第二幕 少女は黒猫と未来を夢見る

第14話 嫌な知らせ

 クロナがリーシェルの秘密を知ってから、一三〇年が経った。

幾つかの革命と戦争を経て大きく発展した世界は今、十九世紀の半ばを進み、機械化による成長と混迷が続いている。


 一八五九年春…――。

目眩めくるめく状況の中、魔法大国の名を維持し続けるクウィンザー王国に、今年も春がやって来た。

シエラリスに建つネセセリア家の屋敷では、リラの木が満開の花を咲かせ、中世の名残りを有した幾何学式庭園にも春の息吹が漂っている。

「クロナ~、そろそろ起きて。魔法学校へ向かうわよ~」

「にゃあああ……」

 そんな、相変わらずとも言うべき大きな屋敷から、リーシェルの溌溂とした声が聞こえてきたのは、朝の八時を回ったころだった。

時代の移ろいと共に、首元をきっちり締め、広がった裾が印象的なクリノリンドレスへと服装が変化したリーシェルは、今もイオルシュタイン魔法学校で働き続けている。

もっとも、枕の上で丸くなるクロナをツンツンつつきながら、懐中時計を気にする光景が日常化しているところを見るに、彼女の実験はまだ発展途上のようだが、微笑ましいやりとりを見かけた使用人たちは、皆一様に笑顔で彼らを見守っている。

「ほら、起きて。置いて行くわよ」

「にゃあ…リーシェル、抱っこ……」

「……仕方ないわね。風の精霊たちに振り落とされないように掴まっているのよ」

「にゃあああ……」



 春眠暁を覚えずとでも言うべきか、この時期は特に起きないクロナを連れ、屋敷を出たリーシェルは、イオルシュタイン魔法学校に向かい、風に乗る。

シエラリス中央広場を横切り、すぐ傍に建つ駅舎を迂回。

昔と違って、黒光りした武骨な蒸気機関車が王都との間を行き来するようになった今、交通の利便性も遥かに向上しているのだろう。

吹き上げる黒煙に気を付けながら、街を眺めたリーシェルは、やがて、ここだけ時代が戻ったかと錯覚を覚えるほどの荘厳さを持つ魔法学校に降り立った。


「やっと来たか、リーシェル。今日も遅刻スレスレだな」

「おはよう、フェズ兄。みんな集まってどうしたの?」

 すると、堅牢な正門を抜け、教室に向かい歩みを進めていたリーシェルは、校舎の入り口に集まる同僚たちの姿に目を瞬いた。

そこには兄貴分フェズカをはじめ、彼の奥様であるティジーや、夫との死別を経て魔法民俗学の教師となったミネアなど、魔法名家を中心に魔力と知識豊富な面子が揃っている。

とはいえ、臨時の職員会議でもあるまいし、こんな場所で一体何をしているのだろう。

「王宮から急ぎ召集の命令があった。どうにも嫌な知らせらしい」

「え……」

 内心そんなことを思いながら、手招きするフェズカに小首をかしげると、彼は珍しく深刻な顔をして言った。

その手には、王家の紋章印入りの封筒が握られ、中に手紙と数枚の切符が同封されている。

だが、あまりにも突然の話に、リーシェルは頭が追いついていない様子だ。

「校長宛てに今朝早く届いたらしい。九時十五分の機関車に乗って、王宮へ集合せよ。詳細は追って伝える。……ってだけの内容で、俺たち八人を呼び出している。今日の講義は休講だ」

「それは確かに嫌な雰囲気……って、九時十五分じゃ、あと二十分しかないわよ」

「お前がなかなか来ないからだろ。ほら、行くぞ」


 フェズカが告げる手紙の内容と、突然の命令、そしてタイムリミットのなさに目を見開いたリーシェルは、文句を言う兄貴分に頭を小突かれながら、慌てて踵を返した。

途端、正門に向かう先生方の集団に、通りがかった生徒たちの驚きが見えたが、詳しいことは何も言えないらしい。

苦笑のまま魔法学校を出て、シエラリスの駅を目指す彼らは、汽笛の音を横目に時間ギリギリで五両編成の機関車に乗り込む。

ここから王都までは、おおよそ四時間弱と言ったところだろう。

風に乗って移動するより寒さも魔力の消費も防げ、馬車より早いことから、魔法族にも機関車は定着しつつある。

車窓を流れる風景を見つめ、リーシェルは心の中に渦巻く疑問と微かな不安を胸に、王都ネイピアに向かった。



「お待ちしておりました、皆様。陛下の命により、皆様をご案内いたします」

「……!」

 王都の駅に着くと、迎えの馬車が既に彼らを待っていた。

四頭立ての大きな馬車の前には、立派な服装に身を包んだ御者がいて、彼は恭しい仕草で一礼し、魔法族の一行を出迎える。その来賓のようなもてなしに、普段こういったことに縁のないリーシェルたちは、若干戸惑った様子だ。

