第18話「言霊の壺・後編」④
これはドラマの怪談やホラー映画でよくあるやつだ。
得体の知れない何かが、だんだんと近づいてくる気配。建物の周辺を走り回っているような足音。そして、唐突にドンッと響き渡る大きな物音――――激しく叩かれるドアの扉。ガタガタと揺さぶられる窓。
夜半になって降り出した雨がさらに効果を盛り上げている。
「これマジでホラーじゃん……」
思わずカウンターの陰にしゃがみ込んで手を合わせていたら、再び人の姿になっていたクロに見下ろされ、何やってんのと冷たい声で呆れられてしまった。
いや、普通に怖いんですけど。
「でもま、そんなこと言ってる場合じゃないか」
彼女を救ってあげないと。
「よし、やろう!」
ゴクリと唾を飲み込んでから、大きく息を吸って立ち上がる。それを合図にクロが扉の前へと移動した。
「開けるよ」
把手を握っているクロに頷く。
彼が鍵を解除した途端、ドンと舞い込んでくる突風――――のような何か。
「返して! 私の壺を返してえぇぇぇ!」
ドアをぶち破るようにして侵入してきた新堂玲菜の金切り声が響き渡った。
昼間見た女子高生とはまったく別の何かになってしまった彼女は髪を逆立て、それこそ鬼のような形相だ。雨でびしょ濡れの姿がなおさら鬼気迫っていて恐ろしい。
「あなたが欲しいのはこれでしょ」
私は両手で包み込むようにして持っていた壺をカウンターの上に置いた。
(さぁ来い!)
壺に気づいた彼女がすぐさま飛びかかってくる。
「返せえええぇぇぇぇぇ!」
敢えて抵抗はしない。だから、あっという間に壺は奪い取られた。そのまま彼女は店を出て行こうとしたけれど、残念ながらそれは叶わなかった。
壺の蓋が外れたのだ。
「……あ!?」
蓋には私の髪の毛が一本結んであって、私の手首と繋がっていた。カウンター上から壺が持ち去られた瞬間、その蓋が外れて魔道具としての効果を見事に発揮したのである。
【浄化の壺:あらゆる怨念、邪気を吸い込んで結晶化する壺。姉妹品である言霊の壺とセットでご使用いただくと術者のリスク軽減に役立ち、大変効果的です】
「ああああああぁぁぁぁぁ…………!」
叫び声を上げ続ける彼女から怨霊の化身みたいな黒っぽい霧が出て、壺の中にぐんぐん吸い込まれていく。
数秒、いや、十数秒かかったかもしれない。
突然始まった恐怖の時間は唐突に終わりを告げ、ようやく店内に静寂が訪れた。
床にぺたんと座り込んでしまった新堂玲菜からさっきまでの禍々しい雰囲気はきれいさっぱり消え失せ、魂を抜かれたような放心状態に陥っている。
「まさに毒気を抜かれたってやつだね」
「これ……本当に大丈夫? 白目剥いてない? 精神崩壊とかになってないよね!?」
「それはないと思うよ。そこまで強力な道具じゃないから」
「ほんとに?」
目の前で手を振ってみてもノーリアクションなんだけど。
「まぁ今はショック状態だから、そっとしておこう。一晩寝たらきっと治るよ」
「だといいけど」
その言葉を信じるしかないか。
「でも、このままだと風邪引いちゃう」
「それも寝たら治る」
案外雑だな。
「じゃあ悪いけど、この子運んでくれる?」
クロがドアの方を振り返ってそう告げたのは、例の配送業者たちだった。気づけば見覚えのあるツナギを着た男たちが数人、入り口付近に立ってスタンバイしている。
「い、いつの間に……」
壺を置いて帰ったと思ってたのに。
「よろしく頼むね」
「かしこまりました」
「本当に何者なの……」
私のつぶやきを無視して、彼らは玲菜ちゃんの身体を軽々と抱え上げ、店の外へと運び出していく。
「え……ちょっと、荷物みたいに運ぶのは止めてあげて」
「いいから、いいから」
「いや、よくないでしょ。お巡りさんに止められるよ!」
「彼らに任せておけば大丈夫だって」
