第23話 帰路
本来、町と町の行き来は、それが片道二時間程度の近場であったとしても命懸けとなる。
野盗や凶暴な野生動物ならばまだ生易しい。
未開の地や古代遺跡の探索を生業とする冒険者や軍事教練を受けた者であれば十分に対処が可能であるし、荒事の心得が無い人間でも彼らを護衛に雇えば快適な旅を楽しめただろう。
だが“冬”の時代になって全てが変わってしまった。
“冬”より出でる氷の魔物は武に長けた人間さえも容易に裂き殺し、数多くの都市を孤立させ破滅に導いた。
スノールト領も、こうして衰退していった帝国領土の一つだ。
帝国の北端であるが故に真っ先に“冬”が到来し、人々の決死の抵抗にも関わらずじりじりと生存圏が削り取られていき、かつて『帝国の内の帝国』とまで謳われた都市群は今や領地の名を冠する旧中央都、スノールトしか残っていない。
そして残った一つすらかつての面影も残っていない惨状なのは、この地の誰もが知っている。
「馬車を用意できればよかったのですが……あいにく馬の都合が付かず」
「僕が引いてもよかったんだけどね?」
「それはなんというかこう……別種の乗り物だろう」
そのような都市外部を移動する危険性について理解した上でシュニーが落ち着いているのは、セバスとしては少々意外だった。
シュニーの帰路は、マルシナが前方で哨戒、セバスがシュニーのすぐ傍で護衛する形となっているが、十分とは言い難い。
強力な個体となれば単体で城塞都市すら攻め落とす冬の魔物の脅威を、幼子でさえ知る。
「……どうしたんだい?」
「いえ、なんでもございません」
だというのにシュニーが怯えたりしていないのは、きっとまだ氷魔が現れないとわかっているからなのだろう。
帝国で最も古くより〝冬〟と接しながら、一度その到来を押し返した唯一無二の地。
この領地の歴史を、己が主はきちんと学んでいたのだ。
「あっ、ちょっと足元崩れてるから要注意ね!」
ただ、別件でもシュニーが静かなのが不思議であった。
三人が踏みしめる街道は整備する意味が失われて久しく、酷く劣化している。
道としての名残こそ残っているが、足元は均されておらずデコボコになっていていつ躓くかもわからない。
普段なら、命懸け云々とはまた別にシュニーが騒ぎ出す頃合いだ。
「疲れた」だの「動きたくない」だの「背負ってくれたまえ」だの言い出しセバスやその時のお付きの者を困らせてくるのは日常茶飯事だった。
そんなシュニーが何も言わない。
もしや自分が察知できない奇襲を受けて既に死んでいるのでは?
まさかまさかの可能性を危惧してセバスが隣を見れば、そこには何やら真剣な表情のシュニーが。
「……なあ、セバス」
「いかがなさいましたか」
とりあえず生きてはいるらしい。
一旦安心しながらも疲れていないか聞こうとしたセバスに先んじて、シュニーが口を開いた。
「ひとつ聞きたいのだが……居館にネザーリア連邦の史書はあるかい?」
「ネザーリア連邦でございますか? 探してみないとわかりませんが……急ですね?」
「少々知りたいことができたのだよ」
ネザーリア連邦。突然出てきた国名とその意図を図りかねているセバスの様子に、シュニーは尤もだと頷く。
基礎的な教育を受けたシュニーの記憶に残っていない事実が、かの国は大した規模でも国際的な存在感も無いと証明している。
領地運営に関係なさそうな国についていきなり興味を持つのは確かに疑問だろう。
「お坊ちゃまが勉強熱心になって、大変喜ばしいです」
「うーん、勉強なのだろうか?」
勉強。学問を学ぶこと。
セバスの解釈は間違っていないはずだが、シュニーは少しばかりその言葉に引っかかりを覚えてしまった。
シュニーが冒険物語でもない書に向き合って知識を蓄えるのは、領主として立派になるため、その先の目的を果たすためだ。
そうでもなければ誰がこんな面倒に時間を費やすのかと思っている。
すでに滅んだ南方の小国についての知識は、シュニーの目指す目的からすれば無駄ではないだろう。
政敵の事情をより詳しく知り、弱みを突くことに繋がる。
さらには今後ネザーリア連邦の人間を領地に受け入れる機会があった際、文化の違いによる余計な軋轢を防げるかもしれない。
「なあ、セバス……。執務ではなく個人的な事情で他者への理解を深めるために学ぶのは、領主らしい勉強と言えるのかい?」
けれど現在、シュニーを面倒極まりない学問に向き合わせようとしている動機は違った。
政を担う領主としてではなく、シュニーという個人が知識を必要としている。
自分の感情を上手く言い表せずに困ってしまって、シュニーは執事へと尋ねた。
「理由がなんであれ、勉強には変わりありませんよ。それに……」
遠回しで素直じゃない主の言い様に、セバスは普段あまり変わらない表情を僅かにほころばせる。
