第7話 時期がきた

 シエラリスの街に本格的な夏がやって来た。

光の精霊が嬉々として街や森を渡り、踊り煌めくこの季節は、一年で一番エネルギーに満ちた季節と言えるだろう。


「あ~、やっと終わったわ! 全学年分間に合った~」

 そんな白い太陽が降り注ぐ陽気の中、リーシェルはイオルシュタイン魔法学校に来ていた。

どうやら、明日から迎える夏季休暇に向け、課題づくりに追われていたようだ。

魔法学校の一階にある職員室で黙々と作業をこなしていた彼女は、完遂した途端、人目もはばからずに大きく伸びをして、他の先生方を驚かせている。

「クロナ、ちょっと手を貸してくれる? これを印刷したら教室に向かいましょう」

「にゃ……。猫の手にゃんて、そう役に立たにゃあよ」

「猫は猫でも私の相棒なのに……。まだご機嫌斜めなの?」

「……」

 だが、勢いよく立ち上がって羽を伸ばす彼女の笑顔とは裏腹に、クロナは床に転がると、ふてくされた様子で呟いた。

リーシェルに好きな人がいると告げて以降、彼の機嫌は低迷気味だ。

もっとも、リーシェルの傍を離れることはしないので、本気で嫌われたわけではないようだが、パタパタとしっぽを振る様に機嫌の悪さが窺える。

「しょうがないわねぇ。じゃあここにいてもいいけれど、床で寝ていると、またフェズ兄に蹴飛ばされるかもしれないから気を付けるのよ」


 黒い大理石の床で、堂々とへそ天するクロナに肩をすくめたリーシェルは、幾枚かの用紙を抱えると、職員室の隣にある活版印刷機の部屋にやって来た。

十六世紀ごろ西欧から輸入し、魔法で加工された印刷機は、二百年余りを経た今も元気に動き、リーシェルの課題を印刷していく。

と、遠くから鐘楼の鐘の音が聞こえてきた。

「まずは一年生のところね。課題が多すぎって文句を言われないといいけれど」



「――…じゃあ、色んな先生に言われていると思うけれど、事故がないように楽しく過ごすのよ。あと、課題を後回しにし過ぎないこと。毎年言っても休暇の最終日に徹夜で課題して、翌日遅刻する生徒が必ずいるんだもの、困っちゃうわ」

「ははは、気を付けます~」

「言ったわね、モーリス。このクラスじゃあなたが一番怪しいわよ~?」

 夏季休暇前最後と言うこともあり、今日の講義は雑談がメインとなっていた。

ちょうどこの時間は、最終学年の生徒たちを相手にしているようだが、週二の教師とはいえ、今世紀初頭から三十年余り勤続しているリーシェルは、慣れた様子だ。

毎年必ず現れる「課題は休暇の最後にやる派」の失敗談をいくつか挙げた彼女は、紐でまとめた課題をひとりひとりに配っていく。

「にゃあ~……」

 一方、フェズカに蹴飛ばされる危険性を察知したのか、はたまた傍にはいたいのか、結局リーシェルにくっついて来たクロナは、教壇の上で丸くなりながら講義を眺めていた。

時刻は間もなく昼。

明日からの休暇を思い、浮足立つ生徒たちに合わせるように、荘厳な魔法学校も、今日ばかりは柔らかな雰囲気に満ちているようだ。



「あっ、ミネアちゃんとレシノス。ちょっといいかしら」

 そして、講義が終わり、閑散とし始めた魔法薬学の教室で。

ブラックボードの文字を魔法で消していたリーシェルは、教科資料を抱える二人を見つけると、思い出した顔で声を掛けた。

「どうしました?」

 途端二人は、何事かと言った様子で顔を見合わせていたが、そんな彼らに、リーシェルは繊細な模様入りの封筒を取り出して言う。

「二人は休暇中、実家に帰るかしら?」

「はい。私は帰ろうと思います」

「俺も帰りますけど……それがどうかしました?」

「帰るついでにご両親に手紙を渡してほしくてね。ほら、二人のご両親も私の教え子だから、今でも何かと交流があるのよ」


 質問の意図が汲み取れないながら、それでも答えを告げるミネアとレシノスに、リーシェルはそう言って手紙を差し出した。

二人の実家は隣国ソフィリスにあり、彼らは普段、学校内の寮で暮らしている。

イオルシュタインがクウィンザー王国とソフィリス王国共通の魔法学校である以上、それ自体は何ら不思議なことではないのだが、リーシェルのお願いに、二人ともようやく合点がいった様子だ。

