第9話 クロナ、追跡開始!

「にゃああ~……」


 リーシェルの旅立ちから半日が経った。

 久方ぶりの快晴が広がるシエラリスの街は、明るい活気に満ち、夏の太陽が容赦なく地上を照らしては、名残りの雨粒を煌めかせている。

 そんな夏らしい空気が漂う魔女の雑貨屋で、クロナはひとりふてくされていた。

 リーシェルのいない屋敷が嫌になったのか、雑貨屋のカウンターでへそ天を決め込む彼は、堂々と商売の邪魔をしている。


「ご機嫌斜めね、クロナちゃん」

「スーニャぁ、もう何日か経ったかにゃあ……。リーシェルはまだ帰って来にゃあのか~」

 すると、ぶんぶんとしっぽを振って、商品をカウンターに置けないようにするクロナの地味な行動に、機嫌の悪さを察しながら、スーリャは困った様子で呟いた。

 五十年に一度の既視感のある光景とはいえ、飼い主ではないスーリャが、無理に彼を退かすことはできない。

 だからこそ困る彼女にクロナが言うと、スーリャは笑顔で遠慮なく断言した。

「残念ながら、まだ一日以内ね。それより、そこにいるとお客様の荷物や商品に潰されちゃうかもしれないわ。あなたに何かあったらリーシェル先生が悲しむし、退いてくれると助かるな」

「にゃああ……」

 オブラート一枚にすら包むことなく、満面の笑みで告げた彼女は、ごろんと転がって項垂れるクロナを気にしながら、やって来る客たちの方に目を向けた。


 魔法名家が営む雑貨屋は、どうやら街の人々にとって欠かせないものらしく、リーシェル本人が自覚しているかどうかは怪しいものの、毎日たくさんの人が訪れる。

 彼らの多くは、常備薬や魔法道具を求めて来ているようだが、時折リーシェルが集めてきた奇怪な観葉植物を買って行く者もおり、閉店時間まで客足が途絶えないことも珍しくはなかった。


「にゃあ、僕散歩てくる」

 すると、客たちに対する警戒心よりも、リーシェルがいない悲しみに項垂れる気持ちの方が大きいのか、しばらくごろごろ転がり続けていたクロナは、突然起き上がると、ぴょんとカウンターから飛び降りた。

 そして、ちょうど買い物に来ていた老婆の横をすり抜け、「気を付けるのよー」と、見送るスーリャの声を背に、真夏の太陽が照る外を歩き出す。



(にゃあ……どうしてリーシェルは、いつもこのときだけ、僕を置いて行くのかにゃあ)

 魔女の雑貨屋を出て、人々が行き交うシエラリス中央広場を横切り、涼しい日陰を選びながらひとり思うのは、やはり自分を置いて行ったリーシェルのこと。

 クロナは自他ともに認めるリーシェルの相棒だ。

 どこにいくも何をするも一緒で、それは四五〇年変わらない日常。

 彼女はクロナの記憶を取り戻そうと、未だに実験を続けているようだったが、やっぱりそんなものはどうでもよくて、ただ一緒にいることが幸せだった。

 だが最近は、謎の人物「エデア」然り、リーシェルに好きな人がいること然り、出会って初めて受けるショックな出来事ばかり。

 それでいて理由も告げずに置いて行かれるなんて、どうしても、嫌だと思ってしまう。


 リーシェルが森に置いて来た後悔とは何だろう。

 クロナが知らないと言うことは、自分が出会う、もしくは記憶を失くす前にした後悔だと予想できる。

 だけど、つまりそれは、彼女が本当に十代だったころの出来事だ。

 今でも後悔するほど、彼女の過去に、何があったと言うのだろう――。



「あらクロナちゃんだ」

「……!」

 と、そのとき。

 とぼとぼと、最早自分がどこを歩いているのかすら分からないまま、思案の旅を続けていたクロナは、ふと頭上から聞こえてきた声に目を見開いた。

 咄嗟に身構えて顔を上げると、そこにいたのはフクロウを肩に乗せた女性。

 茶色のローブを羽織り、こちらを見下ろすこの人は、確か魔女の雑貨屋の常連で、よくリーシェルと変な植物を自慢し合っている…植物学者の人ではないだろうか。

「ひとりでお散歩なんて珍しいわねぇ。さっき雑貨屋に行ったら、リーシェルさん、しばらく不在って言うから、てっきりきみもお出掛け中かと思ったのに、置いて行かれちゃったの?」

 既視感はあれど名前は思い出せない。そんな曖昧な記憶に、クロナがちょっぴり首を傾げていると、ふわふわのブルネットを揺らした女性は、おもむろにしゃがんで言った。

 どうやら彼女の方はクロナに親しみを持っているようだが、やっぱり名前は出てこない。

「にゃああ」

 そう思って曖昧に鳴くと、彼女は右頬に手を添えて言う。

「あらまぁ。じゃあ寂しいわねぇ。魔女の追跡は、気配の付与でもしてなきゃ難しいし……」

「……!」

「心配される前にお家に帰るんだよ」


 残念そうに呟いた彼女は、クロナの喉元を撫でた後で立ち上がると、彼とは反対の方向へ歩き出した。

 その間も、彼女の肩に乗る木葉木菟コノハズクはじっとクロナを見つめ、何かを訴えかけている。

 まるで射るかのような視線に、クロナは大きく頷いた。


(にゃあ。気配の付与、その手があったにゃ……)


