第20話 公爵様、野宿を知る
仲睦まじいリーシェルと愛猫のやり取りを最後に、闇魔法師団一掃作戦の会議は終わりを告げ、遠くからすみれ色の空がやって来た。
円卓に集いし面々は、それぞれの立場や考えに合わせて移動、または休息をはじめ、場がほんの少し閑散としてくる。
「ルシウスさん、それでは一旦資料を片付けて、宿に戻る準備をしますね」
そんな中、近くでリーシェルたちの様子を見守っていたマクレスは、資料を集めて切り出した。
地図や紙束を抱えた彼は、手際よくそれらを鞄に詰め込み、彼を手伝うように、妻のチェリフィアも幾つか資料を手にしている。
だが、明らか帰る準備といった彼らに、ルシウスは驚いた表情だ。
「なに言ってんだマクレス。いつ何が起こるか分からないんだ。今日はここで野宿だろう」
「のじゅく……?」
「そのためにテントやら布やら準備して……なんだその表情」
マクレスの発言に、然も当たり前と野宿を提言するルシウスの一方、彼の言葉に目を瞬いたマクレスは、初めて聞いた単語のように繰り返した。
周囲を見ると、誰もがルシウスの言葉に首肯しているようだが、「のじゅく」とはまさか、野に宿すということだろうか。
「え? もしかして、ここに泊まるということですか? ここは外ですよ? 地面ですよ!? 人が一晩過ごす場所では到底ないと思いますが……?」
「坊ちゃんめ……」
辿り着いた野宿の意味に、チェリフィアと顔を見合わせたマクレスは、狼狽えた顔で問いかけた。
途端ルシウスは、何かを悟ったように目元を手で覆い、ぼそりと呟く。
すると、彼らのやり取りを傍で見ていたミネアは、孫の孫を相当気に入ったのか、満面の笑みで言った。
「諦めなさいな、ルシウス。ベルグリア家はフランヴェーヌ王国随一の貴族。そんな二人がふかふかベッド以外で眠ったことがあるとでも?」
「……いや、そうですよね。魔法部に来てもらったときも、お互い価値観の違いに戸惑いましたし、本当は公爵様を呼び捨てること自体、おかしいのも承知なんですけど……」
にこやかな笑みで当然と告げるミネアに、ルシウスはがっくりと項垂れた。
地位の話をするなら、魔法名家もまた王族に次ぐ地位を有する存在として、公爵と並び遜色はない。だが貴族と違い、高貴な振る舞いや教養を重要視するわけでもない魔法族にとって、貴族の価値観は分かりかねるものだった。
「じゃあ私が、素敵なテントとハンモックを作ってあげるわ。それなら地面で眠る必要もないし、屋根があれば安心でしょう?」
「……!」
すると、最早野宿という単語に怯えた様子の二人をどうしたものかと見つめるルシウスに、しばらくしてリーシェルが提案した。
随分昔の話だが、野宿に不慣れだった彼女もまた、似たような感情を抱いたことがある。
教え子の子孫だからというわけではないが、協力者として、少しでも不安を取り除いてあげたいと思ったようだ。
「すいません、リーシェル先生。野宿、慣れさせておくんで、今回はよろしくお願いします」
「ええ、任せて」
「ちょっ……二人に何さす気だいルシウス! 野山に放り出す気なら許さないよ」
「冗談ですよ、ミネア先生……」
「……さて、じゃあ精霊さん」
礼と共に軽口を叩くルシウスと、すぐさま食って掛かるミネアの声を後ろに聞きながら、リーシェルは精霊たちに願いを語った。
途端、風の精霊が布やロープを運び、森の木々が土台となる。
しなやかな枝と蔦葉が弧を描いたそれは、丈夫な麻布を天幕とし、やがて、ツリーハウスのようなしっかりとしたテントが出来上がる。
野宿にしては明らかにグレードの高い仕上がりに、近くから歓声が上がった。
「流石リーシェル先生。これなら眠れるだろ、二人とも」
「……た、たぶん」
「これ以上はないからな。嫌なら地べた! よし、次は夕食だ。材料も持ってきていただろう」
だが、素晴らしいテントを前に、相変わらず引き攣った表情で立ち
野宿にあたり、彼らは事前に調理器具や食材も用意してきている。
なのにどうして宿に戻るだなんて発想に……。
「分かりました。持参品はすべてあちらにあるので準備いたします、が、チェリフィアに包丁なんて危ないものを持たせないでくださいね。重たいものもダメですよ」
「過保護な旦那め……」
滝のように零れ落ちそうになる呆れと文句をしまい込み、この場で休息を取る面子に確認を取りながら、ルシウスは準備を済ませると、今度はセシリーヌらと共に夕食を作り出した。
