第2話 イオルシュタイン魔法学校にて

 風の精霊に運ばれ、雑貨屋から一キロほど南にあるイオルシュタイン魔法学校に到着したリーシェルは、教え子たちと共に教室へと向かって行った。

街もそうだが、全体的に中世の趣を残す学校は美しく、一見古城のようにも見えるここは、西暦二四一年に当時の国王によって設立されて以来、数多くの偉人を輩出してきた由緒正しい学校だ。


「リーシェル先生、おはようございまーす」

「おはようございます、今日は遅刻じゃないんですね」

「みんなおはよう。今日はだなんて心外ね」

 堅牢な正門を抜け、生徒たちが行き交う校舎を進むと、彼らは皆、親しみを込めた眼差しでリーシェルに声を掛けていた。

彼女の豊富な知識と明るい性格が幸いしているのか、週に二回しか出勤しない割には生徒たちからの人気は高いようだ。

 そもそもイオルシュタイン魔法学校に通うのは、十三歳~十八歳までの身の内に魔力エレメントを宿した少年少女で、彼らはこの期間魔法に関する基礎や、いざというときの戦闘術、魔法族の歴史を含めた一般教養など、様々なことを学んでいく。

もっとも就学義務はないので、入学するのは希望者のみとなっているのだが、近年では就学該当者の七割が入学するほど、学びは一般化していた。

希望すれば敷地内の寮で生活も可能な半寄宿学校と言うこともあり、校内には多くの設備が整っている。


「やっぱ迎えに行って正解だったな。にしても、下級生まで先生の遅刻伝説を知ってるなんて、フェズカ先生が言いふらしてるのか?」

「そうなんじゃない? フェズカ先生ってリーシェル先生を気遣っているのか、馬鹿にしてるのかよく分かんないもの。同じ魔法名家なのにね」

 すると、声を掛けてきた一年生にむくれながら受け答えする彼女を横目に、同行中のミネアとレシノスは肩をすくめて囁いた。

こうして出勤が遅刻スレスレになることは時々あれど、リーシェルが実際にやらかしたのは、現在最高学年の二人が一年生だったときのたった一度だけだ。

にもかかわらず下級生たちがその話を知っているなんて、誰かが言いふらしているとしか思えない。


「えっ、フェズ兄が吹聴してるの? まったく、氷のくせに口は柔らかいんだから!」

「可能性ですけどね」

 と、囁き合う二人の声が耳に届いたのか、リーシェルは心外の二文字が浮かぶ顔で呟いた。

彼女の兄貴分であるフェズカは「氷晶ひょうしょうの一族」と呼ばれる、氷の精霊の加護を受けた一族の出身なのだが、氷の冷たさも堅牢さも持たない彼は、気さくなおしゃべりとして名高い、歩く情報漏洩だ。

妹分の失態を、尾鰭おひれを何枚も付けて話しているに違いない。

「まぁ、魔法名家の特徴と個人の性格は合致しない場合もありますし。ほら、レシノスだって、光の精霊の加護とか似合わないじゃないですか」

 ニヤついた顔で、楽しげに吹聴する兄貴分の姿を容易に想像しながら、ちょっぴり機嫌を損ねるリーシェルに、ミネアは慰めなのか、不意に隣を指差して言った。

途端、引き合いに出されたレシノスは、サファイアブルーの瞳を細め、

「おい、失敬だぞミネア。俺のどこが似合ってないって? そういうお前こそ、雄大な森の精霊の加護を受けておきながら、ちんまりしてるじゃねーか」

「うるさい。大きなお世話よ!」


 リーシェルを宥めるつもりが、なぜか喧嘩へと発展した二人だが、そんな彼らもまた魔法名家の出身で、ミネアは森の精霊の加護を受けた「緑葉りょくようの一族」グリーフィア家、レシノスは光の精霊の加護を受けた「陽華ようかの一族」アフォロニア家の生まれだ。

幼馴染みだと言う彼らは、仲がいいのか悪いのか頻繁にいがみ合うものの、どちらも学年の中では図抜けた魔力と才能を持ち、将来を有望視されている。

「ほらほら二人とも、喧嘩しないの」

「だってレシノスが私のこと「ちんまり」とか言うんですよ。ちょっと背が高いからって……」

「一フィート違うんだからとーぜんだろ。そもそもお前が…――」

「まったく、仲良しなんだから……」



 教室に到着してなお喧嘩する二人を宥め、他の生徒たちの出欠を確認しながら、リーシェルは前方に据えられた教壇に立つと、講義を開始した。

今日の内容は、変化草へんげそうと呼ばれる魔法草の一種で、草の特性と共に、薬としての使い方や注意点などを説明しているようだ。

「――…という具合で、変化草は植えた土地の特性に合わせて、様々な性質に変化するの。今から幾つか例を紹介するわね」

 ブラックボードに例を書き出し、教科書には載っていない体験談を踏まえながら、リーシェルは理解を深めてもらうため、語る。

精霊エネルギー魔力エレメントの掛け合わせだけでは難しい魔法を補うために使われる魔法草。特に魔法草に魔力を加えて作られた魔法薬は、力の増強や治癒力の向上、リスク低減など、様々なことに役立つ。