 気配の付与とは、使い魔が契約した魔法使いに行う特殊な魔法のひとつだ。

 自分の気配、魔力エレメントを魔法使いに与えることで、使い魔は常にその気配を辿り、主人の元へ向かうことができる。

 その目的は、例えば戦場などで逸れた際の捜索、窮地に駆け付けるための切り札など、個々によって様々だが、言われてみればクロナは数年前、あの木葉木菟コノハズクに教えてもらい、これをこっそりリーシェルに付けていた。

 目的は自分の迷子防止用だったのだが、結局そんな日は来ず、すっかり忘れていたけれど、この気配を辿ればクロナはリーシェルを追いかけられるだろう。

 わずかな希望に、クロナはすぐさま屋敷へと走り出した。



「あぁ、クロナさん。ようやくお帰りですね。スーリャさんから散歩に出たきり帰ってこないと言われて、心配していましたのよ」

「にゃ、ハヴィ……」

 全速力で屋敷へ帰ると、なぜか玄関先でハヴィがクロナの帰りを待っていた。

 人じゃあるまいし、猫の気ままなお散歩を待つ必要はないと思うのだが、お嬢様に世話を任されている以上、扱いは人と同じなのだろうか?

 そう思って彼女を見上げると、ハヴィはクロナに対しても敬語を貫きながら言った。

「もうすぐ食事が出来上がります。いつも通りダイニングで召し上がりますか?」

「……いらにゃい。リーシェルもいにゃあだし、僕のことはほっといていいにゃ」

「そうはいきません。あなたはお嬢様の大事な存在。我々の手でお守りする義務があるのです」

「にゃああ……」

 気が急いでいるせいか、いつかのリーシェルのような、ぞんざいな口ぶりであしらうクロナに、しかしハヴィは断固として首を振った。

 そして、困った顔で小さく鳴くクロナに構わず、そっと後を追ってくる。


 本当は、すぐにでもフェレアの森へ向かいたいクロナだったが、散歩に出たきり一度も帰らないとなれば、屋敷の人間やスーリャに心配され、下手したら出発からわずかな時間で大捜索が始まってしまうだろう。

 それを避けるため、夜を待とうと帰って来たのに、このままではずーっと、保護と言う名の監視がつきまとってしまいそうだ。

(どうしようかにゃ……)

「いかがなさいますか」

「にゃ……今日はリーシェルの部屋でゆっくり食べるにゃ。お部屋にいるから持ってきて」


 心の中のため息を押し殺し、リーシェルの部屋で時間を潰すことにしたクロナは、彼女の残り香に寂しくなりながら、ベッドの上をごろごろ転がった。

 そのうちいい香りがしてきて、ハヴィが運んできた食事を平らげ、使用人たちが眠るのを待つ。

 行動開始は夜半過ぎ。

 きっと、リーシェルを見つけ出してみせる。



 そして、満月の光が夜を照らす深夜。

 レースのカーテンを通し、光が部屋に落ちる景色を眺めていたクロナは、日付が変わるのに合わせて屋敷の音が消えたのを確認すると、そっと窓を開け放った。

 柔らかい風が頬を撫で、ヒゲがそよそよと揺れる。

 さぁ追跡開始。

 窓から外へと飛躍したクロナは、フェレアの森へ向かい、ついに走り出した。


(待っていろ、リーシェル。絶対に追いついて見せるからにゃ……)




 ――そのころ、フェズカと共に旅立ったリーシェルは、霧がかる森の中にいた。

 既に仮眠を取った後なのか、炎と光の精霊を従えて進む彼らは、休む気配すらなく進んで行く。

 もっとも、フェズカの肩で鼻提灯を膨らませるクークスだけは眠りに就いているようだが、暁前の静謐せいひつな森に、二人の足音だけが響いていた。

「このまま順調に行けば、あと一日ってところか。覚悟は……」

「大丈夫よ、フェズ兄。もう気持ちは決まっているわ。むしろ、気持ちが折れちゃう前に早く辿り着きたい」

「そうか」

 わずかな獣道を縫うように、見慣れない草木の横をすり抜けながら、彼らはどんどんと森の奥へ踏み入って行った。

 月明かりすらほとんど届かない状況においても、二人は現在位置と目的地が分かっているのか、迷う素振りすら見せない。

 付き従う精霊たちは、適度に森の動物たちを蹴散らしては二人の足元を照らし、狐火のようにふわふわと漂うばかりだ。


 時刻はおそらく戊夜ぼやのあたり。

 そろそろ東の空が白み出してきてもおかしくはないだろう。

 クロナと別れ、おおよそ丸一日が経つ森の中で、リーシェルはただ彼のことを想った。


(あと一日。もうすぐ、あの人に逢えるのね……)

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