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2024年2月3日 00:57 編集済
結構似たようなことを考えてたので、言語化がうまいなぁーとうなづきつつ読んでました。自分の書いた処女作では・魔法に詠唱はない・自分の魔素の特性をより理解することで術が上手くなる・特性によっては物理への理解は上達につながるという、やらかし設定セットなのですがいつくか理由づけもあって・暴発しないのは、生得的な脳機能の働きが大きいと言う点について作中で触れる(暴発するようでは人類は繁栄してないから、脳機能もそれに相応するように合理的なものになっているはず。我々に暴力を振るえる力があるからといって他人をすぐには殴らず情動と運動のコントロールができるように。これは道徳以前の問題で、生物が社会性を持った時、受容を獲得した群れの方が生存と繁殖に有利だったからという考え)・生得的なので、魔法(作中では術と呼ぶ)は特別なものではなく程度の差はあれ万人が持っていて、動物にも使うものがいる感じです。超能力ぽいというのはその通りなのですが、超能力と呼ぶと SF 感が強く、異能と呼ぶと特別感が強くなりすぎるので、術という呼び名を当てることにしました。いくらイメージしようが自分の魔素の特性から外れた現象は起こせないという点も、魔法というよりは固有能力に近いですね。より熟達した魔素のコントロールに理解とイメージは有効ですが、そもそも魔素は万能ではない設定なので、イメージ即ちチートにはならない感じです。イメージで魔法が起こせる作品で思ったことがなんでも可能になってしまうと「なんで魔法で解決しねーんだ?」というご都合悪い主義や登場人物の頭の悪さを読者が感じる原因にもなるので、なんらかの「なんでもありにはならない」原理は必要かも。魔法に科学が関わってくるケースですが「人体の構造を知っている方がより的確に回復術を使える」とか「分子構造を知っていた方がより効率的に錬金術を使える」なんかは説得力があるほうかなーと感じます。結局のところ、魔法が万能すぎると「なんで魔法で解決しねーんだ?」になっちゃいますし、そこでなんらかの万能ではない理由を世界システムに組み込むと、それは技術や科学の入り込む余地が得られることにも繋がるかと思います。この塩梅次第で、作品によっては科学の医者と魔術の医者が協力してたり、SF+魔法といったジャンルもありますし。酸素云々で無双に説得力が足りないのは、ご指摘の通り「何故非効率な手段しかその世界にはないのか」言い換えると「この世界の人間に科学的思考はないのか」あたりだと思います。魔法が系統的に研究されるほどの文化水準があるのであれば、知的生命は科学的思考を身につけているはずで、魔素のある世界ならそれを含めた物理学が発展するとも考えられます。ここらの塩梅を間違えると「異世界の奴頭悪すぎね?」になりますし、実際そういう指摘は時々見るので作者の手腕が出ますよね。稀に、本当の原始人を相手にするようなファンタジーもあるので、それはそれで面白いです。自作では術に呼び名はつけていませんが、魔法に呼び名をつけるのにも場合によっては合理性があると思います。現実に例えるなら、武術の技やスポーツの戦術に名前がつくのと同じで・技術に名前があると伝承が効率的になる。もちろん弊害もあり、正しく使わなければ一長一短ではあるが。(名前のついた)技を習得することを通して成長を描くのは、魔法に限らずスポーツものでも普遍的。・連携の時に味方の行動を明確にできる。フレンドリーファイアが起きる世界であるなら、魔法の発動前に技名を言い巻き込まないよう移動させたり、逆に範囲回復魔法を使うときに技名を言って寄ってきてもらうのは有効なはず。似たような連携は MMORPG などでも自然発生的に見られる。敵が言葉を解さないなら声で良いが、言葉をわかるなら通信のような魔術を使ったり、ハンドサインとかかもしれない。現実のスポーツを考えれば、ある程度以上に洗練された技や戦術には名前がついて、選手の応用力を削ぐことなく、技術の伝承や連携を効率的にすることは想像しやすいかと思います。勿論このへんの理屈を抜きにして、声をトリガーとして発動するので馬鹿でかい声で叫ばないと魔法が出ないってのもありだと思います。逆にそのような世界システムで、耳が聞こえない人や口が不自由な人がどうするかという作品も読んだ覚えがあります。「それはおかしくないか」と突っ込ませる隙を与えない勢いと面白さと説得力があればなんだかんだで読まされてしまってますね。大変興味深い話題だったので、とても長くなってしまいました。すみません。
