第6話 魔法医リーシェル

 震える声で泣きすがるシルキアをどうにかなだめ、雑貨屋奥の実験室を出たリーシェルは、眠たげなクロナを抱えると、彼女の家に向かいながら詳しい事情を聞くことにした。

熱を帯びた夏風がそよぐ大通りは賑やかで、商人たちの掛け声や、ご婦人方の話声があちこちから聞こえてくる。


「……じゃあシルキア、状況を詳細に教えてくれるかしら?」

 そんな人々を横目に、風の精霊の力で空を渡るリーシェルは、隣を行くシルキアに優しい声音で問いかけた。

すると、頷く彼女は、涙を浮かべたままぽつりぽつりと話し出す。

「はい。私と彼は三日ほど前から、王都の店に魔法とうを卸すため出掛けていました。それで、今日も朝早くから帰りの荷馬車を走らせて……、だけど、その途中、山道で落石が……」

「……!」

「あまりにも突然のことに防御が間に合わなくて……咄嗟に彼が、私を庇って……それで……。できる限りの手当てはしましたが、やはり素人では充分な治癒ができないんです。だから……」

 嗚咽混じりの苦しげな声に悲痛を乗せ、シルキアは状況を説明した。

つまり魔法医としてのリーシェルに、治癒を依頼したいと言うことらしい。


 そもそも魔力エレメントを使って治癒を行う魔法医は、魔法名家にのみ許された職業だ。

なぜなら、人が持つ治癒力をはじめとした要素エレメントに働きかけ、怪我や病気を治癒するには、多くの魔力の消費が必要となる。

人が持つ魔力の総量は各個人の器によるものの、一般の魔法使いに人を完全に治癒できるだけの魔力が宿るケースは少なく、無理に魔力を与えれば、自身の命が危ぶまれる危険性があった。

魔力の枯渇・消失は魔法族にとっての死だ。

そのため、古来より魔法医は精霊の加護を受け、豊富な魔力を有する魔法名家の仕事とされ、本職とならずとも彼らは資格を得ていることが多い。

実際、リーシェルの兄貴分であるフェズカもこの資格を有しており、彼は魔法学校の保健医的な存在でもあった。


「分かったわ。一先ひとまず怪我の状態の確認をしましょう」

 それはさておき、大方の事情を聞いたリーシェルは、目的地に着くと、シルキアの案内で建物の二階へ上がっていった。

限界まで自身の魔力を与え、応急処置をしたというシルキアだが、彼女は一般の魔法族だ。

出来る治癒にも限界があるだろう。

「……!」

 そんなことを思いながら、シルキアの恋人が眠る部屋へと通されたリーシェルは、目の前の光景に目を見開いた。

ベッドに横たわり、全身至るところに包帯を巻いた彼は、青白い顔で眠っている。

「昔先生に教えてもらったように、傷口に魔力エレメントを充てて止血はしています。でも、これ以上はもう…どうしたらいいか、分からなくて……っ」

「……。大変な思いをしたわね、シルキア。確認のため、彼に触れてもいいかしら」

「はい。よろしくお願いします……っ」


 恋人の悲惨な姿に、また涙するシルキアの頭を優しく撫でたリーシェルは、硬い表情のまま彼の傍に寄ると、診察を開始していった。

シルキアの言うように止血はされているようだが、落石が直接当たりでもしたのか、複数の骨折が見られるほか、魔力も随分と枯渇しかけている。

もっとも、骨折の方はリーシェルの魔力を加えて作った治癒薬一種ですぐに治るのだが、問題は枯渇しかけた魔力の方。

これが完全に尽きてしまえば、年齢や怪我の状態に関わらず魔法族は死んでしまう。

もちろん、他人の魔力を一時的に充填することは可能なものの、それが定着するかどうかは本人次第。

正直に言って、彼の状況に希望を見出せるだけの自信が、リーシェルにはなかった。



「……そう、ですか」

 骨折と肌表面に見られた打撲等の傷を治癒し、一旦彼の全身を包むようにリーシェルの魔力を充填させた彼女は、そのことを正直に打ち明けた。

リーシェルの魔力により、淡い黄緑色の礫に包まれた彼は、今も目覚めることなく眠り続け、死の淵を彷徨っている。

「少しは覚悟していた?」

 だが、彼女の酷とも言える説明に、平静と頷くシルキアを見つめ、リーシェルは心苦しそうに問いかけた。

雑貨屋に来たときはあれだけ取り乱して泣いていたというのに、魔法医の診察と治癒を経て下された判断を、聞き入れるだけの覚悟はあったのかもしれない。

「はい。だって……こんな大怪我、私、見たことがありませんもの……。リーシェル先生が来てくださるまで生きていたことだって、不思議なくらいです……。だから、何を聞いても受け入れるつもりで……」

