第16話 戦場の水際へ
「じゃあ、私たちは行くわ。スーリャ、しばらく店をお願いね」
「はい。リーシェル先生も、クロナちゃんも、お気を付けて」
闇魔法師団を一掃するための作戦へ参加を決め、一週間が経った。
王宮での作戦会議を経てシエラリスの街に戻って来たリーシェルは今日、クウィンザーとソフィリス王国の魔法騎士団が予防線を張っているというフェレアの森の北部へ向け、旅立つ。
これから作戦が終わるまでは、教師も雑貨屋の仕事もお休みだ。
学校には他の教師陣と共に休職願いを出してきた。
雑貨屋の方は元からスーリャに任せているし、きっと仕事は問題ないだろう。
あとは無事に作戦をやり遂げ、ダグニス・テラーを問い詰めるだけだ。
「先生……、無事に帰ってきてくださいね。私、待っていますからね」
すると、心の中でそれを誓い、スーリャに魔女の雑貨屋を託けた途端、彼女は未だかつてない状況に不安を覚えているのか、とても心配げな顔をして言った。
リーシェルの手をぎゅっと握りしめ、わずかに瞳を揺らした彼女は、少し震えているようだ。
「もちろんよ。クロナと一緒に必ず帰ると約束するわ」
そんなスーリャに小さく笑みを見せたリーシェルは、手を握り返すと優しく告げた。
これは、エデアとの未来を取り戻すきっかけになるかもしれない作戦なのだ。
願いを叶えるまで、絶対死ぬわけにはいかない。
「絶対ですよ。リーシェル先生がいなくなっちゃったら嫌ですからね」
「ええ」
固く手を握り合い、約束を交わしたリーシェルは、様々な魔法道具を詰め込んだ鞄を背負うと、クロナ肩に乗せ、魔女の雑貨屋から歩き出した。
まずはシエラリスの駅に行き、フェズカやラエーレたちと合流だ。
そして、蒸気機関車を使って隣国・ソフィリスへ。
フェレアの森北部へは、森の獣道を徒歩で突っ切るよりもソフィリス経由の方が早いらしい。
順序を頭の中で復唱しながら、リーシェルは肩に乗るクロナを撫でる。
「……ねぇ、クロナ。本当にいいのね?」
「にゃにが?」
「私と一緒に行くことについてよ。正直何があるか分からないし、エデアと一緒にお留守番していてもいいのよ?」
すると、無意識に頬の辺りをなでなでしていた彼女は、ふとクロナの意思を確かめるように問いかけた。
今回、作戦決行の舞台は、闇魔法師団の拠点である山岳地帯と、そこに隣接するフェレアの森北東部になるだろうと聞いていた。
それに際し、万が一にも、あの森で眠り続けるエデアに被害が及ばぬよう、リーシェルとフェズカは森に出向き、彼をネセセリア家の別邸に運んできた。
正直に言えば、クロナも一緒に待っていて欲しいというのが本心だった。
「にゃあ、いまさらにゃに言ってるんにゃ。僕はリーシェルの相棒でしょう」
「……!」
と、心配そうなリーシェルのなでなでに喉を鳴らしていたクロナは、当たり前と言わんばかりの表情で彼女の頬に肉球を押し当て、断固宣言した。
リーシェルを見つめる氷色の瞳には、譲らない決意が宿り、とても引く様子はなさそうだ。
「こういうときこそ相棒の出番! 二度とリーシェルに寄り付かにゃあよう、僕だってダグニャスを引っ掻いてやるんにゃ。絶対一緒に行くにゃ」
「……っ」
「置いて行かれても前みたいに追いかけるだけにゃ。連れて行ってリーシェル」
捲し立てるようににゃあにゃあ言って、肉球攻撃をするクロナに、リーシェルは少しばかり逡巡した様子で黙り込んだ。
だが、彼の意思が固い以上、今回ばかりは尊重すべきなのだろう。
それを悟った彼女は、もう一度クロナを撫でると、小さく息を吐いて言った。
「分かったわ。でも無茶は絶対にダメよ。もし危ないと判断したら、風の精霊に頼んで屋敷に帰ってもらうからね」
「にゃ……っ。気を付けるにゃ……」
了承を得つつも無茶をすれば強制退場を仄めかすリーシェルに、クロナは大人しく頷いた。
もしかしたら、彼女のためならどんなことでも…と意気込んでいた心情を、悟られたのかもしれない。
だが、一先ず同行を許されたことにホッとしていると、前方の人影が見えてきた。
「リーシェル!」
「姉様、みんな。相変わらず集合が早いわね~」
「お前が遅いんだよ。他の連中はもう、何本か前の機関車で先行してる。俺たちが最後だ」
よいしょと鞄を背負い直し、集まっていた四人のもとへ向かうと、懐中時計を見ていたフェズカがいつものように呆れ口調で彼女を小突いた。
集まっていたのはラエーレとフェズカ、ティジー、ミネアで、他の面子は順次先にフェレアの森北部へ向かっているのだという。
だが、駅の中から間もなくの発車を告げるアナウンスが聞こえる中、リーシェルは小首を傾げて言った。