作者からの返信
コメントありがとうございます、共感を持っていただいて光栄です。帰省中ですので、スマホで返事する事になりますので、ご容赦ください。ええ、八軒さんの言った通りに、自分は「万能すぎてなんでもあり」が現在のイメージ魔法の問題点だと思っております。ぶっちゃけ言うと、合理的な制限を設ければ、大体の設定は辻褄を合わせられますので、設定を練り上げて、それを前提として書いていけば設定自体は機能するのです。受けがいいどうかは別としてw生物の遺伝と進化も結構色んな設定の裏付けとして扱われています。注意すべきところとしては、生物の進化は環境に合わせて合理的に進んでいくものですが、万能でも完璧でもない点でしょう。少しずつ変化していく正常な進化では、大規模な変化は一気には起きませんので、脊椎動物である鳥類の翼は前肢から変化してきたものになります。進化は変異によって起こり、変異は完璧ではなく、特定の方向性すら持ちませんので、アルビノなどの遺伝疾患が存在し、生存に不利な変異も起きます。ですので、魔法の裏付けに進化を当てはめると、暴発などの不利な要素は起きないのではなく、低確率で特定の者に起きる不安定な何かで、生物学が発展してないと差別される可能性もある何かになる可能性が高いと思います。魔法や術の技にに名前を付ける利点も八軒さんが言った通り、知識の共有がしやすく、描写しやすい事が利点でしょう。自分も技に名前があること自体が悪い事と思っておりません。むしろゲーマーとして技の重要性をよく理解してますし、技の描写に魅せられる事も少なくありません。戦闘シーンの魅力もよく知っていると思っております。ただ、イメージで発動する魔法において、そこまで細かい知識の共有は果たしてそれほどの重要性を持つでしょうか?引き起こしたい現象さえ知ればそれで終わり、武術で言う理合いだけで事足りる事になるから、技も何もないし、連携さえテレパシーで伝えれば言葉より早いし、敵が言葉を解するかどうかも関係ありません。要するに、魔法はイメージで発動する設定を忠実に描写する事は戦闘シーン自体を殺す事もあるので、イメージで発動する設定自体が足枷になり得るって事ですね。
編集済
結構似たようなことを考えてたので、言語化がうまいなぁーとうなづきつつ読んでました。
自分の書いた処女作では
・魔法に詠唱はない
・自分の魔素の特性をより理解することで術が上手くなる
・特性によっては物理への理解は上達につながる
という、やらかし設定セットなのですがいつくか理由づけもあって
・暴発しないのは、生得的な脳機能の働きが大きいと言う点について作中で触れる(暴発するようでは人類は繁栄してないから、脳機能もそれに相応するように合理的なものになっているはず。我々に暴力を振るえる力があるからといって他人をすぐには殴らず情動と運動のコントロールができるように。これは道徳以前の問題で、生物が社会性を持った時、受容を獲得した群れの方が生存と繁殖に有利だったからという考え)
・生得的なので、魔法(作中では術と呼ぶ)は特別なものではなく程度の差はあれ万人が持っていて、動物にも使うものがいる
感じです。
超能力ぽいというのはその通りなのですが、超能力と呼ぶと SF 感が強く、異能と呼ぶと特別感が強くなりすぎるので、術という呼び名を当てることにしました。
いくらイメージしようが自分の魔素の特性から外れた現象は起こせないという点も、魔法というよりは固有能力に近いですね。より熟達した魔素のコントロールに理解とイメージは有効ですが、そもそも魔素は万能ではない設定なので、イメージ即ちチートにはならない感じです。
イメージで魔法が起こせる作品で思ったことがなんでも可能になってしまうと「なんで魔法で解決しねーんだ?」というご都合悪い主義や登場人物の頭の悪さを読者が感じる原因にもなるので、なんらかの「なんでもありにはならない」原理は必要かも。
魔法に科学が関わってくるケースですが「人体の構造を知っている方がより的確に回復術を使える」とか「分子構造を知っていた方がより効率的に錬金術を使える」なんかは説得力があるほうかなーと感じます。
結局のところ、魔法が万能すぎると「なんで魔法で解決しねーんだ?」になっちゃいますし、そこでなんらかの万能ではない理由を世界システムに組み込むと、それは技術や科学の入り込む余地が得られることにも繋がるかと思います。
