第30話 逢いたかった
「エデアっ!?」
「ふふ、随分驚いた顔だな。やはり僕が長い間眠っていたらしいのは、夢ではないみたいだね」
春の日差しが舞い込む穏やかな朝。
光に満たされた室内で、エデアは昔と変わらない穏やかな笑みを浮かべ、そこにいた。
まっすぐにこちらを見つめる氷色の瞳は本物で、決して、夢ではないはずなのに。
唐突に訪れた再会に、リーシェルは信じられないものを見つけた顔で目を瞬く。
だけど……。
「エデアっ、逢いたかった……っ!」
これが夢ではないことを確認するように、両手を広げ、一気に駆けたリーシェルは、彼にぎゅうと抱きついた。
こうして彼に触れるのは、未来を失った、あの夏の日以来だ。優しい香りと自分を包むぬくもりを感じて、もうそれだけで胸がいっぱいになる。
「逢いたかったわ、本当に。でも私のせいでごめんなさい。私があなたの心を壊したりしなければ、こんな……っ」
「落ち着きなよ、リーシェル。正直に言うと、僕には現状がよく分からない。あの日、朦朧とした意識の中で、きみの叫ぶ声がしたのは憶えている。だけどそのあと何が起きたのかは分からないし、僕自身どうなったのかも分からない。……ただなんとなく、ずっと傍にいたような気はしているけれど」
「……!」
にこりと穏やかな笑みを浮かべ、抱きついてくる彼女の髪を撫でながら、エデアは小首をかしげ、呟いた。
言われるまでもなく、彼の記憶はダグニス・テラーと遭遇し、リーシェルが
「そうね。ちゃんと説明するわ。正直に、全部」
エデアの言葉にうんと頷き、嬉しさと申し訳なさを合わせたような表情で、彼の胸から顔を上げたリーシェルは、小さな笑みと共に切り出した。
何から話せばいいか分からないほどの年月を、彼女はクロナと過ごしてきた。
楽しいことも辛かったことも、たくさん、たくさん話したいはずなのに。
いざそのときが来ると、上手く言葉が出て来なくって。
「にゃああ、リーシェル……」
と、悩みあぐねるリーシェルの耳に、不意に苦しげな声が聞こえてきた。
驚いて視線を向けると、二人の間につぶれたクロナが窺える。
どうやら飛び込むように抱きついたせいで、クロナがリーシェルの下敷きになっていたようだ。
「わっ、ごめんクロナ! あなたも起きてくれたのね! それに喋ってる!?」
きゅううと手のひらを広げ、腕を伸ばすクロナに慌てて飛び退いたリーシェルは、クロナが自分の名を呼んだことに気が付くと、まじまじと彼を見つめ驚いた。
魔力を持つ猫とはいえ、猫本来の
「にゃあ」
「あれ、喋れない?」
「リーシェル。にゃあ」
「私の名前は憶えているの? なにそれかわいいわ。流石私の愛猫……!」
幾度かのやり取りの末、名前とほんのわずかな単語を話しながら、すりすりしてくるクロナの事実を知ったリーシェルは、ふわふわの毛玉を抱き上げながら悶絶した。エデアの
不思議そうにこちらを見つめ、さらに、周りに散らばる黒猫のぬいぐるみたちに首を傾げるエデアの視線に気付くまで、クロナをなでなでしていたリーシェルは、もう一度頷くと、今度こそ、心が離れていた五八〇年の出来事を話し出した――。
「……そうか。寂しい思いをさせてしまったんだね、リーシェル」
開け放った窓から優しい風が舞い込む中、リーシェルはすべてを打ち明けた。
エデアの壊れた心のこと、兄姉たちにより
他愛のない会話を交えながら、リーシェルは明るい声音で長い年月を語ったけれど、責任を負い、前を見続けるというのは、どれほど苦しいことだったろうか。
互いに見た目が
「うん。でも諦めないって決めたのは私だから。長い時間がかかってしまったけれど、こうしてエデアと再会できた。私はもう、それだけで十分なのよ」
だが、氷色の瞳に苦しさを宿し、言う彼に頷いたリーシェルは、嬉しそうに微笑んだ。
どれだけ辛い状況に陥ろうとも、希望と夢と諦めない気持ちさえあれば、報われる日はやって来る。それを信じ、ガムシャラに邁進し続けてきた今までは、やはり間違いではなかったのだ。
エデアの事実を知ったときは、光とも言えないほど遠い星に手を伸ばすことがリーシェルにできる精一杯の償いで、諦めの否定だけが、この先を生きていく唯一の
現にこうして、夢を未来へと変えた彼女の視界は、どこまでもキラキラと輝いている。
だから、もう二度と戻れない過去に謝意を示すよりも、これから先の明るい未来を、共に見ていたかった。
「そうだ! フェズ兄に知らせなくっちゃ! フェズ兄も今は結婚して、イオルシュタイン魔法学校の教師をしているのよ。エデアが目を覚ましたと知ったら、絶対に喜ぶわ。それに、ラエーレ姉様や、合わせたい人たちもたくさんいるの!」
