわ」




 それから二時間、俺たちは現代映画技術を総結集した、クオリティが異様に高いスプラッタ映像を見せ付けられたのだった。




 映画から戻ってきた汐里は、ひどく満足そうだった。小さな腕に抱えられたポップコーンのバケツも、きれいに空になっている。




 「どうだった、汐里?」




 「すばらしかった」




 「夕一~、本当にすばらしかったよぉ~」




 深月姉は手首で目を擦りながら、ボロボロ泣いていた。




 「やめてくれよ深月姉。子ども向けの映画でみっともない」




 「あれは子どものためだけじゃないよ!あれは感情を持つ人類みなの心を変える……」




 「ともかく、映画も終わったし出ましょうか」




 夏夜姉が言って、俺たちは屋外に出た。




 「夏夜姉、どうせだったら一緒に夕飯でもどう?」




 「うれしいけど、でも仕事があるから。明日までにリリースしてるアプリのアップデートデータを仕上げないといけないの」




 「よく映画誘ったね」




 夏夜姉は数歩歩み寄り、深月姉と対峙した。




 「……どうしたの?」




 「姉さん、働きなさいよ。頭は私よりもいいんだから」




 「……………」




 深月姉はうつむいたまま、答えない。




 「夕一に苦労させるんだったら、いっそうちで引き取るわよ?」




 「それはダメなのーー!!」




 夏夜姉は少し笑って、そこで別れた。汐里は夏夜姉の背に、しばらくの間手を振っていた。




 アパートに帰って、俺は部屋で夏夜姉にもらった本を開いた。中には、一通の茶封筒が挟まっていた。




 「ん、それどうしたの?」




 深月姉がひょいと茶封筒を抜き取る。そして中を覗いたとき、彼女の手は震えていた。




 「夕一、これ………」




 俺は茶封筒の中身を抜き取る。出てきたのは、札束だった。数えてみると、汐里を半年ほど幼稚園に通わせることができるだけの金額だった。




 「すごい……」




 「さすが夏夜姉。底が知れない」




 札束の途中に、白い紙が二枚まぎれこんでいた。一枚は手紙だった。そしてもう一枚は、領収書だった。




 「なんの領収書?」




 「これって……」




 そのとき、インターホンが鳴った。ドアを開けると、作業服姿の男が一人いた。




 「どうも、ハマグリ引越し社ですー」




 なにかを言う間もなく、次々に荷物が運ばれてくる。




 「えっ、なにこれ!?」




 深月はこの状況に加え人見知りで、パニック状態だった。




 「布団はどこに置きますか?」




 大きめの包みを持つ男に尋ねられる。明らかに包装が新しかった。




 「新品かよ……」




 よく見ると、荷物もそれほど多くはなかった。数はあったが一つ一つが小さく、ほとんどが新品の商品の箱だった。




 はさまれていた手紙を読む。文面の内容は非常にシンプルで、短かった。




 『また近々泊りに行きます。  夏夜』

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