チェリフィアのような公爵夫人や、普段から使用人を大勢雇っているリーシェル辺りは例外だが、大抵は自炊ができる面々だ。
キッチンだろうが野営だろうが、食事には困らない。
やがて、おいしそうな香りと共に出来上がった料理の数々を平らげた一行は、明日に備え、早めの就寝と相成った。
その夜――。
割り当てられたテントにて、クロナと共に眠りに落ちていたリーシェルは、ふと近くから聞こえてきた焚き火の音に目を覚ました。
就寝にあたり火の類はすべて消したはずだが、
万が一の敵襲を考え、もそもそとテントから這い出たリーシェルは、爪を服に引っ掛け、取れないクロナを抱えると、音の方に目を向けた。
「……あら。こんなところでどうしたの?」
するとそこにいたのは、寄り添うように座り込み、無言のまま炎を見つめていたマクレスとチェリフィアだ。
どこか切ない面持ちで肩を並べる二人は、リーシェルの声掛けに驚いた顔をしている。
「もう随分と遅い時間だわ。もしかしてテントが気に入らなかったのかしら?」
「いえ、そんな……。なんとなく寝付けなくて」
呑気に鼻提灯を膨らませるクロナを抱いたまま、二人のすぐ傍まで近付くリーシェルに、マクレスは歯切れ悪く呟いた。
彼の表情は、その昔、悩みを抱えていたミネアのそれによく似ている。
もしかして、ルシウスやミネアには言えないような、何か困りごとでもあるのだろうか。
「その、何と言いますか、魔法族の方々は本当に、長生きなんだなと実感しまして……」
「……?」
長年の教師としての感か、柔らかい声音でそれを問うと、マクレスは言うべき言葉に悩んだように呟いた。
リーシェルにとっては当たり前のことだが、非魔法族の世界で生きてきた彼らにとって、この環境は未だ馴染めないものなのだろう。
真意を掴み損ねた顔で首を傾げる彼女に、マクレスはなおも口を開き、
「ルシウスさんたちと初めて会ったときも、見た目は同じくらいの歳なのに、実際は倍ほども年齢が違うことに驚いたものです。魔法族は身の内に
「……なるほど。つまりあなたは私たちと出会い、自分が
寄り添うチェリフィアの手を握り、種族の違いを怖がるように呟くマクレスに、リーシェルは、ようやく状況を察し頷いた。
彼らの話によると、もともと自国で大臣をしていたマクレスは、縁あって王国に隠れ住む小人たちの地位向上に貢献。それを知ったルシウスが自分の夢に必要な人材だと考え、半ば強引に二人を魔法部へ迎えたというのだ。
これまでどんな仕事を
「はい。彼女のいない人生は俺にとってあり得ません。共に歳を重ねていきたい。でも、魔法族の血を引く俺に、その願いを叶えるのは難しいと、気付いて……」
「それならたぶん、心配いらないわ」
「……?」
「ミネアちゃんが言っていたでしょう? チェリフィアちゃんは「
すると、改めて突き付けられた寿命の差に落ち込む二人を見つめ、リーシェルは数時間前ミネアが言っていた女神の話を切り出した。
建国神話に登場する「
七つの
女神の能力に対する事実的根拠は、歴史の流れに晒され乏しい部分もあるものの、今だけはそれを信じたい。
だって……。
「伝説によると「
「……!」
「つまり、その伝説が本当なら、あなたの
生徒を導くように優しく笑い、リーシェルは戸惑いを浮かべていた彼らの頭を優しく撫でた。
誰だって、大切な人とは末長く一緒にいたいと願うものだ。
彼女もまた、失った時を取り戻そうと今なお奔走し続けている。
だから、この素敵な夫婦にも素敵な奇跡があると信じたかった。
「……そうですね。ありがとうございます、リーシェルさん。少し心が軽くなりました」
リーシェルが浮かべる柔らかい笑みと、森を渡る穏やかな風に、しばらく黙りこくっていたマクレスは、チェリフィアと顔を見合わせた後で頷いた。
安心した途端やって来る眠気に、二人の表情が
それを見たリーシェルは、笑みを深くすると、彼らのために作ったテントを指差した。
「さあ、もう寝ましょう。明日からきっと、慌ただしくなるわ」
「はい」
夜が明けたら、闇魔法師団一掃作戦が始まる。
「むにゃあ……リーシェルは僕が守る……。むにゃにゃ……」
頭をそちらに切り替えなければと心に浮かべ、リーシェルは、相変わらず爪を引っ掻けて離れないクロナの寝言を聞きながら、再び眠りに就いた。
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