第一章 分裂領地の奴隷と王族

第6話 出会いの季節、冬

「お坊ちゃま、一名以外はいらっしゃったようです」

「ああ。よく集めてくれたね、セバス」


 椅子に仰々しい様子で座りながら、満足げに頷く。

 机の上で両手を組み相手を見下すように首を少々傾けた偉そうな構え、本人曰く『領主の威厳を見せつけるための高貴なポーズ』である。

 朝起きてから三十分、どうすればいいか試行錯誤の末に編み出した自信作だ。


「様になっているかい? 問題ないかね?」

「ええ、たぶん」


 とはいえ、意味も無くかっこいいポーズを探求するほどシュニーは暇ではない。

 今からの予定のために必要不可欠なものなのだ。

 シュニーが大きく動いたのは、少女と話した夜から二日経っての昼であった。


「さて、それじゃあ入れてくれたまえ。この地の有力者たちが如何程のものか、ボクが見定めてあげようじゃないか」


 これから臨もうとしている予定。

 それは、スノールト領に存在する各組織からの使者との対話である。

 領主が領地で一番偉い存在だというのはシュニーの認識であり間違っていないが、一番偉いというのはあくまでも辺境伯の地位だけを見た話だ。

 土地に長く根差して力を蓄えた一部の民と彼らが有する既得権益は、時に領主と真っ向から敵対し立場をひっくり返す事すら可能としている。

 事実、領主が大商会の傀儡になっていたり、直属の戦力が不足して傭兵に頭が上がらない状態になっている地も存在するとシュニーは父から聞いていた。

 これだけではどこまでも危険な存在に思えてくるが、逆に適切な関係を維持し手を組めたならば領地経営に役立つこと間違いなしだろう。


 そうするためにも、まずは領地の現状を知るところから。

 そう考えたシュニーは、セバスにスノールト領の主だった権力者や組織を調査し遣いを求めるよう命じた。

 

 各々のトップが足を運んでくれるとまでは期待しない。

 だが、領主直々の招致であれば完全に無視もできないだろう。

 こちらを探るという意図も込めて、ある程度事情に明るい遣いくらいは出すはずだ。


「はじめましてっ! 騎士マルシナ! ここに馳せ参じたよ!」


 そんなシュニーの思索は、ドタバタという足音と大声でかき消された。

 セバスがドアを開けるなり、敵襲を疑う勢いで飛び込んで来る影がひとつ。


「まず偉い人にご挨拶! これ遍歴の騎士の基本! だよね!!」

「うんうん、礼儀がなっているじゃないか」


 手足と胴に鎧を纏った少女だった。

 無骨な恰好と色素が抜けかけたような灰色の髪、という色彩が与える印象とは裏腹に、友好的で溌剌とした声からはどこまでも明るい人格が伺える。

 

「もしかしてきみが領主殿!? わぁー、思ってたよりちっちゃいんだね! 聞いてみても誰も知らなかったんだけどもしかして最近来たとか? どこ出身!? 僕はね、リエンディア! 小さい村だけどね! 領主殿は立派な服着てるし帝都とか都会の方なのかな?」

「いや近……耳元で大声はやめ……というか角が刺さっているのだが!」


 しかし友好的すぎるのも溌剌すぎるのも少々問題だろうか。

 興味津々といった様子で駆け寄られまくしたてられ、シュニーは防戦一方だった。

 服装に並んで目立つもう一つの特徴、頭の左方から生えたねじれ角について聞く余裕など一切ない。異種の多様性豊かな今のご時世、種族トークは初対面の話始めにはある種鉄板なのだが。


