神と知り合いになる話。

秋宮さジ

第1話


 一人の男が、あるポスターの前に立っている。


「ふーん。『神暮らし』か……」


 男は、その映画を観ることにした。なに、単なる暇潰しだ。特に深い意図はない。券を買って、座席に座って、五本程度の番宣ののち、映画が始まった。



 ◆



 とある夏休み。

 いや、浪人しているから、正確にはその表現は正しくないのかも知れないが。


 俺は――――神様に出会った。


「あ」


 偶然見てしまったのだ。


 とある裏路地で、しゅるしゅると、人間から猫に姿を変えているところを。


 黄色と青色の、オッドアイを持つ、白い猫。

 そいつが口をがぱりと開けて――人間の言葉を喋るところを。


「見た?」

「……見た」


「そうか」


 その一言に、俺は言い知れぬ恐怖を感じた。

 得体の知れないだ。ぞくりと背を刺されたような感覚に襲われる。


「……ま、いいや」

「え?」

「別にいいよ。誰かに話したって無意味なことさ。行きなよ」


 確かにそうだ。この体験を誰かに話したって、一体何人がそれを信じるだろうか。


「……」


 黙ってその場を立ち去る。


 きっと、勉強詰めで頭がおかしくなっているのだろう。だが、更に自分自身の脳みそを疑ったのは、それから数時間後のことだった。


 その夜、風呂上がりに鳴ったチャイムで、俺は玄関に向かう。ガチャリとドアを開けると、そこには男が立っていた。


 手刀を掲げ、男は挨拶をする。


「よっ」


 どうも染めたようには見えない白髪。左右で色の違う目をぱちくりとさせながら、男は俺の返事を待つ。


「……誰」

「今朝見たばっかでしょ。あの猫だよ」

「……ああ。今朝ぶりだな」

「そう。今朝ぶりだ。早速で悪いけど、しばらく泊めてくれ」


 男は飄々とした態度で、俺と会話を続ける。俺はどうにも、自分が夢を見ている気分から離れられないままだった。だからこれも夢。そう自分を納得させた。


「……分かった」

「助かるー。風呂貸してよ」

「俺が入った後でいいなら」

「気にしない気にしない。サンキュー」


 男はずかずかと俺の部屋に入ってきた。無礼にも靴を乱雑に脱ぎ捨てて。俺は少々苛立ちを覚えながらも、その靴を揃え、男の後を追いかける。


「風呂場ってここ?」

「違う。そっちはトイレ。そこの突き当たりだ」

「ふーん。綺麗にしてんじゃん。一人で住んでるの?」

「ああ。親に金借りてる」

「スネボン君か」

「何だよ、すねかじって悪いかよ」

「悪いなんて言っちゃいないさ。じゃ、借りてくね」


 男とは初対面だと言うのに、まるで古くからの親友のような、そんな感じがした。待っている間に調べてみたが、スネボンというのは方言で、膝小僧のことらしい。お互い知らずに語感からすねだと判断したことに、妙な親近感を覚えた――のも束の間。


