第21話「忘れじの花」③
午後八時を過ぎると、店に入ってくる客はほとんどいない。
結果として緊張感がなくなるので、カウンターの奥でだれている店主の腹の虫がグーキューと盛大に鳴くことになる。
「お腹すいた……」
途中でちょこちょことお菓子をつまんで休憩を取ってはいるけど、開店する正午前に昼食を済ませたあと、閉店する夜九時過ぎまで食事を取れないのは結構つらい。
「しかも夜遅い時間にご飯いっぱい食べると胃がもたれるし、肌荒れしやすいんだよねぇ……会社員時代も残業で同じような時間帯に食べてたけど」
最近なんだかんだおやつもしっかり食べてるから、これが続くと体重増加は避けられない。危機的状況だと嘆くわたしを、まぁまぁとクロが宥めてくれる。
「あまり匂いのしない物なら、持ってきて食べてもいいと思うよ。サンドイッチとか。前の店主もここでよく食べてたし」
「え、そうなの!?」
早く言ってよって思ったけど、そういえば最初にクロに言われた気がするわ。二階にいてもお客さんが来れば分かるから、お客さんがいないときは上に行って食べてもいいよって。
ところがですね、ちょうどお腹がすいてくる夕方から夜七時過ぎぐらいの間が、一番来客が多いんですよ。で、なかなか二階に上がるタイミングが見つからなくて結局こうなっちゃう。八時を過ぎると、どうせあと一時間だしって思っちゃって。
「昼をボリューム多めにすればサンドイッチでもいいかもだけど、どうせなら温かいものが食べたいしなぁ」
よし。このままお客さんが来なかったら、今日は早めに二階に上がって食べちゃうか。
そう決意してカタログをしまった直後だった。
軽やかに鳴るドアベルの音。
(あちゃ……)
続いて、店内に入ってくる人の靴音。
(ま、そういうもんだよね~)
「いらっしゃいませ」
頑張って口角を上げ、笑顔で振り返る。
(わたしの晩ご飯、あと一時間待ってて)
催促するお腹の虫に鳴き止んでくれとお願いしながら、店内に入ってきたお客さんのようすを視線で追った。
(あれ? あの人って……)
その人は昼に一度来店した冒険者パーティーの一員だった。開店と同時に入ってきた賑やかな冒険者たちの中でただ一人、最後まで何もしゃべらなかった小柄な戦士だ。
(買い忘れた物でもあったのかな?)
はて、と首を傾げながら見つめていると、こちらを向いた戦士と目が合った。
「すみませんが、これを」
呼ばれたので、慌ててカウンターを出て商品棚の前に移動する。
「えーと……こちらの花瓶ですか?」
「ああ」
戦士が指差していたのは陶器でできた一輪挿しだった。
同じような品が数種類並んでいるが、その中でも一番質素で飾り気がなく、色味も地味な商品だ。表面に魔石が埋め込んであるわけではないので、一見するとごく普通の安い花瓶に見える。実際お値段も魔道具にしてはかなり安価だ。
「これは魔力を込めれば、どんな花でも咲かせることができるのだろうか?」
「あ、いえ……」
わたしはカタログを見てどんな品物なのか把握するしかないんだけど、魔力がある異世界の方々は商品を見ただけでだいたいの使い道が分かるらしい。ただし詳しい説明や注意事項を伝えるのは店を預かっているわたしの仕事だ。
「見たことのない花は無理です。でも花瓶の底に埋められている魔石に、イメージした花を咲かせる魔法の刻印が施されていますので、色や形を知っている花なら咲かせることができるはずです」
「それはどのくらい咲いているものなんだ?」
「期間ですか? そうですねぇ……注がれる魔力量によって多少差があるようですが、最長でおおよそ一ヶ月だったと思います」
「…………そうか」
戦士は目を伏せ、何か考え込むような仕草をしたが、すぐに面を上げてこちらを見た。
「これを故郷の村に届けてもらうことは可能だろうか?」
「えっ!?」
持ち帰りじゃなくて配送希望?
これは初めてのパターンだぞ。
「ちょ、ちょっとお待ちください」
わたしは慌ててカウンターに戻ると、前の店主が残してくれた虎の巻のノートを捲りまくった。それによると、どうやら地域配送も可能らしい。この店、なかなか行き届いてる。でもやっぱり送料は高い。しかも地域によってめちゃくちゃ差がある。まぁ魔物の多さとか、どんな治世が敷かれているエリアかで差があるのは当然だろうけど。
彼が希望している商品のお値段との差がなかなかエグい。
「えっと、できますが…………おそらく商品よりも送料の方がかなり高くなってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「でしたら、こちらで送り状を書いていただけますか」
わたしはキャビネットから伝票を取り出し、ペンを添えてお客様に差し出した。
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