「そう……」

 だが、覚悟を決めていたからこそ見せる、シルキアの悲痛な顔に、リーシェルはほんの少し俯いた。

魔法医としてこういう場面には幾度となく遭遇して来たものの、良い判断をあげられなかったことに、胸が苦しくなる。


「……だけど先生。私、あと一度でいいから、彼と話がしたいです」

「!」

 すると、シルキアを思って表情を暗くするリーシェルに、彼女は浮かぶ涙を拭いた後でそう言った。

「ほんの数分だって構いません。このまま、何の想いも告げずに別れることだけは…したくない……。それも虚しい希望でしょうか」

 リーシェルをまっすぐに見つめ、語る彼女の瞳に宿るのは、諦めきれない強い意志。

叶わないかもしれないと分かっていて、それでも諦めを否定する姿に、姿重なった。

「……そう、ね……」

「……」

「でも、希望は決して捨ててはいけないわ、シルキア。強い想いは時として奇跡を起こす。私もそう信じてる」



 できる限りの手を尽くすと約束し、彼女に精一杯の笑顔と檄を飛ばしたリーシェルは、それから毎日のように、シルキアの元を訪れた。

初夏の陽気はいつからか暑さを増し、クロナは早くも夏バテした様子でダレていたたが、彼もまた、欠かさずくっついてきては、リーシェルと共にシルキアの恋人を見守っている。


「にゃあ……。あれから二週間。魔力はまだ馴染まにゃいのかにゃあ」

 そんなある日の夕刻。

冷たい椅子の上で丸くなっていたクロナは、険しい顔で息を吐くリーシェルに問いかけた。

患者に対する感情移入なのか、まるで自分の恋人が死の淵にいるかのような表情をしたリーシェルは、眠る彼の様子をじっと見つめ、時折魔力を譲渡している。

「……そう上手くはいかないわ。特に彼の場合、自分の魔力はほとんど残っていなかったもの。今はこうして、魔力の枯渇を防ぐのが精一杯。だけど……」

「にゃ……」

「シルキアのことを思うと、一刻も早く目覚めさせてあげたい。大事な人を目の前で失う悲しみなんて、他の誰にも味わわせたくないもの」

 魔力の結晶である黄緑色の礫を彼に当て、リーシェルは悲しげな笑顔でそう告げた。

やはり極限まで魔力が枯渇しかけた体に、他人の魔力が馴染むことは難しいらしく、リーシェルが与えた魔力の礫は、数日で空気に溶けていく。

それでも今は、これが最善の方法だと信じるしかなかった。



「――…う……」

 だが、膠着状態ともいえる療養に、ひと月して希望の光が差し込んだ。

魔法学校からの帰り道、いつものようにシルキアの家に寄り、魔力の充填を行う最中、ふと彼の表情が動いたのだ。

慌ててクロナにシルキアを呼びに行かせると、夕飯の支度中だったのか、藍色のエプロンを着けた彼女が、半信半疑な顔で飛び込んでくる。

と、彼を見つめるシルキアの表情に、久方ぶりの笑顔が浮かんだ。

「ウィンビー!」

「……シル、キ、ア……?」

「あぁ、もう二度と話せないかと……っ!」

 薄く目を開け、掠れ声で名前を呼ぶ彼に、シルキアはすぐさま駆け寄ると、その手を強く握りしめた。途端弱々しく握り返す彼のぬくもりに、胸がいっぱいになる。


「シルキア。私たちは邪魔にならないように帰るわね。また明日様子を見に来るわ」

 すると、その様子を近くで見守っていたリーシェルは、クロナを抱き上げると、微笑みと共に囁いた。

まだまだ予断を許さない状況であることは間違いないけれど、恋人たちの再会に、自分は不要な存在だ。

今はただ、二人だけで……。

「リーシェル先生! 本当にありがとうございます! 私……」

「精一杯想いを伝えなさい。何も言えず、大事な人を目の前で失う悲しみは、私もよく知っている。だからこそ、後悔のないように今できることをするのよ」

「はい……っ!」



 涙に濡れた顔で礼を言うシルキアに、毅然とした表情で告げたリーシェルは、そのまま夜の大通りを屋敷に向かって歩き出した。

温い風が頬を撫でる大通りには、顔を赤くした酔っ払いや店仕舞いをする店主など、昼間とはまた違う光景が広がっている。

「にゃあリーシェル」

「なぁに?」

「リーシェルにも好きな人がいたの?」

「……!」

 と、そんな通りの中ほどで、クロナはリーシェルに抱っこされたまま、気になったように問いかけた。

先程シルキアに告げた言葉は、どう聞いても自身の体験を吐露しているようだった。

だが、彼女と出会って四五〇年、クロナはリーシェルが異性に惹かれる姿など見たことがない。

彼女の好きは自由と実験とクロナ。

そう思っていたのは間違いだったのだろうか?


「……ええ。いるわよ」

 わずかにざわつく心を抱え、氷色の瞳で見上げるクロナに、リーシェルは少し迷った後で呟いた。

「にゃにゃっ!?」

「とっても大事で大好きな人」

「にゃ、そ、それって僕の知ってる人かにゃ……?」

 途端クロナは動揺した顔で身を乗り出し、リーシェルに言及する。

その姿はまるで、彼女の好きを知って焦る人間のようだ。

それをどこかおかしく思いながら、小さく笑みを見せたリーシェルは、不意に煌めく星空を見上げ、彼を想うように言った。


「そうねぇ。クロナにとっては、知っているとも知らないとも言える人かな」

「にゃああ!?」


 愛しさを乗せ、笑うリーシェルが放った予想外のカミングアウトに、クロナはその日以降、ショックでへそを曲げてしまった。

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