「雑談はまた後程。さっそくお坊ちゃまが疲れ果てておりますので」

「おっとっと! ごめんね!」


 幸いにも救援は早めにやって来た。

 このままでは永遠に話が進まないと判断したのか、セバスが両肩を掴んで引き剥がす。


「マルシナ様は冒険者組合所属のお方となります」

「そだよ!」

「おお、ここにもあるのかね!」


 それと共に紹介したマルシナの所属は、シュニーもよく知っていた。

 シュニーの大好きな冒険ものの小説でもよく登場する組織、冒険者組合。読んで字の如く『冒険者』に関する組合である。 


 傭兵業から日々の困りごとの解決まで、多岐にわたる役割をこなす冒険者は多くの領地で一定以上の勢力を持っている。

 その人口が多い地では武器兵器や保存食、医療といった多分野の需要が必然的に高まるため、経済面でも影響は大きいだろう。

 そんな彼らの滞在状況を管理したり、依頼のルートを一本化する等活動しやすいよう支援するのが冒険者組合の役割だ。


「わざわざご苦労だったね。それでは早速、この地の冒険者がどのような状況なのか聞こうじゃないか」


 現状私兵などの武力がないシュニーからすれば、領地の防衛から叛乱の危険性まで、良くも悪くも特に影響力が強い組織と言える。

 きっと関わる機会も多いだろう。

 領主としてはここでひとつ、良好な関係性を築きたいところだった。


「へ? わかんないよ? 僕、酒場のおじさんからとりあえず顔出してきてって言われただけだし!」

「えっ」


 そしてさっそく躓いた。


「キ、キミも冒険者なのだろう?」

「ううん、冒険者じゃなくて騎士! 見習いだけどここ大事!」

「……騎士としてここの冒険者のこと、どれくらい知っているんだい?」


 マルシナはなにやら騎士に拘りがあるらしく、頬を小さく膨らませている。

 誰でも、それこそどんな貧民だろうと届け出さえすればその日から名乗れる冒険者と、王族はじめ有力貴族に認められねばなれない騎士ではたしかに大きく違う。

 違うが、彼女は冒険者組合から来たのではないのか。

 動揺しながらも、シュニーは改めて聞き直す。


「ぜんぜん! おとといここに着いたばっかだからなーんにも知らないや!」

「おのれ冒険者組合!!」


 領主への遣い、まさかの何も知らない新人。

 シュニーの権威は既にズタボロである。

 あんまりな仕打ちじゃないか。領主に恨みでもあるのか。

 涙がこぼれ落ちないよう、シュニーは死んだ魚のような目で天井を眺める。


「あ、あのっ。そろそろ中に入らせていただいても……ささっ、寒くって……」


 七割ほど現実から逃げ出していたシュニーの精神は、寒さに震えるか細い声で呼び戻された。

 ふと窓に目を向ければ、雪がちらつき始めている……を通り越して吹雪に近くなっている景色が。

 冒険者組合ショックで失念してしまっていたが、呼びつけておいて客人を外に放置するのはあまりにも無体だ。


「……これは気が利かなかったね、皆一旦入ってくれたまえ」

「との事です。どうぞお入りください」


 シュニーが許可するのとほぼ同時に、客人が次々と入ってくる。

 全員で四人。女性が三人に、男性が一人だ。


「うへへ……ありがとうございます……」


 真っ先に口を開いたのは、マルシナを合わせた五人の中で最も年少と思わしき少女だった。

 黒に蒼や赤の点が散った星空を連想させるローブに、鍔広の三角帽子。

 そのいで立ちを見て、シュニーの頭に『魔女』の単語が浮かぶ。


「ナルナっていいます……明日までとは言いませんが……今日の夜くらいまでは覚えておいてもらえると……」

「逆に記憶に焼き付いてしまうよそれは……」


 魔女のような少女、ナルナは卑屈な笑みと共に帽子を脱ぎ自己紹介してきた。

 むしろ忘れようとしても忘れられなさそうだ。


「それで……キミはどこから来てくれたんだい?」


 そして話は本題へ。

