第29話 二年後

 ――それから二年の時が流れた。


 闇魔法師団一掃作戦で共に戦った面々は、元居た場所へと戻り行き、時折シエラリスを訪れてはリーシェルとクロナ、そしてエデアを見守っている。

 彼女は今も魔法学校の教師、雑貨屋の店主、そして魔法医を兼任し、忙しない。

 クロナが傍にいない分、賑やかさが半減して見えることもあるようだが、彼女の前を見つめる姿勢に変わりはないようだ。


「あら、ルシウスじゃない。こんなところでどうしたの?」

 そんなある日の午後――。

 イオルシュタイン魔法学校の教師として、最終学年の生徒たちに授業を終えたリーシェルは、廊下にルシウスの姿を見つけ、声を掛けた。

 今までと変わらず、欧州国際連盟魔法部 魔法生物課に所属するルシウスは、フェズカと共に何やら顔を突き合わせ、手にした資料を見つめている。

「先生、お久しぶりです。例の件、ようやく調査が終わりましたので、ご報告に参った次第です。少しお時間よろしいですか?」

「……!」


 すると、リーシェルの声掛けに顔を上げたルシウスは、茶封筒を掲げそう言った。

 彼女が何を依頼したのかは分からないが、途端リーシェルの表情に真剣さが宿り、彼らは誰もいない魔法薬学の教室に入り込む。

 入り口に鍵をかけ、盗み聞ぎされないよう精霊たちに願い、厳重な体制を敷いたリーシェルは、茶封筒に手を伸ばすと、静かに口を開いた。


「ようやく分かったのね。ダグニス・テラーの生い立ち」

「ええ、大方はリーシェル先生の予想通りでした。ただ、この事実を世間に出してしまうと、奴に対する悪役ヒールの印象が廃れてしまう可能性もあるため、魔法部としては、あまり表には出したくない情報ですね」

 封筒の口を開け、中に封入されていた四枚の用紙を取り出しながら、リーシェルはルシウスの声に首肯する。


 あの戦いの折、赤い瞳を血走らせ、魔法名家を蔑みながらナディを狙ったダグニス。そんな彼が、実は自分たちと同じく、魔法名家の血を持つ者ではないかとリーシェルは予想していた。

 彼と対峙し、心の奥に垣間見えた動揺が気掛かりとして残っていた彼女は、事実確認のため、魔法部に協力を仰いでいたのだ。

 そして、ようやく情報の精査が終わったと言う資料に目を落とし、リーシェルは小さなため息を零すと呟いた。


「……やっぱり彼は、炎帝えんていの一族と非魔法族の合の子だったのね」


 そこに書かれていたのは、予想通りの悲しい事実だった。

 リーシェルがダグニスに問うた、「非魔法族との混血なのか」という問い。それは過去の記録を紐解くうちに立証された。

 彼の母親は、千年以上もの時を生き、三年前、遂に亡くなった世界最高齢の記録を持つ、炎帝の魔女。

 そう言えば、彼女にはその昔、望まない子供がいたなんて噂があったっけ……。

 当時は十字軍の遠征や各国の争いが頻発し、魔法王国も国を強化しようと動いていた。結果、魔法名家の中で血統主義的な風潮が高まり、名家出身にも拘らず、精霊の加護を受けなかった子供たちは断罪されたと言う。

 もっとも、その風潮は数年で廃れたそうだが、それならば彼が魔法名家へ恨みを持つことも、自分が虐げられる結果となった非魔法族を憎む気持ちも、分かる気がした。そして、その結果闇魔法を纏い、暴力と恐怖で今の世界を覆そうとする気持ちも……。



「大丈夫か、リーシェル。うっかり同情してほだされた、なんて言うなよ」

 すると、しばらくの無言ののち、すっと顔を上げたリーシェルに、フェズカは軽口と共に注意の言葉を呟いた。

 たとえ奴に、悪となってしかるべき理由があったとしても、奴が多くの人を殺め、多くの人の人生を狂わせ続けてきたことは間違いない。その被害者でもあるリーシェルが絆されるようなことだけは、絶対に、許容できなくて。

「ふふ、それはないわよフェズ兄。これを知ったからと言って、今さら彼に同情する気はない」

「……」

「だけど、私たちはこれから先、彼のような人たちを生み出さないよう、魔法名家として、責任を果たす必要があるわよね」


 だが、どこか心配を混ぜた眼差しでこちらを見つめるフェズカの軽口に、リーシェルは毅然と言い切った。

 魔法族の筆頭たる自分たちが率先して他国との交流や偏見撲滅に動くことで、得られる理解もあるだろう。

 もちろん、エデアとクロナが目を覚ますまで、シエラリスを離れる気はないけれど、やりたいことはいくらでも湧いて来る。


「ええ。俺とセシリーヌは引き続き、種族間平等を目標に各国を巡ろうと思います。マクレスとチェリフィアにも、欧州国際連盟から特別な役目が与えられましたし、きっとそう遠くなく、魔法族に燻ぶり続ける闇も、晴れていくと信じていますよ」