この塩梅次第で、作品によっては科学の医者と魔術の医者が協力してたり、SF+魔法といったジャンルもありますし。
酸素云々で無双に説得力が足りないのは、ご指摘の通り「何故非効率な手段しかその世界にはないのか」言い換えると「この世界の人間に科学的思考はないのか」あたりだと思います。
魔法が系統的に研究されるほどの文化水準があるのであれば、知的生命は科学的思考を身につけているはずで、魔素のある世界ならそれを含めた物理学が発展するとも考えられます。
ここらの塩梅を間違えると「異世界の奴頭悪すぎね?」になりますし、実際そういう指摘は時々見るので作者の手腕が出ますよね。
稀に、本当の原始人を相手にするようなファンタジーもあるので、それはそれで面白いです。
自作では術に呼び名はつけていませんが、魔法に呼び名をつけるのにも場合によっては合理性があると思います。現実に例えるなら、武術の技やスポーツの戦術に名前がつくのと同じで
・技術に名前があると伝承が効率的になる。もちろん弊害もあり、正しく使わなければ一長一短ではあるが。(名前のついた)技を習得することを通して成長を描くのは、魔法に限らずスポーツものでも普遍的。
・連携の時に味方の行動を明確にできる。フレンドリーファイアが起きる世界であるなら、魔法の発動前に技名を言い巻き込まないよう移動させたり、逆に範囲回復魔法を使うときに技名を言って寄ってきてもらうのは有効なはず。似たような連携は MMORPG などでも自然発生的に見られる。敵が言葉を解さないなら声で良いが、言葉をわかるなら通信のような魔術を使ったり、ハンドサインとかかもしれない。
現実のスポーツを考えれば、ある程度以上に洗練された技や戦術には名前がついて、選手の応用力を削ぐことなく、技術の伝承や連携を効率的にすることは想像しやすいかと思います。
勿論このへんの理屈を抜きにして、声をトリガーとして発動するので馬鹿でかい声で叫ばないと魔法が出ないってのもありだと思います。逆にそのような世界システムで、耳が聞こえない人や口が不自由な人がどうするかという作品も読んだ覚えがあります。
「それはおかしくないか」と突っ込ませる隙を与えない勢いと面白さと説得力があればなんだかんだで読まされてしまってますね。
大変興味深い話題だったので、とても長くなってしまいました。すみません。
作者からの返信
コメントありがとうございます、共感を持っていただいて光栄です。
帰省中ですので、スマホで返事する事になりますので、ご容赦ください。
ええ、八軒さんの言った通りに、自分は「万能すぎてなんでもあり」が現在のイメージ魔法の問題点だと思っております。
ぶっちゃけ言うと、合理的な制限を設ければ、大体の設定は辻褄を合わせられますので、設定を練り上げて、それを前提として書いていけば設定自体は機能するのです。
受けがいいどうかは別としてw
生物の遺伝と進化も結構色んな設定の裏付けとして扱われています。
注意すべきところとしては、生物の進化は環境に合わせて合理的に進んでいくものですが、万能でも完璧でもない点でしょう。
少しずつ変化していく正常な進化では、大規模な変化は一気には起きませんので、脊椎動物である鳥類の翼は前肢から変化してきたものになります。
進化は変異によって起こり、変異は完璧ではなく、特定の方向性すら持ちませんので、アルビノなどの遺伝疾患が存在し、生存に不利な変異も起きます。
ですので、魔法の裏付けに進化を当てはめると、暴発などの不利な要素は起きないのではなく、低確率で特定の者に起きる不安定な何かで、生物学が発展してないと差別される可能性もある何かになる可能性が高いと思います。
魔法や術の技にに名前を付ける利点も八軒さんが言った通り、知識の共有がしやすく、描写しやすい事が利点でしょう。
自分も技に名前があること自体が悪い事と思っておりません。むしろゲーマーとして技の重要性をよく理解してますし、技の描写に魅せられる事も少なくありません。戦闘シーンの魅力もよく知っていると思っております。
ただ、イメージで発動する魔法において、そこまで細かい知識の共有は果たしてそれほどの重要性を持つでしょうか?
引き起こしたい現象さえ知ればそれで終わり、武術で言う理合いだけで事足りる事になるから、技も何もないし、連携さえテレパシーで伝えれば言葉より早いし、敵が言葉を解するかどうかも関係ありません。
要するに、魔法はイメージで発動する設定を忠実に描写する事は戦闘シーン自体を殺す事もあるので、イメージで発動する設定自体が足枷になり得るって事ですね。