 外見通り、魔術に関する何かしらの所属だろうとシュニーは予想する。

 魔術師は冒険者として生計を立てている者もいれば探求の徒、研究者として生きる者もいるとセバスから聞いていた。

 冒険者の遣いとしては(結果は悲惨だったが)マルシナが来ているため、後者の集まりがスノールト領にはあるのだろうか。


「お師さま……ニルヴァ様のお弟子……をさせてもらってます……全然ダメダメですけど……へへ……」

「……ニルヴァ?」

「町の皆さまにお聞きしたところ、この土地で最も優れた魔術師だそうです。今後魔術関係の諸問題が発生した際には頼れるお方かと」


 セバスの説明に、なるほど気が利くねとシュニーは頷く。

 魔術はほんの軽いものならばともかく、それ以上となると素人がどうこうできる代物ではない。

 最初こそ事情を知らなかったので「領地発展の方向性として先進的な魔術の研究とかどうだい?」などと言ってしまったシュニーだったが、セバス不在時の勉強によってそれが如何に難しいのか知った。

 なので急ぎ手を出そうとも思っていないが、熟練者との縁は確かに未来を見据えると重要だ。


「ふむ、ニルヴァ。ニルヴァ……ニル婆?」

「あ……もしかして、もうお知り合いで……?」


 さらにシュニーには、ナルナを代理で送り出してきた相手の名に思い当たる節があった。

 いろんな意味で大物だった老婆の姿がぼんやりと浮かぶ。

 確かに得体の知れない人物だったが、まさかそんなにすごい人だったとは。


「そうか……そうかね。意地悪で偉大だが意地悪な師を持ってさぞ苦労しているだろう。ここでくらい気を休めてくれたまえ」

「えへ……どうも……」


『領主の威厳を見せつけるための高貴なポーズ』を崩し、シュニーは小さな机を挟んだ対面に座るナルナの肩をぽんと叩く。意地悪と繰り返したのに否定されない辺り、共通の見解だったようだ。

 なんとなく、彼女とは仲良くできそうな気がする。そんな直感があった。

 父親、師匠、関係性は違うがそれぞれ偉大な先達を知り、日々苦労している。外見を見るにきっと年も近いだろう。共感できそうな部分が多い。


「それで、あの……」

「どうかしたかい?」


 ナルナはローブの内に手を入れ、何かを取り出そうとしていた。

 その動作はもそもそとしていて、手際の悪さが伺える。

 何か贈り物でもくれるのだろうか。絶妙に焦らされているようでシュニーの期待は高まっていく。


「こんなもので大変申し訳ないのですが……」

「気にしなくていい。ボクはこう見えて心が広いと自覚していてね。民からの捧げ物は喜んで受け取るとも」


 ナルナが取り出したのは、小さなナイフだった。

 相変わらずの腰の低さに、シュニーは鷹揚に答える。

 こんなものと謙遜するが、大事なのは物品そのものではなく心意気だ。

 貴族の品位は大事だが、民の心意気を無下にするのもよろしくない。

 たしかに魔術師らしくはない品だが、友好の証として受け取ろう。


「ルプスガナ公爵! お、おっ、おかくごーーっっ!!」

何故なにゆえーッ!!?」


 違った。暗殺だった。

 申し訳ないで済む話ではない。

 大声を出し慣れていないのが丸わかりな裏返った叫びと共に立ち上がり、シュニーに向けてナイフを振りかぶるナルナ。

 いきなりの事態で腰を抜かし動けないシュニー。


「あ」


 日ごろ運動をしていないと日常でありがちなこういう場面で響く。

 それを思い知ったのはシュニー……では、なかった。


「あっ」


 振りかぶったナイフがナルナの手からすっぽ抜け、直上へと打ち上げられる。

 そしてそのまま、美しい直線軌道で落下し。


「……あ゛」


 とすっ、という軽い音と共にナルナの頭頂に突き刺さった。

 前読んだ物語に『選ばれし者にしか引き抜けない聖剣』が出てきたけどこんな感じの絵面なのかなぁ、とシュニーは現実から逃避気味である。

 そろそろ人間不信になりそうだった。



「すやぁ……」

 

