第11話 過去と記憶の中で

 ――話は今から四五〇年以上前に遡る。

クウィンザー王国に古くから根付く二つの魔法名家に、同い年の子供たちがいた。

一人は、風の精霊の加護を受けた風伯ふうはくの一族の娘・リーシェル。

もう一人は、氷の精霊の加護を受けた氷晶ひょうしょうの一族の息子・エデア。

彼らは幼いころから仲が良く、ほとんど毎日のように一緒にいる姿が見受けられたという。


「エデアーっ! 見て、お父様からまた新しい魔法書をもらったの! 一緒に読もう」

「きみは本当に魔法や実験が好きだなぁ、リーシェル。ふふ、じゃあ今日は天気もいいし、庭で読もうか。西の庭園に花が咲いたらしいよ」

「うん!」

 王都ネイピアに建つ豪華絢爛な屋敷を探検しながら、彼らはいつも、楽しげに笑った。

時代は十三世紀の後期に入り、世の異端審問が教皇主導になってから四十年余り。

この平和な光景とは裏腹に、魔法族は世界から忌避の目を向けられ、加盟した「欧州国際連盟」と呼ばれる組織の庇護の下、何とかまつりごとこなしているような状況。

魔法族の筆頭たる魔法名家は、王族や国民の矛、そして盾として国を支え、リーシェルとエデアもまた、将来は王国を守る矛たれと教え込まれ、育ったそうだ。


 そんな彼らが両親の勧めで許婚となったのは、八歳のときだった。

一族屈指の豊富な魔力エレメントを持つリーシェルと、明るい彼女をいつでも支え、守る温厚なエデア。

彼らならきっと、異端審問の風が吹き荒れる厳しい時代にあっても、温かな幸せを描けるだろうと、誰もが信じていたのだ…――。


 だが……。


 十五歳で正式に婚約し、恋人としての愛を育んでいた十七歳の夏。

イオルシュタイン魔法学校の夏季休暇に合わせ、王都に帰省していた彼らの元に一人の男が現れたことで、二人の人生は一変する。



「リーシェル・ネセセリア。お前を貰い受けに来た」

「……!?」

 あれは、夏にしては肌寒い八月一日ことだった。

自宅にエデアを招き、二人きりでお茶をたしなんでいた彼らの元に、男は突然やって来た。

肩まで伸びた真っ黒な髪に、鮮血を思わせる赤い瞳。

鋭く整っていながら、どこか不吉な相貌そうぼうをした男は、夏に似つかわしくない黒服をまとい、地獄の使者を彷彿とさせる不気味な雰囲気を放っている。

「何者だ、お前は……!」

「我が名はダグニス・テラー。類稀なる魔力エレメントを持つ娘をいただく。小僧、お前に用はない」

「ダク…ニス……?」

 バルコニーから堂々と侵入し、咄嗟に立ち上がってリーシェルを庇うエデアに、男は淡々と、機械じみた声音で自らの名をそう告げた。

途端、二人の表情に驚きと影が差し、部屋中の緊張感が嫌と言うほどに高まる。


 ダグニス・テラーと言えば、魔法学校のある街・シエラリスの山奥に住むと噂される悪名高き魔法使いの名前だ。

その残虐ぶりはおぞましく、生きたまま人間の手足や皮を千切り、弄んでは打ち捨てるような加虐的な性格で、百年以上前から危険視されていると聞く。

その一方で、彼の姿を目に生き延びた者がないせいか、容姿は謎に包まれ、事件を起こす度、逮捕を試みる魔法騎士団の追撃をいとも容易くかわし続けていると、魔法学校の教師たちも話していた。

その男がなぜ、突如ここに現れたのか。

不安と恐怖に空気が凍る中、赤い瞳がリーシェルを捕らえ、男はなおも言葉を紡ぐ。


「お前がリーシェルだな。類稀なその魔力を見初めた。我と共に来い。この虐げられるだけの世界を壊し、我らこそがこの世の覇権を握る種族だと証明しようではないか」

「……!?」

 不気味さの漂う深い笑みに、愛情か、執着か、はたまた別の何かを乗せ、男はリーシェルに手を伸ばした。

「な…何を言っているの……?」

 求婚とも闇への誘いとも採れる言葉に、リーシェルは表情を強張らせ、怖がるようにエデアの服の袖をぎゅっと握りしめる。

普段は快活で、物怖じしないことも多い彼女だが、本物の悪を前に怯えているのだろう。

その手が震えていることに気付いたエデアは、氷色の瞳に怒りを宿すと、彼女を守るために男を睨みつけた。


「ふざけたことを言うな! リーシェルがそんな……」

「小僧、お前に用はないと何度言えば理解できる」

「……っ!」

「エデアっ!」

 強大な黒い狼に目を付けられながらも、決して退こうとしないうさぎを追い払うかの如く、男は杖を振ると、風の力でエデアを後ろに吹き飛ばした。

据えられていた棚が彼の背を打ち、分厚い本をはじめとした収納物がばらばらと飛散する。

「エデア、大丈夫っ? 怪我は……」

「お前は我と来るのだ、娘」

「きゃあっ」

 と、苦悶に満ちた顔で床にずり落ちたエデアを想い、咄嗟に駆け寄ろうとしたリーシェルを阻んだ男は、彼女の手を掴むと強引に抱き寄せた。

長く伸びた爪が皮膚に食い込み、強すぎる握力にたまらず悲鳴が上がる。

だが、抱きすくめられる寸前、男を突っ撥ねたリーシェルは、必死で抵抗を試みた。

こんな男に抱擁をくれてやるほど、彼女は大人しやかではないのだ。


「離して……っ! 誰があんたなんかと行くものですか!」

「なぜ? これほどの魔力エレメントを持ちながら、ただの魔法名家いい子ちゃんで過ごすなど勿体ない。我がお前の力を活用してやると言うのだ」

「確かに今の世界は理不尽まみれよ。でも、だからと言って、非魔法族を力でねじ伏せようだなんて考えは絶対に間違っている! それに私は、エデアと人生を歩むの! あんたなんかお呼びじゃないんだから~っ!」

