第30話「新世界より」③
(……泣いてる)
男の人が本気で泣く姿を間近で見るのは初めてで、さすがに慌てた。とにかく何かしなくてはと使命感に駆られ、急いで湯を沸かし、温かいお茶を淹れた。ハーブ入りだけど癖がなくて飲みやすい種類のお茶だ。それから椅子をカウンター横まで運んできて、どうぞと勧めた。
「まずはここに座って、お茶でも飲んで一旦落ち着きましょう」
「……気を遣わせてすまない。また恥ずかしいところを見せちまったな」
シオンは剣蛸のある武骨な手で頬の涙を拭いながら、椅子に腰を下ろした。
「大の男がみっともないよな。もういい歳だってのに」
「そういえばシオンさんって歳はいくつなんですか?」
「もう三十超えたよ。今年で三十一だ」
(あ、思ったより若かったのね)
そんな感想が表情に出てしまったようだ。
「なんだ、もっとオッサンだと思ったのかよ。ひでぇな」
苦々しい表情だったけど、それでも笑ってくれた。
温かいお茶を飲んで少し落ち着いたのか、彼は召喚されてからこれまでに起こった出来事を訥々と語り出した。
「俺、十五でこっちの世界に呼ばれたんだ。思春期だったし受験前でイライラしてて、母親と派手にケンカした次の日だった。学校から家に帰る途中で、ふっと目の前がぼやけて……気づいたら勇者として王宮に召喚されてた」
「やっぱり突然なんですね」
「うん、何の兆候もなくいきなり。世界を跨ぐのなんて一瞬だったよ。イエス・ノーぐらい訊いて欲しかったなぁ。まぁ最初はちょっとワクワクしたんだけど。すげぇ、俺、物語の主人公じゃんって。勇者様なんつって持ち上げられたし。けどさ、勇者だから魔王を倒してくれとか言われても知ったこっちゃないだろ。なんで知らない国の知らない人たちのために、俺が命がけで戦わなきゃいけないわけ? そんなのおかしいだろって思ってた」
「ごもっともです」
「でも帰り方なんて分かんないし、悩んでも腹立てても現状何にも変わんないしさ」
結局やれることをやるしかなかったと肩をすくめた。
「魔王と戦ったんですか?」
「うん。勝ったよ、十年かけて」
「すごいですね」
「だろ? まさか本当に倒せるとは思わなかったよ。でもまだ完全じゃないみたいでさ、残党が結構いるし、魔王復活の兆しもあるんだ。そのせいかなぁ、帰れないのは」
例の電気ネズミの異常繁殖もおそらくその兆候のひとつなのだろう。
考えてみると、なかなか壮絶な人生ドラマだ。
かける言葉が見つからなくて思わず押し黙ってしまったわたしを見て、彼は「でも悪いことばかりじゃないんだぜ」と付け足した。
「あのときからもう十六年だからさ、俺こっちの世界にいる方が長いんだ。昔好きだったアニメやゲームはないし超高層ビルもテーマパークもないけど、結構いい国なんだよ。慣れれば住みやすいし、一緒に戦ってくれる仲間も大勢できた。そのうちの一人がこの国の王女で、結婚もした。息子だっているんだぜ」
「え!? てことは次期国王陛下?」
「まぁ、そうなるかな」
そのわりには村人たちとずいぶんフランクに接していたような。国民との距離感が近い開かれた王室なのか、それともこの人が召喚勇者だからか。
「でもさ……何も言わずに突然こっちに来ちゃったから、親はずいぶん心配して泣いただろうなと思って。特に母親は自分を責めたんじゃないかって、ずっと気になってたんだ。申し訳ないことをしたって」
自分自身も親になったから、なおさら気になるのだと言う。そうして彼は首から外したペンダントを見せてくれた。飾りのある表側が蓋のようになっているロケットペンダントだ。開くと、中には小さな写真が貼られていた。
「これ……プリクラのシール、ですか?」
真ん中にいる小さな男の子を挟んで、両端にいる少し年上の派手目な女子がにこやかにピースサインをしている。