 数分後。聖剣の土台になりかけたナルナは無事一命をとりとめ、セバスのベッドに寝かされていた。


「非情事態で自己紹介が遅れたこと、お許しくださいませ。スノールト聖教会、ミーシャ・ヒネモス・ウィンテルハイムと申しますー。これからよろしくお願いいたしますね、シュニー様」

「あ、ああ。傷病人の救護、感謝しよう」


 あわや顔合わせで死者が出るという惨事になりかけたのを救ったのは、集った中でも良い意味で目立っていた女性である。

 治療に関する魔法を扱える人間がこの場にいたのは、不幸中の幸いと言えるだろう。


 ナルナも大概だったが、彼女、ミーシャも所属が一目で見て取れた。

 ゆったりした露出の無い衣に、頭に被っているベール。修道服と呼ばれる衣服だ。

 黒を基調とするのが基本のそれらと違い全身が白で統一されているという違いこそあれど、彼女が聖職者である事を疑う余地はない。


「それで──おいくら、いただけますかー?」


 言動を除いて。

 微笑を讃えたその顔は大変美しく、まるで宗教画のようだった。

 誰も金銭を要求している表情だとは思うまい。


「あっうん」


 若干雑にシュニーは頷いた。

 なんとなくわかっていた、という意図の応答である。

 この地にまともな人間はいない。自分以外。

 その認識は、シュニーの中で半ば確定した事実として扱われつつある。


「冬の時代にこそ、人の子へ聖神の恩寵を。地に御座おわせない主の指先として、凍える民に救いの手を」


 シュニーも読んだ記憶がある、聖典の一節である。

 聖神教。バルクハルツ帝国をはじめとしてベルキア大陸全土で広く信仰されている唯一神教。


 各地に建てられたこの聖神教の教会もまた、領地を治めるにあたり無視できない組織のひとつだ。

 民に救いの手を、と彼女が唱えているのは信仰の話だけではない。

 人々の心を支えるのみならず、教会は子供たちへの基礎的な教育や傷病の治療を担う医療、貧しい者の支援等多岐にわたる役割を果たしている場合も多いのである。

 特に学校や医院などの専門施設が十分に望めない貧しい土地では、その影響は大きくなる。


「それこそが、主より常世の神秘を預かった私たちが成すべき行いです」


 詩をそらんじるように、ミーシャの言葉は淀みない。


「けれどある日思いました。私曰く『神様、私たちが頑張ってもお給料くれませんよねー』と」

「私曰く、ではないが」


 言葉は淀みないが内容が淀んでいる。

 心なしかミーシャの薄水色の瞳から光が失われているように見えて、シュニーは咄嗟に目を逸らした。


「なのでこうして、自分で稼ぐしかないわけです。ささ、寄付をお願いいたしますー」

「キミたちの日々の資金は聖法府から賄われてると聞いたのだが……」

「このような僻地には届かないのですよねー、残念ながら」


 納得するしかない教会の懐事情に、シュニーは観念してそっと金銭袋を取り出す。

 渋面である。サラダから完全に取り除いたと思っていた人参を噛み潰してしまったときよりなお苦々しい表情だった。


 領民の命を目の前で助けてもらった礼として、教会に寄付する。理屈としては全うだ。この地で教会が果たしている役割を詳しく把握し、本格的な支援について話し合う機会もいずれあるだろう。


