第25話 ダグニス・テラーという男

(……随分人気のない城砦ね。この先に、ダグニス・テラーが……!)


 石造りの堅牢な城砦を一気に駆ける。

 ここは山岳地帯の頂上付近に位置する古い城――。

 闇魔法師団の本拠地と思われるこの城へ辿り着いたリーシェルは、見張りすらいない城門と、その先にある建物を抜け、嫌な気配の方へと駆けていた。

 緊張した面持ちのまま、肩に乗るクロナを撫でる彼女の瞳には、今までにない覚悟が宿っている。


「にゃ~……」

 一方、ここまでの連戦で体力が尽きてしまったのか、ヒトガタ化していたはずのクロナは、いつの間にか黒猫の姿でリーシェルの肩にくっついていた。

 ヒゲをピンと張り、忙しなく周囲に目を走らせているところを見るに、警戒は怠っていないようだが、回復まではもう少し時間がかかりそうな気配だ。



「――炎の精霊、Tuer殺せ! 空から歌を届ける愚かな一向に鉄槌を下すのだ!」

「!」

 と、そのとき。不意に前方から聞こえてきたのは、怖気立つような声だった。

 緊張感を昂らせ、警戒したまま中庭に出ると、そこには黒髪に黒服を纏った不気味な青年。青年は、ほとんど黒に近い深紫色の礫を出現させると、精霊に願いを語る。

 空で歌を届ける、イリゼの女神を殺すために。

calme凪いで精霊! あの子たちを撃ち落とすなんて許さないわ!」

 それを悟ったリーシェルは、すぐさま魔法を打ち消すと、驚いた顔をする青年――ダグニスに鋭い視線を投げつけた。激しい怒りを滲ませた彼女は、殺気立ったように杖を向けている。

(本当に生きていたのね、ダグニス・テラー……! 私の、エデアの、そして多くの人の人生を狂わせた、忌まわしい男……っ!)


「……これはこれは。誰かと思えばいつかの娘ではないか。何をしにここへ?」

 だが、驚きも束の間、薄ら笑いを浮かべたダグニスは、余裕すら見える双眸で彼女を捉え問いかけた。

 答えを分かり切っていながら、えて時間稼ぎをしているかのような声音に、リーシェルの苛立ちが大きくなる。

「もちろん、あんたを殺しによ」

「フフフ、面白い冗談だ。魔法名家に我を殺すことはできない。そうだっただろう?」

「……!」

「あのときも、お前は無意識に我を殺そうと、ありったけの魔力を振り絞った。結果どうだ? 負傷の事実は認めても、致命傷とはならなかった。もっとも、あの男は壊れたようだがな」

 敵意を滲ませ、間合いをはかるように杖を向け続けるリーシェルの攻撃を見切る自信でもあるのか、ダグニスは腕を組んだまま楽しそうに言った。


 気が遠くなるほどの昔、一度だけリーシェルの前に現れたダグニスは、彼女の強い魔力エレメントを見初め、自分のものにしようと動いていた。

 だが、邪魔者であるエデアを殺そうとした瞬間、暴発した魔力が襲い掛かり、ダグニスは忘れて久しい痛みと共に撤退を余儀なくされる。

 腕や足が血飛沫と共に飛び、部屋中の物という物が壊れていく光景は、今なお鮮明に覚えているほど、忘れがたい。

 しかしこのとき彼は、気を失ったリーシェルを奪うことをしなかった。

 後悔を抱えて生きるのは、死ぬより辛い地獄だろう。それが彼女にとって、自分に傾倒しなかった最大の罰になる。

 だからこそ、代わりにあるものを持ち去り、彼は療養のためしばらくの隠遁生活に入った。

 そして、事実を明かすときが来たならば、きっと――。


「……!」

 おぞましい笑みを浮かべ、楽しげに語ったダグニスは、一瞬身を固くするリーシェルにあるものを披露した。

 円筒形の小さなビンに入ったそれは、微かなきらめきを見せる薄いガラスのよう。保護の魔法がかけられ、強い気配を放つビンに注視していたリーシェルは、やがてそれが何であるかに気付くと、大きく目を見開いた。

「……まさか、エデアの……」

 激しく乱れる呼吸を整えようともがきながら、彼女は苦しげに絞り出す。

 この作戦へ参加するにあたり、フェズカは、ダグニスがエデアの欠けた心について何か知っているかもしれないと見当をつけていた。

 だけど、まさか、本当に……っ?

「そうとも。あのとき小僧の体から弾け飛んだ心の欠片だ」

「……っ」

「その敵意を収め、大人しく我が物となるのなら、思い出に返してやってもいい。これには我自身の意思か、我が死ぬまで解けぬ強力な保護魔法をかけてある。奪うことは勧めない」


 まるで誘うようにビンを掲げ、ダグニスはリーシェルに提案した。

 おそらく彼はまだ、リーシェルのことを諦めていないのだろう。だからこそ、彼女にとって大切なエデアの心の欠片を奪い、交渉の材料としてみせた。

 だが彼は、兄姉たちにより要素エレメントを移されたエデアが、まだ生きていることを知らない。

 その欠片はリーシェルにとって、エデアとの過去に浸るための「思い出」ではなく、彼との未来を生きるための「希望」なのだ。

 唯一生まれた誤算に、彼女の心が冷静さを取り戻す。



「風の精霊voler飛んで! 二度と悪さができないよう、鎌風であの男を切り裂くのよ!」

「……!」

 瞳に強い意志を宿し、リーシェルは精霊に願いを語る。

 ダグニスが死ぬまで魔法が解けないのなら、どれだけ強力な魔法を見舞っても、心の欠片に被害が及ぶことはないだろう。

 ならば今すべきことは、己の全力を以って彼を倒すこと。それがこの作戦の大きな目標のひとつであり、リーシェルが未来を取り戻す唯一の希望だ。

 希望を見出した彼女の眼差しに、迷いはなかった。


「く……っ、何の真似だ小娘! 小僧の欠片が惜しくはないのか!」

「もちろん惜しいわ! でも、だからって引き換えにあんたのものになる!? 冗談じゃないわよ! そんな自己犠牲で彼が喜ぶはずがない! 絶対に、あんたを殺してみせるんだから!」

「……っ、なれば……!」

 寸でのところで魔法をかわし、リーシェルの覚悟に苛立ちを見せたダグニスは、腰に差していた長剣を取り出すと、一気に彼女との間合いを詰めた。そして、気配に反応したリーシェルが杖に氷の精霊を纏わせ刃とした瞬間、空気が震えるほどの衝撃が走り、刃同士がぶつかり合う。

 ギィンと高い音が鳴り響き、凄まじい力に腕は悲鳴をあげたけれど、こんなところで、引くわけには……っ。

「……なれば力づくで我が物としよう。娘を屈服させる手段など、いくらでもある。だがその前に、戦意を失くす程度には傷モノにしてくれようぞ」

「ぐ、うぅ……っ」


 必死に歯を食いしばり、抗おうと試みるリーシェルを間近に見つめ、ダグニスは何度も同じ行為を繰り返す。

 振り下ろされる強い衝撃に、リーシェルは間一髪の回避と相殺を続けていたけれど、やはり純粋な腕力ではダグニスには敵わない。

 モノにすると言った手前、致命傷となる場所は狙ってこないようだが、幾度かの斬撃の末、彼女のローブと長い髪が切れ、腕や頬に幾筋もの血が滲む。

 魔法を使う間もない猛攻に、リーシェルの表情は明らかに苦しげだ。


「にゃあああっ!」

「……!」

 と、再び振り下ろされた剣を受け、間合いを模索するリーシェルの瞳がダグニスの赤い目を捉えた、そのとき。

 不意にリーシェルの肩辺りから黒い毛玉が飛び出してきた。

 鋭い爪をダグニスに向け、バッと勢いよく出てきたのは、あまりもの乱戦にしがみついていられず、ローブに付いたフードの中でもみくちゃになっていたクロナだ。

 交わう刃にダグニスの動きが止まったことを悟った彼は、突然の出来事に目を開くダグニスの頬を引っ掻くと、くるんと一回転して地面に着地し、すぐさまリーシェルの肩に戻る。

 その瞬間を見逃さず、リーシェルがダグニスとの間合いを取ると、再びフードに入ったクロナは得意満面で言った。


「どうにゃあ! ダグニャスめ! それ以上リーシェルに近付くにゃ!」

「駄猫が……!」

「ちょっ、クロナ! 何してるのよ危ないじゃない!」

 だが、してやったり顔で叫ぶクロナの一方、リーシェルはハラハラと彼をフードの中に押し込んだ。

 ダグニスの興味がリーシェルに向いている以上、クロナに危害が及ぶことはないと算段を付けていたはずなのに、こちらから仕掛けては、彼もまたダグニスの標的となってしまう。

 それだけは何としてでも回避すべく慌てていると、不意に彼女の目に、が映った。

「……っ!」

「にゃ? にゃんか首に引っ掛かってるにゃあ」

「それ……」


 気付いたクロナが首にかけていたのは、ダグニスが持っていた、エデアの心の欠片を収めた小さなビンだった。

 どうやらあの一瞬で、偶然クロナの首に、ビンに繋がれていた紐が引っ掛かったらしい。

 だが、ダグニスが隠し持ち、殺す以外に奪う手段がないと思っていたビンを手に入れるなんて、まるで、クロナが持つエデアの要素エレメントに、欠片が反応したかのようだ。

 偶然にしては奇跡的な出来事に、場が一瞬沈黙する。


「クロナ。そのビン、しっかり持っていてね。きっともうすぐ、みんなも駆けつける。あともう少しだから!」

 ともあれ、重要な欠片を手に入れたリーシェルは、苛立った顔でこちらを睨みつけるダグニスに、もう一度杖を向けた。

 この間合いさえ保てれば、攻撃も防御も魔法で賄うことができるだろう。

 散り散りになった彼らが無事ここに辿り着けるかは分からないけれど、奴を殺すと決めたのだ。その思いは決して、揺るがない。


「風の精霊! ……っ!」

「小娘が! 我との間合いを保てると思うな!」

「ひあ……っ!」


 だが、交渉材料を、あろうことか猫に奪われたことが癇に障ったのか、ダグニスはいきなり跳躍すると、彼女に刃を突き立てた。風の精霊の力を借り、疾風の如く駆ける斬撃がリーシェルの腕を掠め、傷だらけだった左腕からどうっと赤い鮮血が舞う。

 幸い利き手は無事であるものの、このままでは……!


「――精霊! リーシェルを守れ!」


 と、ダグニスの激しい怒りがリーシェルを見舞った、そのとき。

 幾つもの聞き知った声がようやく傍に現れた。


 魔法名家の集結。

 これがきっと、戦いの終焉を告げる切り札になる。

 駆け足でリーシェルの元に集まる彼らの姿に、彼女の頬がほんの少しだけ緩んだのだった。

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