第2話


 夢ではなかった。


「……お前。まだ居たのかよ」

「泊めてくれって言ったじゃんか」

「いや……言ったけど。それ、まだ見てたのか」

「ああ。徹夜だね」


 神はテレビを夜中じゅう点けて、ネットフリックスを見ていたようだ。


「それドラマか?」

「うん。最初と最後の回だけね」

「……それ、面白いのか?」

「割とねー。たまに『は?』ってなるけど。したら、真ん中の回を見る」

「どういう観方だよ……分かんねーな、神って」


 神は俺の発言を、小指で鼻を弄りながら聞き流す。


「そこは人それぞれなんじゃないの。あ、鼻くそ。ティッシュ取って」

「その姿でそんなズボラなことしないで欲しいんだけど」


 ため息を吐き、キッチンの目隠しに置いていたティッシュボックスから、飛び出た白をしゅっと抜き取り神に手渡す。


「じゃあ男ならいいの?」

「……それはそれで嫌だな」


 神は女の姿で、足を組んでコーヒーテーブルに影を落としながら、ふんぞり返ってテレビを眺めていた。


「その体勢……体痛くならないのか」

「ならないよ。神だから」

「神だから何でもありか……」

「そう。神は何でもありなんだ」

「空も飛べるのか?」

「鳥になれば出来るよ」

「ああ……確かに」


 人間の体で空中浮遊するところも想像したが、神の発言の方が実現可能であることに気づき、納得してしまう。


 それと同時に、俺はあることを思い出した。「質問」だ。

 神の横に座り、ちらりと左隣に視線を向けながら、ご機嫌を伺うように。


「質問、いいか」

「ほい。これまでに五回質問ぽいのしてるけど、それはノーカン?」

「うぐっ……日常会話と考えてくれ。気になったのはこっちだ」

「ふむ。いいよ、分かった。聞きなよ」


 神と出会ってすぐに浮かんだ疑問だ。


「性別が自由に切り替えられるなら、一人称はなんで「俺」なんだ?」


 神はそれを聞くと、呆れたような顔をする。

 なんだ、もっと高尚な話題になることを期待でもしてくれていたのだろうか。


「それ聞いちゃう? 多様性の時代だぜ?」


 どうやら、神もミーハーだったようだ。


「神だからノーカンだろ」

「は、それもそっか。んー。そうだね……私の時代もあったし、拙者の時代もあったかな。俺は『次は俺かな?』ってノリだよ。十年に一回くらいで切り替えてる。色んな一人称でローテーションさ」

「ほーん……」


 存外予想が出来た回答に少し落胆する。一日一回の神への問いデイリーボーナスを、俺はこんなくだらない質問で消費してしまったというのか。


「なんかくだらねーって顔だね」

「ああ。くだらないことに使った」

「残念。ま、また明日答えてやるよ」

「そうかよ」

「そうとも。人間の疑問は尽きないからね。一日いっこで正解かも」

「無限に増やせって頼めばよかった」

「ランプの魔神かっての」

「似たようなもんだろ」

「おいおい。そりゃ不敬極まりないぜ?」

「やっぱり手品おじさんな気がしてきた」

「おいこら」


 それからも俺は、一日一回、神に質問をした。


「人間が死んだら、魂の重さ分二十一グラム体重が減るってな話があるけど、あれマジなのか?」

「さぁ。屁か何かじゃねーの」


「死んだらどこに行くんだ?」

「行くところに行くのさ」

「天国と地獄か?」

「君たちの定義じゃそうかもね。もっと楽しいところかも」


「色んなのに変身してただろ。あれってアリンコにもなれるのか?」

「なったとしてどうする気だい」

「踏み潰せるか試してみる」

「君ねえ」


「友達は何人居て、どんな話をしたんだ?」

「うわっ、文くっ付けるとか姑息こそくだねぇ。まあいいさ。今の世界人口は何人くらいだっけ」

「ええと……八十億人くらいか?」

「したら、その二十倍かな」

「えと、つまり……千六百億人っ!?」

「そんな驚くことないさ。俺は神だからね。それくらい居てトーゼン」

「そ、そうか……んで、どんな話をしたんだ?」


 神は足を組み替え、静かに目を閉じる。


「うーん、色々だね。今日は良い天気ですねーとか、ガキにお帰りーとか。ああ、一度すんごいむしゃくしゃしたことがあってね。通りすがりのジジイに、俺が今までやってきたことを全部話してみたんだ」