 薄く涙の浮かぶ瞳を男に向け、リーシェルは拘束を解いてもらうべく、ぎゅうと自分の腕を引っ張った。途端、深く食い込む爪に腕は悲鳴をあげたけれど、このまま連れて行かれるくらいなら、腕をくれてやった方がまだマシというものだ。

「……フム、ならば」

「!」

 すると、心の中でそれを思い、腕を引き続ける彼女を、無表情のまま見つめていた男は、不意に何を思ったのか、リーシェルの腕を解放した。

そして、次の瞬間、男の赤い瞳が、後ろで同じように離せと言い続けていたエデアに向く。

寒気を覚えるほどの双眸そうぼうには殺意と、狂気が宿っているようだ。


「エデア……っ!」

 男の視線がエデアに向く寸前、その殺意を見たリーシェルは、すぐさまエデアを守るべく、彼に駆け寄ろうとした。

だが……。

「ぐあっ!」

 流れるような仕草で精霊たちに願いを告げた男は、いとも容易くエデアの腕を奪ってみせた。

気付くと彼の右腕からは、赤い薔薇の花びらのような鮮血が舞い、糸の切れた人形の如く、腕がぼとりと床に落ちる。

あまりにも衝撃的な光景に、今見たことが現実だと理解できないほどの動揺が走った。


「これならどうだ、娘? お前を縛り付けるすべてのものを壊してみせよう。魔法名家など、我にとっては雑作もない」

「エデア……? 嘘でしょう? しっかりしてよ、エデア!」

「……っ」

「嫌っ、嫌よ……? 早く、治癒をしないと……」

 薄ら笑いを浮かべ、楽しむような男の声を尻目に、リーシェルはエデアに駆け寄ると、動転した様子で、今にも気を失いそうな彼に泣き縋った。

出血のせいか、紙のような顔色をしたエデアは、リーシェルの声にもほとんど反応を示さない。

最悪の想定が頭に浮かんだ途端、彼女の心臓がドクンと大きく鳴った気がした。


「フフフ、やはり人間の悲鳴は至高だ。さあ次はどこを裂かれたい? 小僧!」


 だが、猟奇的な笑みで男が再び杖を振り上げた、瞬間。


「い、嫌ぁ――――っ!」


 ――バチっ!


「……!?」

 リーシェルの悲鳴とともに、大きな音を立てて光が爆ぜた。

途端、彼女の強い魔力エレメントに反応した精霊たちが騒ぎ出し、暴れ回る声が聞こえてくる。

だけど、光に比例するように意識は遠のき、そのあと何が起きたのかは覚えていない。

ただ、湧き上がるような自分の力を、抑えられなかったことだけは、確かだ…――。




「――…っ」

「目ぇ覚めたか、リーシェル」

 次に意識を取り戻したとき、彼女は自分の部屋で天蓋付きの大きなベッドに寝かされていた。

足元には見知らぬ黒猫が一匹いて、毛玉のまま、すやすやと寝息を立てている。

そして、傍にいたのはリーシェルの兄姉と、彼らに会うため屋敷に来ていたフェズカ。

三人は見たことがないほど深刻な顔でリーシェルの周りに寄り添い、彼女の目が覚めるのを待っていたようだ。

「兄様、姉様…それに、フェズ兄まで……。どうし……ハッ! エデアは?」

「……っ」

 ゆっくりと体を起こし、まるで、リーシェルが不治の病にでも罹ったかのような深刻さで、周りを囲んでいた彼らを見回したリーシェルは、すぐにエデアを探して身を乗り出した。

あのとき、エデアは男のせいでひどく出血をしていた。

自分がどれだけ眠っていたのかは分からないが、自分よりも心配すべきなのは彼のはずだ。

なのにどうして、三人ともこの部屋にいるのだろう?


「ねぇ、エデアはどこ? 彼、酷い怪我をしているの……! 突然、ダグニス・テラーと名乗る男が現れて、それで……っ」

一先ひとまず落ち着け、リーシェル。あいつは今、客間で寝ている」

 落ち着かない気持ちのまま、今にも飛び出していきそうなリーシェルを宥めるように、フェズカは硬い声音でぼそりとそれを呟いた。

同時に、リーシェルの姉が彼女をベッドに押し戻し、リーシェルは否応なしにもう一度ベッドに寝かされる。

だが、エデアが客間で眠っているということは、彼もまた無事と思っていいのだろうか?

「じゃあ無事なのね? そうなのよね? ねぇ、フェズ兄?」

 一抹の期待と、答えをくれたフェズカが見せるあまりにも悲痛な表情に、リーシェルは不安を拭えないまま、急かすように問いかけた。

そこには無事でいて欲しい気持ちと、形容しがたい不安が入り混じり、複雑な声色が浮かんでいる。

と、そんな彼女をまっすぐに見つめたフェズカは、少し迷った後で、覚悟を決めた眼差しに残酷な決意を乗せ、口を開いた。


「よく聞け、リーシェル。あいつは…――」

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