リーシェルは現在、この変化草の特性を使い、人から動物へ、動物から人へと姿を変える変身薬を開発中で、生徒たちは皆、興味深げに彼女が持参した試作品を見つめている。


「にゃあリーシェル。僕その薬舐めてみたいにゃ」

 すると、変身薬に一番興味を示したのは、教壇の上で講義を眺めていたクロナだった。

香箱座りからすくっと身を起こした彼は、好奇心に輝く目でリーシェルを見上げている。

だが、いつもなら実験されるのを嫌がるクロナの発言に、リーシェルは驚くと、思わず懐に忍ばせていたを取り出して言った。

「えっ、クロナが? おなかすいたの?」

「違うにゃ。僕がそれを舐めたら人の姿ににゃれるかにゃーって」

「……っ!」

「どんにゃ姿ににゃるか知りたいにゃ。にゃあリーシェル、いいでしょう?」

 にぼしはしっかり受け取りつつ、教壇の上をごろんと転がったクロナは、目を丸くするリーシェルにそう訴えた。

確かに猫であるクロナが変身薬を舐めれば、人の姿になれるかもしれない。

しかし、臨床試験前の薬を使うことに抵抗感があるのか、薬を持つリーシェルは微妙な面持ちだ。


(クロナが舐めたらたぶん……。いいえ、でも成功しているかどうかも分からないし……)

「にゃあリーシェル。ちょっとだけでいいからにゃあ」

「……」

「にゃあ」

「……分かったわよ。じゃあこのローブを羽織って、少しだけ舐めてごらん」

 仮にも授業中だというのににゃあにゃあ騒ぐクロナを見つめ、しばし逡巡を繰り返していたリーシェルは、諦めたように頷いた。

そして、自身が着ていた翡翠色のローブをクロナにかけ、薬を差し出す。

「言っておくけど、試作品だし味の保証はしないわよ」

「にゃあ……」

 ざらざらの舌をちょっぴり突き出し、深緑色の薬を舐めるクロナに言う。と、彼の表情が苦虫を噛潰したような険しいものに変わった。

だが、薬の感想を告げる直前、クロナの周りに光が溢れて……。


「……!」

 ぽんっという小さな音と共に現れたのは、氷色の髪と瞳をした優しげな美青年だった。

釣り目がちの綺麗な瞳に、すらりと通った鼻筋。さらさらの髪は襟足の部分だけが長く、翡翠色のひもで結ばれている。

元がクロナであることを示すように、黒のねこ耳としっぽはついたままだが、教室にいた誰もが美青年クロナの姿に、目を丸くしているようだ。

「にゃあっ、すごい! 僕リーシェルより背が高いにゃ」

 一方、人の姿となったクロナは、すぐリーシェルに視線を向けると嬉しそうに笑った。

いつもは彼女を見上げることが多いせいか、視点の違いに感動しているようだ。

だが、そんなクロナをじっと見つめたリーシェルは、予想外の展開に動揺を見せ、声も出せずに固まっている。

「……リーシェル?」

「……っ」

「どうしたにゃ? 僕、何か……」

「えっ、エデア――――っ!?」


 薬を作った本人が何をそんなに驚いているのか。彼女の反応が分からず、手を伸ばすクロナに、リーシェルの瞳がさらに見開かれた、瞬間。

教室中に響くほどの野太い声がして、大柄な誰かが室内へ飛び込んできた。

驚いてそちらを振り向くと、そこにいたのは、薄い灰青色の髪と瞳をした、リーシェルの兄貴分・フェズカ。

イオルシュタイン魔法学校の教師でもある、見た目年齢三十代後半のオジサンは、滑稽なほど口を大きく開けたまま、リーシェルの隣に立つ美青年クロナを見つめている。

?」

「……っ。違うわ、フェズ兄。クロナよ。ちょっと…変身薬の試作品を舐めたらこうなって……私もびっくりしたけど……」

「!」

 不意に紡がれた人名に首を傾げるクロナの一方、兄貴分の大声に我に返ったリーシェルは、たどたどしく説明した。

彼女はフェズカの驚きとその理由を理解しているようだが、生徒たちは突然の闖入者に呆気に取られ、クロナも不思議そうな顔をしている。

と、また小さな音を立ててクロナが元の黒猫に戻った。


「にゃあリーシェル、エデアって?」

「……な、なんだ紛らわしい……。だが、そうだよな……。邪魔してすまん」

 着させられていたローブを押しのけ、ぴょんと教壇に飛び乗ったクロナの姿を見つめていたフェズカは、先程までの人物が本当にクロナだった事実を飲み込むと、決まりが悪そうに教室を出て行った。

途端、嵐のような後ろ姿を生徒たちが見送り、場に沈黙が落ちる。

「……みんな、驚かせてごめんなさいね。授業を続けましょうか」

「にゃあリーシェル、エデアって誰にゃ?」

「…………」


 呆気に取られた生徒たちに苦笑を浮かべ、リーシェルは再び授業を開始した。

だが、不思議そうに首を傾げるクロナの問いに、彼女は答えない。

これは言えない秘密なのだ。

たとえクロナが数百年共にいる相棒だとしても、これだけは決して、言えないのだ。

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