第3話 授業後

「片付けのお手伝いありがとうね、ミネアちゃん」


 変身薬の一件でバタついた講義もなんとか終わり、生徒たちがほとんど消えた教室で。

 次に予定されていた選択科目・魔法民俗学の講義が先生のぎっくり腰により休講となったミネアは、その次の講義までの時間、リーシェルの片づけを手伝っていた。

 気まぐれにどこかへ行ったクロナ不在の教室はとても静かで、講義に使った資料や道具を片す傍ら、他愛のない会話が続いている。


「……それで、ミネアちゃん。私に何を話したいのかしら?」

「!」

 だがその途中、話の途切れを見計らうように、リーシェルは優しく問いかけた。

 途端、ミネアはどきりとした様子で、眼鏡の奥にある丸い瞳を見開いていたが、そんな彼女を見つめ、リーシェルは続きをこう告げる。

「レシノスたちが教室を出た途端、あなたの表情に影が差したように見えたの。だから何か話したいことがあるのかと思ってね。もちろん、違うならいいのよ」

 笑顔のまま淡々と、まるで気負うことなどないと言うように、彼女はミネアを促した。

 見た目で言えばミネアとほとんど変わらないリーシェルだが、これでも彼女は四六〇代の魔女だ。豊富な知識と経験から見抜いた彼女の苦悩に、答えられることもあるだろう。


「……流石先生ですね」

 そう思って問うと、ミネアはひとつ間を開けた後で、言葉に悩みながら切り出した。

「ええ、実は私、非魔法族の男の子にプロポーズをされて……」

「あら、おめでたいじゃない」

「でも、相手はフランヴェーヌ王国の公爵令息様なんです。だから私、どうしていいか……」


 プロポーズされたとはとても思えないほど深刻な顔で、ミネアはリーシェルに語った。

 三年程前、シエラリスの街で偶然出会った、旅好きの青年。

 中欧から来たという彼は、自国には存在しない魔法を恐れることなく笑い、美しいと言った。

 本来、この国では一般的な魔法も、国を一歩出てしまえば、まず見かけることはない、異端だ。

 実際に、一世紀ほど前までは異端審問の風が吹き荒れ、魔法族も憂き目に遭ってきた。

 故に、魔法族が国外に出ることは、ほとんどないことも、分かっているのに……。


「キュリスとはそれ以来、ずっと手紙で交流していたんです。けれど、先日わざわざ訪ねてきて、学校を卒業したら、私を公爵家に招きたいって言われて……」

「なるほど、中欧の公爵家か……。あなたは魔法名家の生まれだし、身分で言えば十分釣り合うと思うわ。でも、心配しているのはそこじゃないんでしょう?」

 悩むようにどもりながら語るミネアに、リーシェルは何かを察した顔で頷いた。

 そして本題を提示しやすいように、そっと道筋を示す。

「はい。フランヴェーヌ王国は非魔法族の国です。魔法は見慣れないものですし、なによりキュリスは……ベルグリア家は初代国王の妹姫の家系だから……。魔女である私なんかが公爵家に入って良いとは、どうしても、思えなくて……」

 目元にうっすら涙を浮かべ、ミネアは悲しそうに呟いた。

 彼女はきっと、心からその青年を想っているのだろう。

 だからこそ悩み、苦しむミネアを見つめ、リーシェルはオブラートに包むことなくはっきりと意見を告げる。

「そうね……。それに魔法族わたしたちと違って、非魔法族かれらは長くは生きられない。共に居られる時間は、はっきり言って人生の中でとても短いと思うわ」

「……っ」

「私たちは長い命と引き換えに、多くの別れを乗り越えなければならないのよ」


 美しく凛とした声音で、彼女はそれを断言した。

 人間たちと違い、魔法族は身の内に魔力エレメントが宿る限り生き続けるいきものだ。

 魔力の総量は人によるものの、千年近い時を生きた例も存在している。

 そんな魔法族が非魔法族と結ばれても、共に居られるのはたかだか数十年。伴侶を亡くしてからの時間の方がきっと長い。


「でもね、ミネアちゃん。悩む必要なんてないんじゃないかしら」

「え……?」

 下手に気遣うでもなく、はっきりと事実を告げるリーシェルに、ミネアは大きく頷いた。

 だが、反対を覚悟する彼女を見つめ、リーシェルは優しい笑みで続きの言葉を語り出す。

「ひとつ聞くけれど、自分の立場や相手の身分、そう言うものを全部ナシにして考えたとき、あなたは彼のプロポーズになんて答える?」

「それは……。……っ、もちろん受けたいです。たとえ生きる時間が違うとしても、彼を愛しいと…思うので」

 リーシェルから告げられた意外な言葉を驚きのまま聞いていたミネアは、一瞬迷った後で頬を染めると、正直に呟いた。

 わずかに目を逸らしながら、照れたように言う姿はまさに恋する乙女だろう。

 初々しい様子に思わず笑みを零したリーシェルは、彼女の若草色の髪を撫でると、その背を押すように言った。


「フフ、なら迷わず受けなさいな」

「……!」

「いい? ここには「もしもあのとき」なんて世界も、やり直しの人生を与えてくれる神様もいない。私たちは決して過去に戻れないいきものだから、そのときそのときで、自分が一番後悔しない選択をしなければいけないの。あなたに彼を想う気持ちがあるのなら、なおさらね」