「何回経験してもこういうのって慣れないわ。前に呼び出されたのって、いつだったかしら?」

 ガラガラと回る車輪の音を聞きながら、馬車に乗り込んだ彼らは、駅から十五分ほどの場所にある豪華絢爛な王宮へと進んで行った。

王宮の前には、まるで盾のように魔法名家たるネセセリア家とシープス家の屋敷が並び、時代を経てなお、変わらない荘厳さが見て取れる。

それらを横目に、リーシェルは肩をすくめると、膝の上で眠るクロナを撫でながらぼやいた。

風らしい気質故か、堅苦しいことが苦手な彼女に、この待遇は合わないようだ。

すると、彼女の心情を察しながら、フェズカは苦笑して言った。

「あー、西で起きた革命の時……七十年くらい前じゃねぇか?」

「そんなに最近だったっけ? でも今の陛下にお会いするのは皆初めてよね」

「ああ。そういや、まだ二十代の小僧って話だったな。今回は何の要件なんだか」


 七十年前を最近だの陛下を小僧だの、長く生きる彼らだからこそのやり取りになんとなく場が凍ったところで、馬車は王宮の玄関口へと到着した。

城内には非魔法族を中心とした使用人と、魔法族の護衛とが行き交い、どこか忙しない雰囲気に満ちている。

やはり、今回の呼び出しにも相応の理由があるのだろう。

それを肌で感じながら、一行は案内されるがまま謁見の間へ向かった。


「あらリーシェル、久しぶりね」

「ラエーレ姉様、オリティナにユタまで……みんな呼び出されたの?」

 謁見の間に足を踏み入れると、先に呼び出されていたらしい魔法族の姿が目に入った。

そこにはリーシェルの姉・ラエーレをはじめ、姪のオリティナ、彼女のパートナーである粋碧すいへきの一族の青年・ユタなど、国内屈指の実力者たちが集められているようだ。

「ええ。陛下から大事なお話があるということで、みんな集結しているみたい。何事かしらね?」

「うーん……?」

「おいババアども、陛下の御前で喋ってんじゃねーよ」

「……!」

 と、久方ぶりに会う親族と共に何気ない話をしていた彼女たちの元へ、しばらくして国王と共に一人の少年が現れた。

十五~六歳くらいの幼い見た目に随分な物言いを乗せた少年は、やって来たクウィンザー国王と隣国・ソフィリス国王の後ろに、付き従うように立っている。

その既視感のある姿に、先んじて声を上げたのは、近くで教師陣と話していたミネアだ。

「相変わらず口が悪いねぇ、リンクス。流石レシノスの孫の孫。もう少し敬意を持ちなさいな」

「フン、本当のことを言って何が悪いってんだ」

「ふぅ、やれやれだよ」


 ミネアの忠告に鼻を鳴らし、そっぽを向いた少年――ソフィリス国王の付き人で、今やソフィリス王国魔法騎士団筆頭魔法使いへと成長したレシノスの孫の孫・リンクスは、全員を黙らせると、国王たちに目を向けた。

いつの間にか、両国の魔法騎士団まで集結した謁見の間は物々しい空気となり、やがて、前方に立つクウィンザー国王が口を開く。

「唐突にお呼び立てして申し訳なかった。欧州国際連盟から喫緊の連絡があり、皆様にお集まりいただいた次第。詳細を記載できなかった点についても、デリケートな事案を外部に漏らしなくなかった故だ。というのも……」

 眉根に皺を寄せ、時折ソフィリス王と視線を交わしながら、クウィンザー王は語り出す。

即位二年目で今年二十九歳になるという国王は、目の前に揃う魔法族に圧倒されているのか、なんとなく表情がぎこちない。

 そもそも、政治的な価値観を諸外国と合わせるため、古くからこの国の王族は非魔法族と決まっていて、彼もまた例外なく、国内に二割ほどしかいないと言われる非魔法族だ。

尤も、種族間平等を謳うこの国で、魔力の有無に対する差別は見られないものの、押し負けそうなクウィンザー王の姿に、一部では苦笑が浮かんでいる。


「……という次第で、連盟からの報告によると、近年各地で暗躍を続けている闇魔法師団と呼ばれる連中が、我々へ過去最大規模の戦を仕掛けようとしていることが判明した」

「……!」

「そこで我ら魔法王国は、欧州国際連盟と協力し、戦の阻止と奴らの排除に動こうと思う。その作戦に、皆様も参加をしていただきたいのだ」

 それはさておき、一連の理由を説明した王は、集まった皆にそう本題を提示した。

予想以上に話に場は静まり返り、嫌な沈黙が謁見の間を包み込む。

と、彼らの動揺を悟ったのか、今度は聴き手に回っていたソフィリス王が口を開いた。

「突然のことで戸惑いもあることでしょう。もちろん、参戦は義務ではありません。先日、我が国の魔法名家と有力な魔法族の方々に同様の説明をしましたが、やはり満場一致とはなりませんでしたので……」

「……」

「しかし、闇魔法師団は危険な連中です。特に今回の件で奴らの首領と判明しただけは、何としてでも捕えなければ」

「え……」


 クウィンザー王と同年代と思われる相貌そうぼうに強い決意を乗せ、ソフィリス王は集まった一人一人の顔を順に見て言った。

途端動揺の声を上げたのは、クロナを肩に乗せたまま話を聞いていたリーシェルだ。

慌ててフェズカやラエーレに目を遣ると、彼らもまた、心底驚いた顔で瞳を揺らしている。

だが、この状況で王たちが下手な嘘を吐くわけもない。

その結論に至ったリーシェルは、無意識にクロナを撫でると、わずかに指を震わせ、心の中でひとりごちた。


(ダグニス・テラーはあのとき、私の魔法で死んだはず……。一体、どういうことなの……!?)

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