「ふぅー。さっぱりした」

「お前、それ……」

「ん?」


 まず最初に、男は、男ではなかった。バスタオルは肩から掛けられていて、胸から下は全部丸見え。上は揺れ、下はへこんでいる。

 長い白髪から、ぽたぽたと雫が垂れ、それは女の歩いた場所を濡らしている。


 それと同時に、俺の方で、反応してしまうもあった。


「ああ。洗うのめんどかったんだ。だから女体化した」

「はぁ? さ、さっきのやつはどこに行ったんだよ」

「だから俺だってば――」


 そういうと女はしゅるしゅると姿を変え、また男に戻る。指先から徐々に体の中央に、しゅるりとリボンを解くように。


「お前……何者なんだ」

「知りたいかい?」

「風呂に入れてやったんだ。知る権利はあるだろ」

「それもそうだね。君には恩と呼ぶべきものがある」


 男は、机においてあった服を手に取る。先程用意したものだ。


「これが俺のかい?」

「俺のお下がりだけどな。気に入らなかったら着てきたやつでも」

「や、気に入ったよ。サンキュー」


 男はそれをいそいそと着始め、三分程で着替え終わる。

 そして、俺が座るソファの左隣に腰掛けた。


「教えてあげよう。俺は神だ」

「……帰ってくれ」

「まあ聞きなよ。冗談で言ってんじゃない。さっきも見ただろ。女から男に変わるやつ」

「……うぅむ」


 確かに超常的な体験だった。もしかしたらこの男の言うことも、あながち間違っていないのではないか。


「信じられないなら、俺の権能を見せてあげようか」

「……どんなの」

「俺の手、見ててよ」


 男はそう言うと、ガッツポーズのように左腕を前に突き出す。


「――ほら」


 ギュルギュルとリボンが解け、男の腕を回り始める。


「顔近付けちゃだめだよ。吸い込んじゃうから」


 それは猫や犬、馬の蹄、猿やゴリラの手――あらゆる動物の姿に変化し、十秒程でまた、もとのごつごつした男の手に戻った。


「……じゃあ、神か」

「なんで妥協したみたいな感じなんだよ」

「まあ、百聞は一見に如かずって言うしな。なんかモヤモヤするけど」


 男は俺の発言に、やれやれと言った様子でため息をつく。


「じゃあこうしよう。俺のことは、神か、手品おじさんだと思えば良い。戯言だと思ってくれていいし、記憶の中で延々と崇めてくれても良い。どっちにしろ、他の人間に話したって、全く意味を成さないからね。面白いだろ?」


 男は得意げに言葉尻を上げる。


「そうか。じゃあ、あんたは神なのか」

「ほう、信じてくれるのかい」

「実感が湧いてきた」

「そりゃ結構」


 男――いや、神はソファにもたれかかり、目を閉じる。端正な顔立ちだ。眉毛の一つ一つまで、画家が繊細に描いたように美しい。輪郭の方は彫刻家の傑作だ。


「……なんかもう、色んなことがバカバカしく思えてきたよ。どうでも良くなったっつーか、力が抜けてきた」

「悩みが一つ消えただけさ」

「なんだって?」


 神はふふんと鼻を鳴らし、饒舌に話し出す。


「人間は神の存在を証明出来ないだろ。神が現れたなんて誰かが言っても、結局はそいつの口から出てくる言葉でしか、神の存在を匂うことは出来ないんだ」


 神はいつの間にか、俺が飲もうと思っていたペットボトルのメロンジュースを左手に持っていた。


「本気で信じる人間も居れば、それを馬鹿にする奴も居る。ところがどっこい、君の前に俺という正解アンサーが現れた。それによって、君は一つ人生の悩みを消せたのさ」

「なんで俺が悩んでるって分かるんだよ」

「悩んでたことが一つ解決すると脱力スッキリするだろ。そのスケール感の問題ってなワケ」

「……そういうことか」

「そ。そういうこと」


 神はくいっとペットボトルを呷り、緑色の液体は吸い込まれ、空っぽになる。


「これから世話になるんだ。こちらとしても、差し出すものは差し出さなきゃね」

「差し出すもの?」

「ああ。何でも一つくれてやる」

「何でも一つ、か」


 神は後ろ髪をガシガシと搔き、リモコンを手に取る。図々しくも胡坐あぐらをかいて。


「お、ネトフリここでも見れるじゃん。へぇ、アマプラも買ってるんだ」


 もし俺が、神の女体だなんて言ったら、こいつはその通りにするのだろうか。

 いや――この際だ。


「……じゃあ」

「ん?」


 こいつが神だと言うのなら。


「俺の質問に包み隠すこと無く答えてくれるか?」

「ほう」


 神は目尻を歪ませる。


「いつ何時もだ。絶対に答えてくれ」

「……それでいいのかい?」

「ああ。あ、ええと、一日一回で一つのカウントだよな」


 神が決定を下す前に、一つ付け加えておく。この程度の欲張りは良いだろう。


「いいよ、それで。んじゃ、それが対価だ」


 そう言うと神は何食わぬ顔で、テレビを見始める。

 俺はと言うと、この夢から目覚めるために、寝る支度を始めていた。


 ◆

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