私の制止は完全にスルーされ、降りしきる雨の中、玲菜ちゃんと謎の業者たちの姿は闇の向こうへと消えていった。
(……絶対風邪引くよね、あれ。ごめん玲菜ちゃん……)
でもまぁ多少熱を出して寝込んだとしても、命が削られるよりはいい。誰かを恨んだり呪ったりしたまま、訳の分からない存在になってしまうより断然いい。
「……これでちゃんとカタがついたの?」
「たぶんね」
彼女が長年腹の底に溜め込んでいたであろう負の感情は、浄化の壺に吸い込まれ、商品説明に書いてあった通り黒い結晶となっていた。覗いてみると、キラキラした黒い粒が壺の中いっぱいに詰まっている。
「うわ、すごい」
「よかった。これで赤字にならずに済むかな」
「へ!?」
「一旦持ち去られた言霊の壺も、この浄化の壺も、商品としてもう一度店に出すにはメンテナンスが必要だからね。さっきの連中に支払う手間賃もかかる。必要経費だから売上分から差し引かれるけど、赤字は出さないに越したことないから」
「そうか……そうだよね」
万引のせいで潰れる店があるくらいだ。
注意事項を気にして彼女たちのことばっかり考えてたけど、店主なんだからコストや利益についてもちゃんと意識しないといけないんだな。
「この結晶はなかなかいい状態だから、これなら素材として売値がつくと思う。マイナスを補填できるよ」
「へぇ……」
吐き出した毒すらお金になるのか。不思議な感じだ。
「そういえばさっきの業者さんたちに、レプリカを渡していたのはどうしてなの?」
クロは玲菜ちゃんを運び出したツナギの男たちに、これも一緒にと浄化の壺のレプリカ品を渡していたのだ。あの壺を使うと決めてから急遽オーダーした模造品を。
驚くなかれ、この店は魔道具のオーダーや取り寄せまで受け付けているらしい。
もちろん普通の商品は取り寄せや完成にとても時間がかかるし、作成不可能な品もある。素材によってはお値段も高額だ。でも今回は形ばかりのレプリカだから安価だし、すぐに出来上がってきたみたい。にしても24時間受注オーケーなんて、カスタマーサービスばっちりだなぁ。
「高瀬結の場合と同じで、さっきの出来事の記憶は曖昧だろうけど、それでもまったく意識に残らないわけじゃない。自分がやったことが信じられなくて、不安と疑心暗鬼が膨らめば、いずれまた魔に取り憑かれる可能性もある。だからあれを彼女の部屋に戻しておくことにしたんだ」
魔力による影響がほとんどない安全な品。けれど見た目は元の品と変わらないから、彼女には見分けがつかない。
やがて目覚めた彼女はあの壺を見て、自分が友人を置き去りにしてまで万引きしてしまったことを思い出すだろう。今夜のことは熱にうなされている間に見た悪い夢としか思えないだろうけど、目の前に盗ってきた現物があれば、その事実からは逃げられない。
「……返しにきてくれるかな」
「そうだといいね」
もしも怖くなって壺をどこかに捨ててしまったとしても害はないから、結果としては店がレプリカ作製費の損失を被るだけで済む。でも、できることなら…………彼女が自分からあの品を持って謝りに来てくれることを願っている。
「あのレプリカは彼女のお小遣いでも買える額だから、買い取ってくれるのが一番ありがたいんだけど」
「さすがにそれは欲張りすぎでは」
「そんなことないよ。この世界の人って、結構壺好きでしょ?」
「どこの宗教団体の話してんの。壺好きな高校生なんていません」
「そうなの?」
「そうだよ」
「じゃあ、やっぱり返しに来るんじゃない?」
「そう願って待つとしますか」
私たちは笑いながら店のドアを施錠して、二階へと上がっていった。
制服姿の新堂玲菜が、高瀬結と連れ立って申し訳なさそうに店内に入ってきたのはそれから三日後、よく晴れた月曜の午後のことだった。
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