「あれ? でも明日の午前中までにソフィリス入りして、情報収集に当たっている欧州国際連盟魔法部の職員と最終打ち合わせの予定じゃ……?」
「普通はアクシデントに備えて数時間前に着いておくもんだ。ほら、行くぞ」
昔から時間ピッタリに着けば問題ないで計算するリーシェルをもう一回小突いた一行は、蒸気機関車に乗り込むと、隣国ソフィリスへ向かい出発した。
機関車はシエラリスの駅を出て、元はフェレアの森に唯一あった、クウィンザー王国とソフィリス王国を結ぶ街道沿いの線路を通り、半日以上をかけて森を抜ける。
そこから先はソフィリスの街々を通りつつ、フェレアの森北部に接する町、ビストルへ。
ビストル近くの森に設けられた野営地では、欧州国際連盟との橋渡しを務める魔法部の職員が、彼らを待っているという。
だからまずは、その場へ到着するのが、今日一番の目的だった。
「ソフィリスか~。私、なんだかんだ二回くらいしか行ったことないのよね」
すると、五人で一つのコンパートメントに集まり、どことなく緊張感が漂う中で、膝の上に乗るクロナを撫でながら窓の外を眺めていたリーシェルは、誰にともなく呟いた。
まだ作戦決行前だからかもしれないが、硬い面持ちで呪文集をめくるラエーレやティジーと違い、彼女は幾分気楽な様子だ。
と、そんな彼女に、ダグニスとの一件を知らないミネアは、意外そうに目を見開いて言った。
「そうなんですか? では全部終わったらご案内しましょうか? クウィンザーとはまた違うお料理やお菓子もたくさんありますし、私の大叔父が王立の薬草園を管理しているので、先生の好きな植物もたくさんありますよ」
「わぁ~、それもいいわね。じゃあいずれお願いするわ、ミネアちゃん」
「はい!」
「呑気だな、お前ら……」
――復習を続ける者、他愛ない会話に興じる者、それぞれを乗せ、クウィンザー王国発の蒸気機関車は黒煙を噴きあげながら、ソフィリス王国へ向け、ひた走る。
日が沈み、すみれ色の空が宵闇へと変わり、そして、またゆっくりと日が昇る。
彼らはここから町の南東部に広がる森を進み、魔法部職員と合流予定だ。
魔法部からは誰が派遣されているか事前に聞いていないものの、駅のホームに降り立ったリーシェルは、大きく伸びをしながら言った。
「魔法部か~。この辺りの地理に詳しいって言ったら、彼が来ているかもね」
「ん? 誰だ?」
「レシノスの曾孫よ。あの子は魔法部にいるから」
自分とティジーの荷物を持ち、さらには襟巻のようにクークスを肩に巻きつけ、よいしょと降りてきたフェズカに、彼女は少しばかり懐かしげに笑った。
すると、彼女の言葉に頷いたフェズカは、思い当たったそれに同じく笑みを見せると、
「ああ、ルシウスか。俺の愛弟子。確かにあいつなら進んで来そうだ。まぁ、行きゃ分かるだろ。もう一息頑張って進むぞ」
「はぁい」
そのころ。
魔法部職員との合流地であるフェレアの森北部の空き地には、大きな円卓が広がり、宛ら会議室のような空間が広がっていた。
やって来た魔法族の面子には都度配置と情報を提供しているのか、今ここにいるのは、職員と思われる二人の青年だけだ。
どちらも端正な顔立ちをした彼らは、円卓の周りで忙しなく準備を進めながら、時折挿む会話と共に仕事に没頭しているようだ。
「……ん? 風の精霊から遣いだ」
すると、持ち込んだ資料を片手に、何やら考え事をしていた青年の元へ、しばらくして風の精霊経由で伝言が届いた。
ミルクティーベージュの髪を風に
「おい、マクレス。もうすぐリーシェル先生たちが来られるそうだ。今回の協力者たちの中でも一番の
「追加の情報は今記載しました、ルシウスさん。では、一旦奥で休息を取っておられる魔法名家の皆様にも集まっていただきましょうか?」
「そうだな。今セシリーヌたちがお茶を配りに行っているから、
若草色の髪に、エメラルドグリーンの瞳を持つ青年の問いかけに、ルシウスと呼ばれた彼は、懐から杖を取り出して精霊に願いを告げると、すぐさま準備に舞い戻った。
リーシェルを「先生」と呼ぶあたり、彼もまたリーシェルの教え子なのだろう。
気持ち生き生きし出したルシウスに、マクレスと呼ばれていた青年は、不思議そうに言った。
「よほど素晴らしい方なのですね。そのリーシェル先生と言う女性は」
「ああ。俺が出会った中で一番の魔法薬の作り手だ。早く会わせてやりたいよ」
「そうですか」
さわさわと木々がざわめく森の中、二人は着実に準備を進め、一行の到着を待った。
どうやら、闇魔法師団一掃作戦は、間もなく始まろうとしているようだ――。
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