「それで……どうなったんだ?」

「気が触れて行方不明になっちゃった」


 神に高尚な質問を持ち掛けても、茶化されるか濁される。本人は茶化してないと言うが、実際のところ、きっと茶化しているのだと思う。


 ――そんなある日。朝起きると、神の姿がない。ああ、とうとう出て行ったか。


 そう思ったのも束の間、玄関のドアがガチャリと開いて――。


「ただいまぁ」


 サングラスを掛けたイケメンが、敷居を跨いで俺の部屋に入って来た。


「お前……どこ行ってたんだよ」

「トイザらス。人生ゲーム買ったんだ」


 神は動物がプリントされた袋を掲げる。中には箱が入っているようだ。


「人生ゲームぅ?」

「そ。もうやるのはウン千回目だけどさ。君とやれば多少は変わるかも」

「よく飽きないな」

「とっくに飽きたよ。新しいモデルが出たから買ったんだ。開けるから組み立て手伝って」

「へいへい……」


 神は人生ゲームの箱の中身を、ひっくり返してどじゃあと床に撒き散らす。ルーレットやらボードやらが、音を立ててその場に散乱した。


「おいおい。どうすんだこれ」

「あはは。開ける時はいつもこうなんだ。ほら、ボード敷いてよ。建物置くからさ」

「てか、俺も参加するのかよ」

「良いだろ。神との遊びだ。光栄だろ」


 神に言われた通りに、すごろくのボードを敷き、そこにルーレットを設置する。


「株券、約束手形、ドル札沢山……うん。あんま変わってないね」

「何で買ったんだ……つか、どこにそんな金あったんだよ」

「そりゃあ神だから」

「……パクったとかなら責任は取らないからな」

「パクらないよ。こんなでっかい箱。普通にバイトしたお金で買った」

「ほーん……」


 神と共に胡坐あぐらをかいて、プラスチックの枠からカラフルなピンを外す。


「へぇ。今ってピンの色こんなにあるんだ」

「これも多様性なんじゃねーの」

「ああ、なるほどね。ま、俺は今男だから青かな」

「判断基準そこかよ……」


 まるで童心に帰ったようだ。神にもこんな無邪気な一面があるのだという、少しの安堵も同時に訪れる。


「じゃあ始めようか」

「「じゃんけん、ぽん」」


 神はグー、俺はパー。


「んじゃ、俺からだな……」


 ◆◇


「――人間が……最も相手と深く繋がれる方法?」


 本当は、ゲームが終わってから質問をしようと思っていた。


 だが、ゲームの中盤にして、俺はもう痺れを切らしてしまったのだ。

 神はすごろくの丁度真ん中、俺は少し手前のマスに止まっている。


「今日の質問だ。答えてくれ」

「……いいよ。教えてやる。こっち来なよ」


 神がくいっと指先で俺を引き寄せる。


「こうか?」

「……もっとだ。もっと近くに」


 更に尻を引きずり、十数センチほど神に近づく。瞬間、神はリボンを解き――。


「――性行為せいこうい


 自分で自分の胸ぐらを掴み、空いた手で俺の顔を胸元にぐっと引き寄せた。


「……茶化さないでくれ」

「おっ、成長したね。前はすぐったのに」

「やめろよ、そういうの」

「悪かったよ。君の反応が知りたかっただけ」


 神はパッと俺の顔から手を離す。


「ま、人それぞれさ」

「はぁ? それじゃ納得いかないから聞いてんだよ。ほら、なんかその、あるだろ。正解みたいなの」

「そんなこと言われてもなぁ……」


 神はルーレットを回し、出目だけマスを進んでいく。


「本当にそれぞれなんだ。大誤算だったよ。神としてもね」

「……はぁ」

「人生のより深いところに潜っていくものもあれば、簡単に切ることが出来るものもある。子供とか、言葉とか、趣味とか、お金とか、仕事とか、色々さ」


 俺の頭に浮かんだ疑問符は、取り敢えず放置する。


「お、ケッコン~。ほら、お祝いよこせ」

「へいへい……」


 五千ドル札を神に手渡す。


「結局のところ、ただの自己満足に過ぎないよ。自分はこれだけのことをやった、相手をこれだけ自分の元に引き寄せた、ってね」


 神は受け取ったそれをぴらぴらと二本指で挟み、乱雑に置かれた札の上に重ねる。


「そして時折それは、相手を縛り付けて、自分の元に括っておく手段になる」


 そう言うと神は、ピンクのピンを、車に刺した。


「君にとっての深い繋がりって何だい」

「……え」

「ぱっと答えられやしないだろ。ま、そんなもんさ」

「……繋がりか」

「そう、繋がり。コネクション」


 なぜ俺が神にこんな質問をしたのか。俺はずっと疑問だったのだ。なぜ人は人と繋がろうとするのか。その手段をたがえて、人と人はすれ違う。

 ならば神だ。正解を用意しているはずだ。どんなすごろくにもゴールはある。


「あんたが思う繋がりって何なんだよ」

「俺かい?」

「ああ。後学のために聞きたい」

「……」


 神は数秒押し黙り、じきに口を開いた。


「――寂しかったんだ」


「……どうした、急に」


「寂しかったんだよ」


「…………おう」


「だから君たちを作った」


「聞いてていい話なのか?」


「別に構わないよ。誰かに話したって無意味なことさ」


 神は青い車のコマを握ったまま、体育座りで膝に顔を埋める。


「今も寂しいのか? その、俺で良ければ話を――」


「……は?」


「え?」


 神は目をぱちくりさせ、きょとんとした顔で俺を見つめる。


「――はっはは! なに勘違いしてんだよ。俺は神だぜ? 何回目だよこのくだり。今更そんなナグサミはいらねーよ」


 神は俺を追い払うようにしっしと手で空を払う。


「……へいへい、そうかよ」


 心配して損した。こいつはこいつのまんまだ。

 これからもヘラヘラして、適当に無限の生を謳歌するんだろう。


「よっし、俺の勝ちぃ」


 神はガッツポーズをする。青い車は俺のより先に、ゴールのマスに到達したのだ。


「おめでとさん。じゃ、俺は飯食うからそれ片しとけよ」

「えぇー、もっかいやろうよ。お願いっ!」

「はぁ? 子供かよ」

「いいじゃんかよー、久々で結構楽しかったんだ」

「はぁ……」


 神の懇願に負け、俺は結局、その後三ゲームきっちりと付き合わされてしまった。

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