「……まあ何であれ、民は民か」


 ただ、今この瞬間については素直に資金を出したくなかった。

 つい先程自分を暗殺しようとしてきた相手のためとなれば、あまり素直にはなれない。

 袋から銅貨を取り出し、ミーシャに手渡す。帝国で流通している中で最も価値の低い通貨である。

 ナルナ、今のキミの命はパン半分程度の価値だ。「今すぐ彼女の首を切れ!」という貴族仕草は抑えたのだ、シュニー的には言外の嫌味くらいはやってやりたかった。


「聖女直々の神秘術ですよー? 本当なら命に届いている傷もああして痕一つ残さず治せるくらいの」 

「……聖女?」


 額が不満なようで唇を尖らせているミーシャに、シュニーが聞き返す。

 なんだか、信じられない単語が飛び出した気がした。


「あっ、やっぱり“冬の聖女”さま!? なんか似てるなーって思ってたんだ!」

「はい。今は三人しかいない内のひとりです。お祈り、いたしましょうか?」


 マルシナの驚き交じりの問いとそれに対する肯定が、まさかそんなと捨てようとしていたシュニーの予想を補強した。

 聖女、という単語が『聖職者の女性』の略でないのは、この地に生きる者として当然の常識である。

 聖神教の聖職者において教皇に次ぐ最高位。

 それはシュニーが知っているくらい権威ある地位だ。

 この白色のお金好きは、とっても偉いようだった。


「私の祈りがあれば、素手で鉄くらいは引き裂けるようになりますよ。あと手足が何回かもげた程度なら平気で治ります。立派な騎士を目指されるのでしたら、いかがでしょう?」

「恐ろしいな!?」


 それは同時に、魔術と並び立つ魔法体系、神秘術を扱う者のいただきである事実を示している。

 か弱いイメージとは真逆に、高位の聖職者は武と神秘術を修めた猛者である場合が多い。

 ミーシャの武がどれ程かはまだわからないが、頭部に刺さった刃物を抜き取り傷痕一つ残さず治癒する術がいかに高度なのかはシュニーにも直感的に理解できていた。


「んー。でも自分のじゃない力で認められるのもなー。騎士と聖教徒の人って複雑だし、賄賂とかなんとか言われちゃったりしそうだし……」

「私曰く『それ荒野でも同じ事言えるのですか?』という言葉があります。秩序を重んじて力を手放しては、成す事も成せないかとー。賄賂、大歓迎です」

「なるほど!」

「やめたまえ納得するんじゃない」


 上手い具合に言いくるめられそうになっているマルシナを止めながら、シュニーは今後に頭を悩ませる。

 帝国全土で数人しかいないような地位の人間が何故ここにいるのかはさっぱりだが、有力者の存在は喜ぶべきだろう。ただ、なまじ偉いだけにどう扱うべきなのか難しい。

 しかも賄賂大歓迎の堕落した生臭聖女さまだ。

 早々無いだろうが、帝国中央から役人が来たりした際に見つかると非常にまずい存在である。

 ミーシャ本人だけでなく、シュニーが領地の管理不行き届きで罰せられるかもという点でも。

 堕落して私腹を肥やそうとする聖職者とそれを黙認する領主、なんて字面を見れば腐敗した領地そのものだ。


「賄賂、罪人……処刑?」

「……あれ、もしかして命の危機ですかこれー?」


 そんな腐敗した聖女さま、ミーシャの首に刃がそっと当てられた。


「是認。略式処刑を開始する」


 凍えるような冷たい声が響く。

 シュニーは勿論、この場の誰も反応できなかった速度で動いたのは、今まで部屋に入る以外何一つ身動きをしていなかった少女だった。


 黒の長髪に黒目、黒の外套に黒の衣服。

 全身を黒で統一した少女は、これまた黒く染まった刃が特徴的な武器、大鎌を手にミーシャを眠たげな半目で見つめている。


「ちょ……」


 慌ててシュニーは制止しようとする。

 さっきから状況があまりにも血生臭い。ほんとに領主と有力者の使者との会談か? と自分で疑ってしまう程度には。


「ボクの前で一体何をしているのだね!」


 今更領主の地位を御旗にしたところで止まってくれるとは思えなかったが、それでもどうにかせねばならないと体が動いていた。

 とはいえ、諦め半分だ。超級の運動音痴なのが明らかだったナルナと違い、今殺戮に走ろうとしている黒の少女は明らかに手合いである。


「あー、待った待ったルナシアちゃん! 話拗れちゃうから、ね!」


 緊迫した空気の中、救いの手は最後のひとりから出された。

 少女に似た黒のコートを羽織った男性が、ルナシアと呼んだ少女とミーシャとの間に割り入る。


「……ん。査問官がそういうなら、取り止める」

 

