第4話 エデアって誰にゃ!

「……さ、二人ともそろそろ次の講義の準備をなさい。ここにももうすぐ下級生たちがやって来るわ」


 しばらくの沈黙ののち、西に置かれた鐘楼の鐘の音に、この時間の講義が終わったことを知ったリーシェルは、ポンと手を叩くと二人を促した。

今はたまたま空いた時間でミネアの人生相談に乗っていたものの、今日の講義はまだあるし、いつまでも彼らを留めておくわけにはいかないだろう。


「にゃあにゃにゃにゃーっ!」

「……!?」

 そう思って二人に笑みを見せた途端。

ミネアとレシノスの返事を掻き消すように、今度は廊下からけたたましい声が聞こえてきた。

何事かと思い、三人して廊下に出てみると、そこにいたのはリーシェルの兄貴分フェズカ、そして彼の魔法で首根っこを掴まれたクロナだ。

何やら喧嘩をしていたらしい彼らは、すごい形相で睨み合っている。

「な、何事なの、フェズ兄?」

「リーシェル、こいつを引き取ってくれ、今すぐ! さっきから俺に付きまとってはエデアのことを教えろってやかましいんだ!」

「……っ!」

「あたりまえにゃ! リーシェルは言わにゃいと決めたことは、絶対に教えてくれにゃあ! だからおみゃあに聞くんにゃ! エデアって誰にゃ! 教えにゃあああ!」

 石柱が目立つ長い廊下全部に聞こえそうなほど大きな声で、クロナは宙に浮いたまま、じたばたと暴れて言った。


 先程の授業で試作品の変身薬を舐めたクロナが、青年の姿となった際、偶然それを見かけたフェズカが叫んだ「エデア」と言う名前。

クロナにとっては聞き覚えのないそれが何者なのか、何度聞いても答えてくれないリーシェルの代わりに、どうやら彼はフェズカを質問攻めにしていたらしい。

だが、こちらも思うような回答を得られず、めちゃくちゃに暴れてフェズカを引っ掻いたクロナは、ご機嫌斜めな様子で彼を睨みつけている。

「あらら、難儀だったわね、フェズ兄。ちょうどいいタイミングで授業に乱入してくるからよ」

「なにっ? それはつまりタイミングの悪い俺の自業自得ってことか?」

「そんなこと言ってないじゃない。クロナは引き取るから、その抓んでいるのやめてくれる?」

 彼の頬についた何本もの引っ掻き傷を見つめ、状況を悟ったリーシェルは、肩をすくめると魔法で宙に浮くクロナに手を伸ばした。

その間も彼は「エデアって誰にゃ! リーシェルは僕のご主人様にゃぞ! 僕が知らにゃあ奴がいていいわけないのにゃ~っ!」と暴れているが、彼女を引っ掻く気はないらしい。

リーシェルが触れた途端大人しくなったクロナは、ちょっぴり悲しそうに抱っこを受け入れ、いつの間にかごろごろと喉を鳴らしている。


「……ったく、相棒の管理ぐらいしっかりしてくれよ、リーシェル」

 すると、先程までの暴れん坊が嘘のようなクロナの大人しさに、フェズカは乱れたオールバックを整えながら、疲れた様子で息を吐いた。

見た目はさておき、リーシェルの三歳年上である彼は現在四七〇歳。

暴れ猫との攻防に、大きく体力を消耗したようだ。

「ごめんなさい、フェズ兄。クロナがそんなにあの発言を気にすると思わなくて……」

「まぁ、分かりやすく嫉妬してるんだろうな。こっちの気も知らねぇでよ」

「うん……。じゃあ私、教室に戻るね。ミネアちゃんとレシノスも、次の授業に遅れないようにするのよ」

 大きなため息と呟くフェズカの言葉を、どこか切ない面持ちで聞いていたリーシェルは、おもむろに様子を見守っていた二人にも声を掛けた。

途端彼らは一瞬、迷うように視線を交錯させていたが、下手に詮索はしないと決めたようだ。

微笑みを湛えたまま時間を気にするリーシェルを見つめ、いつもの調子で口を開く。

「大丈夫っす。俺ら次の授業、フェズカ先生の魔法生物学なんで」

「一緒に行きましょうか、先生」



 フェズカを先頭に去って行く三人と別れ、魔法薬学の教室に戻ったリーシェルはその後、何事もなかった顔で、下級生たちへの講義をこなしていった。

必須科目でもある魔法薬学は、生徒たちに人気の講義らしく、様々な魔法植物の説明や実技を行う最中も、常に明るい空気に満ちている。

一方、大人しくはなったものの、答えをくれなかった彼女に思うところがあるのか、クロナはわざと教科資料の真上に陣取り、ふて寝。

その度にリーシェルは風の精霊に頼んでクロナを浮かせるなど、地味な攻防が続いていた。



 ――そして、あっという間に時は経ち、オレンジ色の日差しが教室に注ぐころ。

「帰りましょうか、クロナ」

 ようやく本日の講義を終えたリーシェルは、最終的に教室の端をふわふわさせられていたクロナ向き直ると、彼を抱きかかえて言った。

いつものように抱っこを受け入れる彼の機嫌が直ったかどうかは分からないが、機嫌バロメーターでもあるしっぽは落ち着いているようだ。

「……リーシェル、今日は僕、実験嫌だからにゃ」

 だが、正門に向かいながらこちらの様子を窺うリーシェルに気付いたのか、クロナは氷色の瞳に剣呑な光を宿すと、釘をさすように言った。

魔法学校への出勤のため一旦保留となっていたものの、今日の彼女は本来、新薬の実験をしたいと勇んでいた。スーリャに任せてきた雑貨屋も閉店する時間だし、まさかこれから実験を始めるなんて言い出しやしないだろうか。