「あー、なるほど。分かりました。母さんに渡しておきます」

「私もママに渡しますね」

「ありがとう。二人とも、学生最後の夏季休暇を楽しむのよ」

 受け取った手紙を課題の上に乗せ、頷く彼らに、リーシェルは礼を告げ微笑んだ。

彼らはもうすぐこの学校を卒業し、一人前の魔法使いとして世間へ羽ばたいていく。

その前に、今しかできないことを楽しんでほしいと思った。


「はい。私は実家に寄った後、キュリスところへ遊びに行く予定なので、中欧のお土産を買ってきますね」

「まぁ、楽しんでいらっしゃい。レシノスは? 何か予定はあるの?」

 すると、卒業後ベルグリア家への嫁入りを決意したミネアは、嬉しそうに笑って言った。

夏空に負けないほど晴れやかな笑顔を見せるミネアに、リーシェルは表情を綻ばせ、今度はレシノスにも問いかける。

と、なぜか曖昧な顔をした彼は、しばらく黙った後でぞんざいに言った。

「俺はじーさんが狩りに誘ってくれたんで、夏中はサバイバル生活っすね」

「あらら。レシノスのおじいさんはソフィリスの魔法騎士団所属だったわね。前に会ったときは孫に跡を~なんて話していたわ」

「あぁ……おかげで実家に帰ると、狩りだの山登りだのさせられてますよ。嫌いじゃないすけど、夏休みくらい自堕落に過ごしたいですね」

 わざとらしくため息を吐き、レシノスはちょっとばかり面倒そうに呟いた。

彼の生まれたアフォロニア家は、魔法名家きっての武闘派として名高く、騎士としての武功を挙げているものも多いと聞く。

レシノスにしても、魔法戦闘術の授業では右に出るものがいないほど、高い戦闘能力を有しているのだが、根がおおざっぱで面倒くさがりなせいか、楽しみ切れない部分もあるようだ。


「そういうリーシェル先生は休み中何するんです? 王都に帰省すか?」

 そんなレシノスのため息に、ミネアと二人で顔を見合わせ笑んでいると、彼はひとつ間を開けた後で、話題をリーシェルに振って来た。

門衛やメイドなどの使用人を除き、教職員もまた長い夏季休暇に入る。

フェズカは自身の使い魔である白狐と共にフェレアの森へ探検に行く、などと子供じみたことを言っていたが、リーシェルはどんなことをして過ごすのだろう。

「私はもちろん実験よ。あとは往診もあるし帰省はしないかな~。兄様と姉様は時々帰って来いって連絡を寄越すんだけど、私、どうにもあのでっかいお屋敷が性に合わなくて……」

「今でも相当デカい屋敷に住んでいると思いますけど」

 胸を張って堂々と実験を宣言しつつ帰省を渋るリーシェルに、レシノスは思わず呟いた。

彼女が暮らす屋敷は、この学校を除き、街で一番の大きさを誇っている。

だが、流石魔法名家の令嬢だけあって、リーシェルはけろりとした様子だ。

「あの屋敷はネセセリア家の別邸だもの、たいしたことないわよ。あなた達の実家だってもっと立派でしょう? あと、私は王都より自然豊かなシエラリスの方が好きだしね」



(……それに、王都はがあった場所だから、あまり帰りたくないのよね……)

 雑談を経て二人と別れたリーシェルは、クロナ連れると、秘かに続きの言葉をひとりごちた。

過去に想いを馳せているのか、中庭を行く彼女はなんとなく複雑な顔をしている。


「あ、リーシェルちゃん」

「……!」

 すると、そんな彼女の前方に、灰茶色の髪を低い位置で束ねたたおやかな女性が現れた。

優しい表情で手を振る彼女は、魔法基礎の教師であり、フェズカの奥様でもある地祇ちぎの魔女・ティジーだ。

リーシェルとしても長い付き合いを持つ彼女は、リーシェルよりも幾分か年上に見えるかんばせに笑みを浮かべ言った。

「見つかってよかった。今日で学校もしばらくお休みになることだし、一緒に夕食でもと思って探していたのよ。今晩どうかしら?」

「わ、久しぶりですね」

「でしょう? 彼も喜ぶと思うの」

「嬉しいです。ぜひ伺わせてください」

 左頬に手を当て、小首をかしげるような仕草で切り出すティジーに、それまで複雑な面持ちを見せていたリーシェルは、嬉しそうに微笑んだ。

その笑みは、とても四百路とは思えないほど見た目相応で、愛らしい。

すると、彼女の反応に満足げな表情したティジーは、うんと頷いて言った。

「じゃあ決まりね。今晩家で待っているわ」


(ティジーさんとフェズ兄とご飯。久々ね。本当なら、彼らとももっと……)

 今度はフェズカを探しに行くティジーを見送り、それまで見せていた笑みに、ほんのわずかな影を乗せたリーシェルは、注ぐ日差しのことなど忘れたように呟いた。

その間も夏の太陽は容赦なく彼らを照らし、肩に乗るクロナは「僕溶けそう……」と、しっぽを振ってリーシェルに移動を促している。

だが、今ばかりは思案がすべての感覚を鈍らせているのか、クロナの声にも暑さにも、リーシェルは気付いていない様子だ。



「……こんなところで突っ立ってると、そのうち倒れるぞ、リーシェル」

 それからどのくらいの時間が経っただろう。

中庭で棒立ちのまま思案にふけっていたリーシェルは、フェズカの声に目を瞬いた。

気付く額には汗が浮かび、クロナも涼しげな木陰に避難している。

まだ午後の授業を告げる鐘は鳴っていないようだが、フェズカの呆れ顔を見るに、ティジーが去ってから結構な時間が過ぎているのだろう。

思わず時計を探す仕草をしながら、リーシェルは無意識に言った。

「ごめんなさいフェズ兄。考え事をしていたの」

「……」

「それよりさ……」

「リーシェル、今から四日後だ」

「……!」


 すると、何かを避けるように言葉を紡ぐ彼女を見つめ、フェズカは突然そう呟いた。

その意味は彼らにしか分からないようだが、事実を突きつける言葉に、リーシェルは硬い表情をしている。


「時期が来たぞ、リーシェル。フェレアの森へ向かうときだ」

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