 それで、話は収まった。

 ルナシアが鎌をミーシャの首から外し、そのまま引き下がる。

 情動が一切感じられない、機械めいた精緻な動きである。


「あー。申し訳ねえ、聖女様。この通りだ」

「いえいえ~、お見舞にいくらかいただければ……」


 自分の力ではないが、どうにかなったようだ。

 シュニーは詰まっていた息をほっと吐きだす。

 ミーシャに恭しく頭を下げる男性を改めて見れば、無気力そうな中年男性だった。

 無精ひげが目立ち、目にやる気も感じられない。


「それで、なんていうかな……悪いんだけどさシュニーくん殿」


 謝罪の後にシュニーへと向き直ったその男性は、気まずそうに頬を搔いていた。


「……もう察しがついたよ。一思いに言ってくれたまえ」


 一方それを受けるシュニーは本日何度目かの遠い目で彼方を眺める。


「第二級査問官、アロイス・クレンゲル。こっちはルナシアちゃん。まあ……皆お察しと思うから言っちゃうけど処刑人ね。それで……」


 先程ルナシアが口にし、改めてアロイスが名乗った『査問官』と呼ばれる立場が何であるのか、シュニーは過去の記憶から思い出すことができた。

 父が話してくれたことがあったのだ。

 各領地に出向し不穏の芽が出ていないか監視し時に処断する任を担う、皇帝直属の人員が存在すると。

 つまり、それが意味するのは……


「帝都からお仕事に来てます、俺ら」


 賄賂と領主の管理不行き届き、早速中央の役人にバレる羽目に。




「さて、差し当たってはだが……」


 シュニーは、一周回って冷静だった。

 騎士見習いは若干アホの子で冒険者組合は塩対応で、魔女の弟子は命を狙ってきた。聖女は守銭奴で、処刑人を連れた中央の役人に色々バレた。


 問題が多いというか問題しかないことがわかったが、終わってしまったものは仕方がない。

 人間は過去じゃなくて未来を見据えて生きるのだ。

 今の状況に関しては現実逃避、と言い換えてもいいかもしれない。


「なあ、セバス。なんというか、偏りのある人選じゃないかい?」


 自己紹介が一通り終わって、シュニーは言わずにおこうとしていた疑問を我慢できず口にした。


「はい。もし代理を出すなら年若い女性がいいと各所にお願いいたしましたので」


 そう、中年男性のアロイスを除いてみな年若い女性なのである。

 加えて年齢も偏っている。女性陣でも恐らく成人しているであろう見目のミーシャを除けば、いずれもシュニーより数歳年上程度でそこまで変わらなさそうだ。

 しかもそれが、セバスの意図的なものときた。


「ひとりだけ、お坊ちゃまにお年が近そうな男性をお呼びしたのですが……いらっしゃいませんね」

「どうしてだね……」


 若干居心地悪そうに、シュニーはさらに問う。

 なぜ多少は話しやすそうな同年代の男性を中心に集めるよう言ってくれなかったのか。


 シュニーはまだ、異性に囲まれて喜べる年頃ではなかった。

 十二歳、どちらかといえば気の合う同性とわいわい遊んでいたい時期である。

 まあ友達ができた試しなどなかったので感覚でしかないが。

 だというのに集められたのはどうしてか女性ばかり。

 妹と母の三人で留守番をした時ですら、若干の疎外感というかなんというかを感じたのだ。

 いくらみんな見目麗しいとはいえ、落ち着かないし気まずい。

 一体セバスは何を考えているのだろうか。


「お坊ちゃま、先日おっしゃったではありませんか。『女性を口説き落とす方法が知りたい』と。このセルバンテス、とうとうそのようなお年頃になったのかとしみじみ……」

「違う! 断じて違う!!」


 大本の原因はシュニーだった。

 重大な誤解が生じている。


「なので各所との関係だけでなく、お坊ちゃまの将来も見越してと僭越ながら」

「キミは本当に優秀な執事だなセバス!!」