「一緒に写ってんのは双子の姉貴。双葉と美月。召喚される前の日に家族でショッピングモールに行ったとき、無理やり一緒に撮らされたやつ。いつの間にか学生カバンの裏側に貼りつけてあったんだ」
何もかも失くした今、たった一枚残ったこの小さな写真だけが本当の自分を、彼が渡会志音という人間だということを証明してくれる物なのだろう。
ちなみにペンダントの表面を飾っているのは王家の紋章らしい。
もし――――もしも、この後、彼が魔王を完全に討ち果たしたら。この人はまた唐突に世界を跨いで、元の場所へと戻されるのだろうか。長い年月の間に生まれた仲間との絆を失い、愛する妻や子と引き離されて。
(いや、さすがにそこまで残酷な仕打ちは……)
チラリとクロの方を伺うと、意味ありげな視線が返ってきた。
(ないとは言えないのね)
時を遡って召喚された当時に戻るならともかく、世界を飛び越えるだけだとしたら完全に浦島太郎だ。そのとき彼が異世界の勇者シオンであった証となるのも、このペンダントひとつかもしれない。
「ま、今ではお守りみたいなもんかな」
彼はペンダントを大事そうに懐にしまうと、おもむろに立ち上がった。
「長居しちまってすまない。詫びの品を届けにきただけなのにな」
「いえ、かえって申し訳なかったです。こちらの品もお持ち帰りください。お気持ちだけありがたく受け取っておきますので」
さっき渡された櫛を返そうと差し出したのだが、シオンはそれは困ると言い張って受け取ろうとしない。
「エーレに……妻に怒られる」
「王女様がご用意くださったものなのですか?」
「ああ。あいつは俺と一緒に旅をしたから、この国の現状をよく理解しててさ。戦や魔物討伐で夫を失った寡婦にも仕事を与えたい、できれば国の特産品となるような物を作りたいって前から言ってたんだ。で、この国にたくさん生えてるリューベントの木に魔石を練り込めばいいんじゃないかって作らせたのが、この櫛なんだ」
丈夫で木目が美しく、何より魔力の通りが非常によい素材なので、誰でもわずかな魔力でイメージ通りの髪型に仕上がるらしい。
「装飾が凝ってるから見た目も美しいし、使い勝手も悪くないと思うんだが」
「そうですね。素晴らしい品だと思います。でもわたしは……魔力がなくて」
「え!?」
「ゼロなんです、魔力が」
「魔道具店の店主なのに?」
「……はい」
(ですよねぇ。そこ引っかかるよね、普通)
居心地の悪さに肩をすぼめていると、だからこそ店主としてスカウトしたんですよ、とクロが横から口を挟んできた。
「その櫛、受け取らないんだったら、いっそ店で売ってみたら?」
「いいの!? そういうの有り?」
意外な提案だ。
「買い取りではなく預かりって形になるね」
「委託販売か」
「空いてる棚に置いてごらん」
クロに勧められた通り空きスペースに櫛を置いてみると、見事、カタログに商品が追記されていた。
「ほんとだ。載ってる」
「売れたら手数料を差し引いて、支払ってあげればいいよ」
「誰に? シオンさんにまた来てもらうの?」
「カタログに国名と王宮の名を書き込んでおけば、自動的に送金されるはずだよ」
「それは助かる。だったら、これの他にも何個か預けておいて構わないかな?」
「もちろん構いませんよ。在庫としてお預かりします」
「ありがとう! できれば周辺諸国にも売り出したいと思ってたんだが、流通費用もバカにならないから、どうしようかと悩んでたんだ」
カタログに記入だけ済ませると、じゃあさっそく明日にでも搬入させるからと告げて、次期国王の勇者は店を去っていった。彼を待つ人々がいる国へと戻っていったのだ。
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