3 雨と彼

「ああ、降って来ちゃった。ついてないな」

 蜜花は昇降口から空を見上げた。

 こんな日に限って親友の荻那も仲良し同盟を組んだ有馬も帰った後。こうなってしまったのも委員会が長引いてしまったためである。

「近くのコンビニまで濡れて帰るしかないかな」

 通りがかった何人かの男子生徒が一緒に傘に入っていかないかと声をかけてくれたが丁寧にお断りをした。よく知らない男子と一緒に帰って変な噂が立っても面倒だ。

「柊木さん。傘、ないの?」

 諦めて一歩を踏み出そうとしたところで背後から声をかけられた。

 振り返らずとも相手は分かる。

青城あおきくん」

 相変わらずよい声だと思いながら振り返ると、案の定相手はこうであった。


「降水確率40%だったから良いかなって、持ってこなかったの」

「そっか。60%は確実に降るって言うけれど、40じゃ微妙だものね。荷物にもなるし」

 靴を履き替えた彼がさりげなく隣に並ぶ。サラサラでつやつやの黒髪。真面目そうというよりは、綺麗だなと感じてしまうのはきっと端正な顔立ちのせいだろう。

「送っていくよ」

「え?」

 確かに彼は傘を持っているが、『入っていく?』ではなく『送っていく』と断定するところに驚いた。

「まさか濡れて帰る気?」

 ”ちょっと持っていて”と言われ、傘を渡され受け取る蜜花。彼は鞄から黒のマウンテンパーカーを取り出すと蜜花に向けて差し出す。

「撥水加工がなされているものだから、このくらいの雨なら濡れないはず」

 二人で傘に入れば肩が濡れるだろうことを想像しての気遣い。軽くて通気性の優れたもののようだが、これは彼が雨を想定して用意したものではないのか。そう思った蜜花は受け取るのを躊躇った。


「洗ってあるから大丈夫」

 傘を受け取りながら微笑む彼。

「でも、これは青城くんが濡れないために持ってきたのでは?」

「気にしないで。女の子に風邪を引かせる方が問題だし」

 ”俺は大丈夫”と手を差し出す彼に荷物を渡す。これ以上ここで押し問答するのは得策とは言えない。

「ありがとう」

 礼を述べマウンテンパーカーを羽織ると良い匂いがした。

「良い匂い」

「きっとポリエステルの匂いだな」

 蜜花の荷物を受け取った彼は空を見上げながら。

「たぶん違う。柔軟剤の匂い」

 蜜花の言葉にふふっと笑う紅。何かおかしなことを言っただろうか。


「さ、暗くなる前に帰ろう」

「うん」

 荷物を返され背中に学生カバンを背負う蜜花。鞄に付いていた林檎のストラップが揺れる。

「林檎……好きなの?」

 彼の視界にも入ったのだろうか、傘を差しかけ歩き出す紅がそう問う。

「好き……うん、好きかな」

 蜜花の曖昧な返答に不思議そうな顔をする彼。自分のことなのに曖昧な態度を取ったのだから、その反応も頷ける。

「あのね、わたし以前は凄く男の子みたいって言われていたの」

「へえ。活発だったってこと?」

「それもあったけれど、髪も短くてショートパンツの方が多かったし。あ、小学生の時の話ね」

「そう、なんだ」

 今の蜜花からは想像もつかないのか、紅はじっとこちらを見降ろしている。


「でもね、その小学校を転校する時にリンゴの飾りのついたゴムをくれた子がいて。えっと、初恋の相手なんだけどね」

 チラッと様子を窺いつつ話を続ける蜜花。気づいて欲しいような、気づいて欲しくないような複雑な心境だ。

「その子だけはちゃんと女の子として見ていてくれたんだなって思って。思い出だし、それから凄く好きなの」

 林檎のモチーフの話ではあるが明確にしないのは、”凄く好き”がその相手にもかけているから。

「そっか、素敵な思い出だね」

 蜜花の要領の得ない話を黙って聞いていた彼が微笑む。あの頃と同じ笑顔で。だが蜜花は少しがっかりした。彼はやはり覚えていないのかと。

 とは言え、思い出してここで解ってしまっても困る。彼は親友の荻那の好きな相手なのだから。

 どうにもならない状況に心の中でため息をつく蜜花であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る