 言外に未来のお相手探しも込みですなどと言いだしたセバスに、シュニーは一体どこに気を遣っているんだと大声で皮肉を叫ぶ。

 邪な目的も含めて集められたと聞いたらさらに気まずくなってしまうじゃないかという切実な心境だった。


「うん! ぜったい立派な騎士になるからね! 将来性ばっちりだよ!」

「おやおやー」

「……」


 マルシナがセバスの意図を勘違いし、ミーシャがくすくすと笑い、話を聞いているのかもわからないルナシアが無言。

「えっオジサンがお嫁さん候補……? 玉の輿……?」などとほざいていたオッサンは無視するものとする。

 その意味を察したり察しても真面目に受け取った人間がいなさそうなのは、シュニーにとって幸運だった。


 別にお相手をたくさん探してほしいわけではなく、むしろ逆なのだ。

 まだ何も進展していないし素直に認めもしないが、もっと関係性を深めたい人がただ一人いる。

 ここに彼女がいなくてよかった、とシュニーは心からほっとしていた。

 もし見られていたら、あらぬ誤解を生みシュニーの評価がどん底まで落ち込んでいただろう。


 ああ、酷く疲れた。彼女と会ってとりとめもない話がしたいなぁ。

 また夜中に外へ出たら話ができるだろうか。

 目を揉みながら、シュニーは集った皆の向こう、窓越しの雪景色へと目を向け──


「んにゅ」


──ここにいなくて良かったと思っていた少女と、目が合った。


 ただただ虚無の、赤色の瞳。

 いつもなら見ていたいのに目を逸らしてしまう愛らしい顔が、今は自分を責めているように思えてならなかった。


「誤解なんだ! 勘違いしないでくれたまえ!!」


 果たしてその通りなのか状況から悪い方向に想像してしまっただけなのかはわからなかったが、シュニーは反射的に立ち上がってノータイムで言い訳を叫ぶ。

 浮気がバレた、などという例えはあまりに自意識過剰だとわかっていたが、気分的には同じようなものだった。

 人の家を覗き込むなと文句を言っている場合ではない。


「むっ! 邪悪の気配がするよ!」


 マルシナがばっと振り返れば、既に少女の姿は窓から消えている。

 シュニーは絶望した。

 なんか他人に察知できる負の気配を纏うくらい怒ってるじゃないか。


「それでは、これからの会合ですが……」

「今日はこれくらいにしておこう……元々顔合わせ程度の予定だったからね……」


 もはや、気力が続かなかった。

 疲労と悲しみに心を引き裂かれ、シュニーはぐったりと椅子に体を預ける。


「困った時には呼んでね! たくさん活躍できたら叙勲よろしく!」

「それではごきげんよう、領主様。支援の話でしたらいつでもお受けいたしますのでー」

「な、なんか知らんが……頑張ってな? オジサンで良かったらいつでも相談乗るぜ?」

「……帰ろ」


 唐突に叫んだ後脱力したシュニーの精神状態を慮ったのかそうでないのか、呼びつけられて自己紹介だけで帰される運びになった皆々は大人しく立ち去っていく。


「なあ、セバス」

「はい」

「各所との交渉ってこんなに大変なのかね……」

「はい」


 結局唯一の年が近い男子とやらはその後も来なかった。

 さらに、触れはしなかったが。


「やはり、認められていないのだろうな……」


『領主殿』『ルプスガナ公爵』『シュニー様』『シュニーくん殿』『不明』。

 それぞれのシュニーの呼び方。

 良くも悪くも単純そうだったマルシナを除いて、敬称こそ付けどシュニーを領主と呼んだり話題に出したりする者はひとりもいなかった。

 偶然と片付けてもいいかもしれないが、やはりまだ距離と信頼の無さを感じてしまう。

 ナルナに関しては何故生家の家名で呼ばれたのか本当によくわからないが。


 先行き、大いに不安である。

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