「リーシェル……」
「だからね、エデア。これから先の人生、私と一緒にたくさん楽しい思い出を作りましょう? まずは私が見て来たすべてを、あなたにも見せてあげるから」
「……!」
ふわりと風が舞うように軽快な笑みを浮かべ、座っていた椅子から元気よく立ち上がったリーシェルは、風の精霊に言伝を頼むと、未だに申し訳なさを滲ませる彼に宣言した。
こんなにも長い時間、彼の未来を奪い続けてきた自分に、そんな資格があるのかどうかは分からないけれど、やっぱりリーシェルの大好きは、彼だから。
今度こそ、隣に立って人生を見ていたくて。
少女らしい笑みを浮かべるリーシェルに、エデアは大きく目を見開いた。
「ありがとう、リーシェル。ずっと僕の傍にいてくれて。これまで寂しい思いをさせた分、誰よりも幸せにしてみせるから」
「……っ」
ほとんど無意識に手を伸ばし、立ち上がった彼女の腕を引いて、自分からリーシェルを傍に抱き寄せたエデアは、彼女を間近に見つめ、静かに想いを口にした。
そして、唐突な告白に頬を染める彼女に、そっと優しく口づける。
こうして彼女に触れるのは、記憶としては遠くないはずなのに、なんだかとても久しぶりな気がして。甘い蜜が体中に広がっていく感覚に、エデアは彼女を見つめ、微笑んだ。
「愛しているよ、リーシェル」
「……うん」
この瞬間がきっと、二人の青春が再び走り出した合図。
愛しい思いを胸に、どこまでも歩んで行こう。
遂に巡り合えた、この輝かしい未来を――。
――その後、知らせを受けて飛んできたフェズカと再会し、ゆっくりと体力を回復させたエデアは、時を経て近代化したシエラリスの街を歩きながら、世界を知るために様々な知識を身に着けていった。
その間もリーシェル
クロナがリーシェルの傍からいなくなった折、ミネアやルシウスなどの信頼できる教え子たちにはエデアのことを明かしていたとはいえ、許婚として改めて紹介するのは、どこかこそばゆくて。久しぶりに味わう恋人としての時間に、リーシェルは幸せを感じていた。
「ねぇ、リーシェル。僕も今度、魔法医の資格を取ろうと思うんだ」
そんなある日の午後。
歴史の流れと欧州の近代化を知りながら、リーシェルの仕事を手伝うようになっていたエデアは、雑貨屋の奥で常備薬を精製する彼女にそう告げた。
リーシェルが持つ魔法医の資格は、イオルシュタイン魔法学校の卒業と共に試験を受け取得したもので、確かにエデアはまだ未取得だ。
だが、彼が目を覚ましてまだ三ヶ月余。生来の知識欲と秀才ぶりで、今の生活にもだいぶ慣れてきたようだけれど、(実年齢はさておき)心身ともに十七歳の彼に、無茶はさせたくない。
「無茶なんかじゃないよ。元々取ろうと勉強はしていたし、それに……」
そう思って言うと、エデアはほんの少し唇を尖らせたまま呟いた。
拗ねたような表情も愛らしく、リーシェルはつい見入ってしまったけれど、彼女が自分の真意に気付いていないことを悟ると、エデアは照れ臭そうに視線を逸らし、その続きを語り出す。
「僕は早く、リーシェルに釣り合う男になりたいんだ。今までの年月を取り戻せるなんて思わないけれど……それでも、何かあれば今度こそ、きみを守れる男になりたい」
「……!」
俯き、逸らした視線を時折リーシェルに向けながら、エデアははっきりと宣言した。
十七歳の自分では、彼女をダグニス・テラーの脅威から守ることができなかった。でも、だからこそ、その悔しさをバネに、今度こそ愛しい人を守りたくて。
頬を染め、何度も目を瞬く彼女に手を伸ばしたエデアは、若葉色の髪をそっと撫でる。
光が降り注ぐ窓辺に立つ彼女は、本当に美しくて。
「にゃああ、リーシェル~」
いつの間にか足元にすり寄り、エデアに負けじと大好きをアピールするクロナを抱き上げたリーシェルは、彼の想いに微笑む。
「……ありがとう、エデア。あなたの心を取り戻せて本当によかった。資格取得応援するわ。だからどうか、末永く傍にいてね」
嬉しさに涙を浮かべた瞳で彼を見つめ、リーシェルは未来を語った。
止まっていた二人の時間は動き出し、季節はもうすぐ夏を迎えるだろう。
彼と歩むはずだった幾つもの季節、そして、これから歩む未来に思いを馳せながら、リーシェルは、二人の人生が少しでも長く続けばいいと、心から願った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます