第24話 女神の調べ

「ついに幹部たちとの闘いが始まったみたいだねぇ」


 リーシェルをはじめとした魔法名家の面々が、闇魔法師団幹部と相対していたころ。

 上空から戦況を見守るミネアは、届いた知らせに眉根を寄せると、重苦しく呟いた。

 一時は、眼下に広がる背の高い木々や、岩が林立する地形を利用し、上手く敵をかわせればとも考えていたが、やはりそう上手くいくものではないらしい。

 先程から常に響く怒号と爆音に、焦りばかりが募っていく。


「やはり避けられませんか……。皆さん、無事だと良いのですが……」

「うむ……」

「ところでおばば様、先程から風の精霊たちが引っ切り無しに知らせをくれるようですが、皆さんの戦況を誰が報告しているのです?」

 すると、皆の無事を祈りつつ、じっと下を見つめるミネアに、マクレスは同じくらい表情を硬くしながら、不思議そうに問いかけた。

 山岳地帯上空に到着して以来、ミネアの元には各人の行動が定期的に報告されている。

 リーシェルたちが逐一知らせているとは思えないが、この混戦の中、それをやってのけるのは何者だろう。

「ああ、小人たちだよ。ルシウスが要請したのとは別に、個人的に親しくしている小人たちに、追跡と状況報告を依頼したのさ」


 ヒュウと吹く風と共に、また一通の知らせを受け取るミネアを見つめ、首を傾げる孫の孫たちに、彼女は笑顔で説明した。

 小さな体躯と俊敏さが特徴の小人たちは、とりわけ魔法族と親しい種族のひとつだ。

 きちんと人語を操り、追跡・尾行・情報収集に長けた彼らなら、確かに誰の目に触れることもなく状況を把握し、知らせをくれるだろう。状況を見て歌を届けると言ったミネアの作戦を真に理解したマクレスは、周囲を警戒しながら、チェリフィアたちの出番を待った。



「……そろそろ、頃合いかねぇ」

 状況が動いたのは、それから四半時ほどのことだった。

 敵方の消耗を期待しつつリーシェルやフェズカ、ラエーレ、ルシウスらの戦況を見ていたミネアは、各地で拮抗する勝負に王手をかけるため、動き出す。

「風の精霊agrandir声を拡大して! さあチェリフィア、お前さんの出番だよ。セシリーヌちゃんが解読したこの歌を、心を込めて歌ってみなさい。精霊たちがお前さんの声をここら一帯に届けてくれる」

「はい」


 懐に忍ばせていた楽譜を取り出し、チェリフィアに手渡したミネアは、精霊に願いを語ると、彼女が歌い出すのを待った。

 一方、彼女の願いを受けその場に立ち上がったチェリフィアは、傍で支えてくれるマクレスに手を握られながら、大きく息を吸い込む。そして、楽譜に描かれたメロディを、透き通るようなソプラノに乗せ、歌う。

 この戦いが、一刻も早く終結することを願って。




「――光と風と水と炎の精霊、力を貸して!」

 同じころ。いきなり四種もの精霊に語り掛けたリーシェルは、自身の魔力エレメントの結晶である黄緑色の礫を纏うと、目の前にいる闇魔法師団幹部を始末するため、魔法を繰り出した。

 途端、願いに応じた精霊たちは彼女の元へ集い、魔力と共に形を変える。

 嵐のような風が巻き起こり、水と炎によって生まれた雲が光を得て雷雲へと変貌。不吉な黒雲が辺りを覆った、そのとき。


「……!」


 不意に森を渡る風が揺らめき、透き通るような歌が響いた。

 空から響く柔らかな歌声は、山岳地帯とフェレアの森を包み込み、精霊たちをキラキラと力強く輝かせていく。

 それはまさに、精霊たちが力を持つ歌声に鼓舞され、エネルギーを増している証拠に他ならないのだが、こんなにも力強く輝く様は、これまでに見たことがない。

 そして、これを歌っているのは、魔力を持たないはずの少女だ。

 建国神話における「イリゼの女神」の伝説――魔法名家を加護する七つの精霊を纏い、非魔法族ながら、精霊を鼓舞する歌声を持つという伝説は本当だったのだ。

 まるで直射日光に反射するダイヤモンドの如き精霊の輝きに、思わず目を細めたリーシェルは、加護を受けた自身の魔力エレメントもまた、力を増していることを感じ、次の瞬間、勝機を悟った。


「さあ往生しなさい! 風の精霊mistral暴風起こして! そして光の精霊éclair稲妻!」

「く……っ! 炎の精霊……!」

 突然の出来事に判断を鈍らせた男を見据え、リーシェルは精霊たちに願いを語った。

 途端、今までになく強い魔法が巻き起こり、襲い掛かった風と稲妻は、瞬く間に大地を抉りながら、雷鳴と共に男を貫く。

 これまでの苦戦が嘘のように圧倒的な力を見せつけられた男は、黒焦げになったまま倒れ伏し、その道をリーシェルに譲ることになった。


「ふぅ。これが「イリゼの女神」。本当にすごいわね」

「にゃあ、びっくりしたにゃあ。リーシェル、無事?」

 今までになく手応えのある魔法に感心を浮かべ、黒焦げになった男を見下ろしていると、不意に茂みががさりと揺れて、ヒトガタ化中のクロナが顔を出した。

 鉤爪付きの手袋から血を滴らせたクロナは、相手にしていた雑魚を倒した後なのか、なんとなく得意げな顔でリーシェルを心配している。

「もちろん無事よ。クロナも二人を倒せたようね。偉いわ」

「にゃーん。疲れたけど僕だってやればできるにゃ。綺麗な歌にやる気も出たしにゃあ」

「ええ。でもいいなぁー……。私も歌が上手だったら……」

 クロナに付いた血を拭い、得意満面で抱きついて来る彼に、リーシェルは頭を撫でると複雑な顔で呟いた。

 折角豊富な魔力エレメントを持っているにも拘らず、自分の力では精霊を鼓舞できない音痴にがっかりされた経験も、一度や二度ではないけれど、やっぱり美声は羨ましい。

 そう思って空を見上げていると、口を塞ぐようにぎゅーと抱きしめたクロナは、若干青ざめて言った。

「前に僕、リーシェルの歌で気絶したから、絶対にダメにゃ」

「ぐ……っ。悔しい……。でも、取りえず本拠地に向けて進みましょう!」



 こうして、イリゼの女神による歌が、力と運を運び込み、戦況は魔法名家に優位となった。

 リーシェルの幹部撃破に続き、それまで苦戦を強いられていたフェズカやルシウスも相手を討伐。レシノスに至っては、結局リンクスを差し置き、一人で幹部を倒してしまった。

 また、運よく幹部と出くわさずに進むラエーレやオリティナは、束になってかかって来る雑魚たちを華麗に蹴散らし、作戦会議の際、目的地とした闇魔法師団本拠地へ向け一気に駆ける。

 その間もチェリフィアの歌は、時折セシリーヌの妖艶なアルトを挟みながらも鳴り響き、魔法名家に力を貸す。


 時刻は正午過ぎ。

 まもなく闇魔法師団一掃作戦の開始から、八時間が経とうとしていた――。




「……」

 山岳地帯に位置する城砦で、男は空を見上げていた。


 ここは数百年前まで、辺境伯の所有地だった国境の砦。

 かつては北の帝国の抑制地として強力な軍隊が駐屯していたという城砦も、今や歴史の流れに忘れ去られ、闇魔法師団の本拠地へと姿を変えている。

 そんな石造りの堅牢な城では、闇のように深い黒髪に、鮮血を思わせる赤い瞳。妖艶で美しく、そして不気味なほどに鋭い双眸そうぼうを持つ男が、響いた歌に眉根を寄せていた。

 もっとも彼としても、奴らへの戦争を決めた以上、反撃や奇襲は想定内。だが、予期しなかった歌という力に、苛立ちを隠せなかったのだ。


「……素敵な歌だねぇ、ダグニス。これが「イリゼの女神」というやつなのかな」

 すると、黒く染まる感情をむき出しに、中庭に面した窓辺から空を見上げる男――ダクニス・テラーを見つめ、ふと奥にいた青年が気の抜けた声で呟いた。

 そちらに目を向けると、薄茶色の髪に眼鏡をかけた青年がいて、彼は苛立つダグニスを気にした様子もなく、呑気に紅茶を飲んでいる。

 戦いに参加せず、首領を呼び捨てにするあたり、彼もまた高位の幹部なのだろう。

「迷惑な話だ。我らは魔法族こそ、この世の覇権を握る種族だと証明するために動いているのだ。それをなぜ、魔法名家共が邪魔をするのか、理解に苦しむ」

「うーん。大きな目標にはそれに見合う代償がつきものだからねぇ。彼らは見せかけの平和と不平等に甘んじ、代償を払う気がないからこそ、僕らの邪魔をしているのだろう。人間という圧倒的な数に立ち向かう勇気さえあれば、誰しも僕らに賛同するはずなのにねぇ」

 そう言って、優雅に紅茶を啜った青年は、ちらりとダグニスを見つめ、微笑んだ。その様子はとても闇魔法師団に所属しているとは思えないほど洗練されており、ダグニスとの対比も相まって、どこかちぐはぐな存在に見える。

 しかし、そんな青年の笑みとは裏腹に、大きく舌打ちをしたダグニスは、中庭に向かって踏み出した。


「おや? どこに行くんだい?」

「邪魔な連中を撃ち落とす。イリゼの女神だろうが魔法名家だろうが、我らを邪魔する者はすべて敵なのだ。特に魔法名家など、無残な肉塊となり死ぬといい」

 地獄の使者を彷彿とさせる装いに激しい怒りを滲ませ、ダグニスは中庭の中央まで歩み出る。燃えたぎる視線の先には、花びらに乗った四人の姿がかすかに映り、彼の標的となっていた。

 尤も、この距離での正確な視認は不可能だが、圧倒的な面積を誇る魔法を使えば、どんな遠くの虫けらでも殺せる自信が彼にはあったのだ。

「相変わらず、魔法名家を恨んでいるんだねぇ、ダグニス。ま、僕らに味方しない女神なんていらないけれど」

「フン。お前は出て来るなよ、カーマ」

「はいはい」



「炎の精霊、Tuer殺せ! 空から歌を届ける愚かな一向に鉄槌を下すのだ!」

 そして、カーマと呼ばれた青年が穏やかな笑みを返した、瞬間。

 目も止まらぬ速さで杖を振り上げたダグニスは、ほとんど黒に近い深紫色の礫を出現させると、精霊に願いを語った。途端、煉獄の炎が燃え盛り、空に浮かぶ彼らを――。


calme凪いで精霊! あの子たちを撃ち落とすなんて許さないわ!」


 だが、そのとき。

 不意に響いた女性の声が、ダグニスの魔法を打ち消した。

 黒猫を肩に乗せ、桃色の瞳に怒りを宿した彼女は、因縁深き、リーシェル・ネセセリア。


 実に五八〇年ぶりとなる邂逅に、ダグニスの瞳が大きく見開かれた。

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