「分かってるわ。お魚ご飯作ってもらうから、明日は実験させてね」

「にゃ……」



 不意に掻き立てられた不安を察したように、優しい笑みを零すリーシェルに連れられ、二人はシエラリスに建つ、ネセセリア家の屋敷に帰って来た。

魔法とうが照らす屋敷は明るく、色鮮やかな炎の精霊たちが広大な庭園を彩っている。

「お嬢様ーっ!」

「……!」

 と、それらを横目に、観音開きの重厚な玄関扉を開けた途端、耳に届いたのは怒りに満ちた声だった。

驚いてそちらに目を遣ると、メイドのお仕着せに身を包んだ女性――リーシェルに長い間仕えている侍女・ハヴィが、すごい勢いでこちらに歩いて来る。

あまりの勢いに、リーシェルはエントランスで立ち竦んでしまったが、そんな彼女を見つめ、ハヴィは今にも爆発しそうな勢いで言った。

「ようやくお帰りですね! お嬢様! まったく、あなたと言う人は、勝手にお出掛けなさらないでくださいと何度言えば分かるのですか! あなたはネセセリア家のお嬢様なのですよ! もっと魔法名家であることを自覚して…――」

「リーシェル、僕先に行ってるにゃあ」


 どうせ今日も勝手に起きて、朝食も取らず出掛けたリーシェルへのお小言だろう。

それを予想しながら、先にダイニングへ歩いて行くクロナの一方、ハヴィは勢いのまま言いたいことを全部ちまけた。

肩のあたりで切りそろえたストレートの黒髪を乱す姿は、せいぜい二十代半ばと言ったところだが、物言いからしておそらく実年齢は相当年上なのだろう。

しかし、お嬢様にも物怖じしない侍女のお小言に、リーシェルは適当な様子で。

「あ~。うん、分かった。次からたぶん気を付けないこともないと思うから許して」

「私は何万回その台詞を聞けば、願いが叶うのでしょう!?」

 絶対明日も同じことを繰り返すであろう、リーシェルのあしらいがちな答えに、ハヴィは顔を赤くすると、正面から彼女を見下ろした。

リーシェルよりも頭半分背の高いハヴィの視線は、随分と威圧感のあるものだったが、永遠このやり取りをしているリーシェルは、どこ吹く風だ。

「いいじゃない。私もうお嬢様って歳でもないのよ?」

「いいえ。もうこれ以上お嬢様の身に何も起きぬよう、お傍にいることが使命であると、旦那様からしかと言いつけられているのです。大体……」

「はいはい。もう続きは夕食時にでも聞くわ」


 下手したら一日中続きそうなお小言をかわし切り、クロナが待つダイニングへやって来たリーシェルは、事前にシェフたちへお願いしていたお魚ご飯をクロナに振舞った。

リーシェルとクロナ以外家人の居ないダイニングはとても静かで、豪奢な皿が並べられた大きなテーブルには随分と余白が見受けられる。

それでも、これが数百年続く二人の食事風景だった。

「おいしい?」

「にゃ」

 すると、リーシェルの願いにより、はしたなくもテーブルの上で食事をするクロナは、目の前のお魚に目を輝かせると一心にそれらを頬張った。

もっとも、彼女たちが住むクウィンザー王国は内陸にある国故、並んでいるのは川魚ばかりだが、街の三方を山に囲まれた自然豊かなシエラリスで育った魚は美味と名高い。

もちろん猫用に塩分は控えてあるものの、お魚のフルコースにクロナは満足そうだ。

ちなみに、食事のお供はおなかを壊すのでミルクではなく、お水である。




 ――こうして、長かった魔女の一日は終わりを告げ、彼らはふかふかのベッドに潜り込む。

朝はおなかの上で寝る、なんて息巻いていたクロナも、結局はリーシェルの隣に寄り添い、今は二の腕の辺りに鼻元を押し付け、同時にふみふみしながら喉を鳴らしている。

甘えたようにごろごろと喉を鳴らす姿はとても愛らしいのだが、

「イタ……っ、クロナ、爪が出てるから……」

「我慢にゃ。ふみふみしたいのにゃ」

 クロナのふみふみは、勢い余ってちょっぴり爪が出るので、幸せだけど痛かった。

爪切りをさせてくれないおかげで絹のネグリジェは、いつも二の腕の辺りだけがボロボロ。

かわいいからつい許してしまうものの、いつからか寝具は消耗品と化していた。


「にゃ。もう寝るにゃ」

 もちろんそんなことを知る由もないクロナは、しばらくふみふみした後で、満足したように転がった。

初めこそこうして大人しく寝ているものの、朝起きたときには足の間だったり頭の横だったり、クロナは気ままに移動して、リーシェルを驚かせている。

明日はどこにいるだろう。

なんて思いながら、リーシェルは室内の魔法灯を消した。


 そして、微睡まどろみながら想うのは、あの「彼」のこと。


(エデアか……。久しぶりにあの人を見たわ。今はまだ……でもいつか、クロナにも本当のことを話す時が来るのかしら……)

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