 力強くも優しい声に、ほんの少しの悲哀を乗せて、リーシェルは語った。

 たとえ魔法族がどれだけ長い命を持っていたとしても、人生は一度きり。

 後悔したところで時間は止まることなく進み続け、現実だけを無情に突きつける。

 それに苦しむのはリーシェルだけで充分だ。

 かわいい教え子には明るい未来を歩んでもらいたい。

 そう願い、自分の意見を告げると、ミネアはしばらく黙った後で頭を下げて言った。


「ありがとうございます、先生。私、自分の気持ちを信じます。彼の手を取ることがきっと、私が一番後悔しない選択です」

「フフ、応援しているわ」

 未来に覚悟を決めたミネアの宣言に、リーシェルは優しく微笑んだ。

 この選択ができたなら、彼女はきっと何があっても大丈夫だろう。


「ミネアいるか~?」

「……!」

 と、明るい未来の話をする二人の元に、しばらくして気の抜けた声が聞こえてきた。

 耳慣れた闖入者にジト目を向けると、そこにいたのは幼馴染みのレシノス。

 彼もまた魔法民俗学選択故、この時間空いていることは知っていたけれど、ノックも遠慮もなく教室に入って来る彼に、せっかく大事な話をしていたミネアは、微妙な面持ちだ。

「レシノス……」

「やっぱここだったか。魔法民俗学のディオン先生が課題を渡したいから職員室来いって……なんだその表情」

 だが、それに気付くことなく彼女の傍まで歩み寄ったレシノスは、職員室に寄った際の伝言を伝える途中、ようやく異変を察し、口を閉じた。

 丸い瞳を細め、迷惑そうにレシノスを見上げるミネアは無言のままだが、一方、二人のやり取りに笑みを漏らしたリーシェルは、ミネアに同情して言った。


「タイミング悪いわねぇ、レシノス。今ミネアちゃんの未来の話をしていたのに」

「未来? ……もしかして、公爵家の坊ちゃんの件ですか?」

 えて具体的な内容は明かさず、肩をすくめながら声を掛けると、レシノスは一瞬きょとんとした後で、すぐに思い当たったことを口にした。

 その表情はいつも通りだが、トーンをひとつ低くした彼の声音には、呆れとも心配ともつかない何かが滲んでいる。

「そうよ。流石レシノスは知っているのね。もしかして会ったことある?」

 それに気付いたリーシェルは、なんだかんだと喧嘩をする割に、互いのことをよく知っている関係性を笑みながら、ふと気になった顔で問いかけた。

 三角関係や修羅場を期待しているわけではないが、レシノスは幼馴染みが慕う公爵令息のことを、どの程度把握しているのだろう。

「いやいや、あるわけないじゃないですか。こいつの交友関係なんて、俺興味ないです」

 心の中でそんなことを思いながら問うと、彼は片眉を吊り上げた後できっぱりと告げた。

 遠慮なくミネアを指差して、にべもなく断言するところを見るに、彼の話は本当なのだろうが、二人を交互に見つめたリーシェルはどこか残念そうな表情だ。


「あらら、そうなのね。でも、おめでたい話だけれど、私はちょっぴり期待が外れてしまったわ。ミネアちゃんはレシノスと一緒になるのだとばかり思っていたから……」

 すると、リーシェルの微妙な表情に、不審げな顔をするレシノスを見つめ、彼女はついそれを語った。

「「それはないです、先生」」

「そう……?」

 途端声をそろえて否定する二人に、リーシェルは目を瞬いてしまったが、子供のころからずっと一緒にいた幼馴染みに対し、本当に友愛以上の感情はないのだろうか。

 過去の体験から、なんとなく懐疑的な気持ちで呟くと、レシノスはどこか呆れたように笑って。

「先生、幼馴染みが恋愛対象になるのは物語の中だけですよ」

「私もそう思います、先生」

「あら、そんなことないわ。私はだったもの」

「……!」


 仮にも先生に対し堂々と呆れを見せるレシノスと、同調して頷くミネアに、リーシェルはわずかにむくれると、拗ねたように呟いた。

 彼女のそれは遠い過去の話だが、心は今でも覚えている。

 叶うことならずっと一緒に、隣を歩んでいたかった、愛しいあの人……。


「わぁ~、先生の恋の話聞いてみたいです!」

 と、過去に思いを馳せて俯くリーシェルの言葉に、ミネアは丸い瞳を輝かせた。

 だが、彼女はそれ以上語ることなく笑み、場に沈黙が落ちる。


 心の傷は、時間が解決してくれるなんてよく聞くけれど、時間は決して、過去の傷を埋めてくれやしないのだ。

 たとえそれがどれだけ昔のことでも、彼女はまだ、語れない。


 遠くで終業を告げる鐘が鳴った。

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