 と、諦めを知らない眼差しに強い決意を乗せ、ハッキリと言い切るリーシェルに、ルシウスは笑みを浮かべ頷いた。


 闇魔法師団一掃作戦の折、魔法族に力を与え、欧州の平和のため尽力した存在として「イリゼの女神」は認められ、二人は今、平和と安寧を願う象徴としての役目を仰せつかっているという。

 具体的には、王族の結婚や即位、新国家の設立などを祝福し、魔力と歌声を籠めた白い薔薇を贈ることで、平和を願う役目のようだが、そう言った魔法に起因する活動も、偏見をなくすに一役買うだろう。

 先日シエラリスを訪れた二人から、白薔薇の花束と黒猫のぬいぐるみを貰ったリーシェルは、未来に想いを馳せている。


「そう言えば先生、セシリーヌが旅の途中で黒猫のぬいぐるみを見つけたんで、お土産に買ってきました。今ティジー先生と喋っているはずなので、あとでお渡ししますね」

 すると、いつだって前を向き続けるリーシェルの姿にほっと息を吐いたルシウスは、思い出したように話題を切り替えた。

 共に学校を訪れているセシリーヌは、ティジーから魔法生物好きを夫に持つとどうなるか……という話をされているらしく、今ここにはいない。

 途端フェズカの表情に、何とも言えないものが浮かんだものの、彼の言葉に目を瞬いたリーシェルは、小さく笑って言った。


「ありがとう、ルシウス。それにしても私、クロナが傍にいなくなったことで、よほど黒猫不足だと思われているのね。みんながくれるお土産に、絶対黒猫のぬいぐるみがいるのよ。もう枕元に置けないから、エデアとクロナの傍にも置いているんだけれど、このままだと、どれが本物で、どれがぬいぐるみだか分からなくなりそうだわ」

「はは。そりゃエデアが目ぇ覚ましたときびっくりするんじゃねぇか? あいつはクロナのこと、分かってねぇかもしれねぇし」

「確かに。昔の私、別に猫好きでも何でもなかったわ……」


 嬉しい半面、黒猫だらけの部屋に肩をすくめたリーシェルは、フェズカの指摘にしまったという顔で呟いた。

 今なおネセセリア家の別邸で眠り続ける彼らの傍に置いたぬいぐるみは、ゆうに十を超えている。黒猫に囲まれたエデアも見ている分にはかわいいのだが、目を覚ました彼に、なんて説明をすればいいだろう。

「おっ、終業の鐘だな。リーシェルは今日、午前中だけだったろ」


 そんなことを思っていると、遠くで終業を告げる鐘が鳴り、窓から柔らかな風が吹き込んだ。

 今日は午後から雑貨屋での実験を予定していたリーシェルは、合流したセシリーヌからお土産と黒猫のぬいぐるみを受け取ると、屋敷に向かって歩き出した。




「ただいま、エデア、クロナ。また黒猫のぬいぐるみを貰っちゃったわ」

 雑貨屋にいたスーリャに実験の準備をお願いし、一度屋敷に戻って来たリーシェルは、最上階の左端の部屋を訪れると、この二年ずっとそうであるように眠る彼らに声掛けた。

 リーシェルがこの部屋を訪れるのは、多くて日に二・三回。朝カーテンを開けるときと、夜閉めるとき。そして、時折もらったお土産を、こうして置きに現れるとき。

 その際リーシェルは、必ず二人に魔力エレメントを与え、注意深く容体を見守っているものの、今のところ、二人に変化は訪れない。

 それでも。

「……いつまでだって待つわ。希望と絶望の狭間にいた今までとは違うもの」

 そう。諦めない。

 小さな呟きとともに、ふわふわの毛並みをしたぬいぐるみを傍に置き、チェストの上の花瓶で華やぐ白薔薇の花束に目を遣ったリーシェルは、雑貨屋に戻ると、その日一日を実験に費やした。




 翌日は珍しく学校も、魔法医としての往診もない休息日で、スーリャに休みを取るように言われたリーシェルは、やることもなく屋敷をうろうろしていた。

 春を告げる鳥が空を舞い、庭の幾何学式庭園には色とりどりのチューリップが咲いている。だが、普段忙しなく動いている分、急に暇を与えられても困ってしまうタイプなのか、リーシェルは屋敷の周囲を二周した後で、息を吐く。


(はぁ、暇だわ……。いっそ今日は久しぶりに、エデアたちのところに入り浸っちゃおうかしら。たまにはいいわよね。毎日だとフェズ兄に怒られるけれど……。うん、半年ぶりに、今日だけ……っ)

 すると、幾度かの逡巡と熟考ののち、彼らが眠る部屋へと視線を向けたリーシェルは、半分無意識の領域で螺旋階段を上ると、いつものように部屋の扉に手を掛けた。

 ただの暇は苦手だが、大好きな彼らの傍で過ごす穏やかな時間は、何十時間あっても足りないほど、幸せで。

「エデア、クロナ~、入るわよ?」

 またしばらくかわいい彼らを眺めていようと、リーシェルは軽いノックと共に扉を開く。


 と、そのときだった。


「やぁ、リーシェル。なんだかとても久しぶりだね」

「……!」


 彼女の視界に映ったのは、逢いたくてたまらなかった氷色の瞳――。

 クロナを抱きかかえ、上体を起こした彼は、リーシェルを見つけると、柔らかな表情で、笑ったんだ。

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