「仲良くなりたい相手の事情を深く知ろうとするのは、領主でなくとも私人として良き行いかと」
「べっ、別に仲良くなりたいとかそんな話はしていないだろう!」
「これは失敬」
長年の付き合いだった従者には、シュニーが何を言いたいのかお見通しだった。
頬を染めたシュニーが食ってかかり、セバスが軽く受け流す。
命懸けのはずの帰路には、どこか和やかな空気が漂っていた。
―――――
「ふふ」
「何笑ってんだよ」
町を去っていくシュニー一行の背を、ステラとラズワルドは静かに見送る。
「今の領主様は、思ったよりもいい人でしたから。ラズくんもそう思ってるでしょ?」
「世間知らずなだけだろ」
半ば確信を持った様子で尋ねてくるステラに、ラズワルドはほどほどの悪態で答えた。
こういう時のステラは否定しても聞かないのだと、ラズワルドは経験から理解している。
「けどまァ……多少はマシなヤツだ。クソ貴族どもにしてはな」
少しの間を置いて遠回しに肯定したラズワルドに、ステラが微笑む。
手のかかる幼子を見守るような態度に、彼は居心地悪く目を逸らす。
「そう、ですね」
力持つ者は多かれ少なかれ汚れていて、いつも自分たち弱者を喰らおうとしている。それがふたりの共通認識だった。
根の善性故かラズワルド程根が深くはなかったが、ステラもまた人間に対して不信感を抱いている。
外から襲い来た凍てつく厄災と内から国を蝕んだ人災、ふたつの災いに国を追われた少年と少女は、人も幸福も手放しで信じるには傷を負いすぎていた。
「きっと、今からはもっとよくなりますよ」
けれど今は、全てが上手くいっていて未来も明るい。
ステラはそう明るい展望を持っていたし、ラズワルドも言葉こそ無いが否定はしなかった。
国を追いやられ、ふたりっきりで生き抜いてきた。
騙されて利用そうになって落ち延びて、挙句こんな地に追いやられて。
そこでもまた悪意ある扱いを受け、ついに自分たちと民の為に爆発して立ち上がって、ようやく微かな安寧を得られた。
「この町も、領地全体も、私たちも……これからな気がするんです」
とはいえ、ふたりの目論みは現状では完全に上手く運んでいるわけではない。
新たに命じられたという領主の地位を奪って領地の実質的な支配権を得る。
それはふたりが真に安心してこの地に腰を落ち着けるのに必要不可欠な過程だったが、一番の機会は自ら手放してしまった。
もしなりふり構わず話を進めるならば、最初の会談の時点でシュニーを脅しつけて無理やりに押し通していただろう。
新任の領主が先代のように悪辣な人間だったなら、ふたりは無慈悲にそうしていた。
「時間をかけてゆっくり変えていってもいいのかな、って思いました」
急激な改革は、相応の痛みと出血を伴う。
にもかかわらずふたりが急いだのは先行きが見えなかったからで、領主という存在は自分たちを脅かす相手だという認識があったからだ。
だが民や自分たちと接するシュニーの人となりは、予想とは違っていた。
領地の支配者というには未熟で頼りなく、しかしだからこそ外道には染まっていない。
少々偉そうなところはあるけれど、不思議と子どもたちからは好かれている。
政治的に敵対する立場だと明言すれど、領地を良くしようという同じ願いを持っていた。
だったら、急がなくてもいい。
幼子が少しずつ学んで成長していくように、一歩、また一歩とゆっくり歩んでいく道もあるのかもしれない。
「ま、あいつと組んだところでどう役に立つのか見当も付かねえけどな」
「またそんなこと言って……」
言葉の粗さは変わらなくても、シュニーについて話す時の声色が少しだけ丸くなっている事に本人は気付いているのだろうか。
長い時間を共に歩んできた男の子の素直じゃない態度に、ステラは苦笑する。
「スノールトの町から建築家さんを呼ぼう、って言ってくれましたよ。そうすればここの暮らしも──」
役に立つという言い方は良くないが、シュニーの強みについて。
ステラがぱっと思いついたのは、先日の会話だった。
先代領主から離反して独立した形のため、今は断絶してしまっている領地中央との交流。
シュニーが橋渡し役になってくれればそれがどうにかできるかもしれない。
子供たちだけで生活するには技術面で厳しい部分が多く、作れない物品や不便も多かった。
ステラが指摘された建築様式もその一つだ。ラズワルドとステラが持つ家の知識は故国ネザーリア連邦のもので、寒冷地には適さない南国のそれだ。
この地出身の建築家や大工といった専門家たちにしっかりした教えを乞えたなら、より快適な住まいでみんなが暮らせるかもしれない。
シュニーを排さず共に行く道における、明確な利益のひとつである。
ステラとしては意固地なラズワルドに対するちょっとした意地悪のつもりだった。
こう言えば、一理はあると認めざるを得ないだろう。
でも素直に認めず、軽い舌打ちでもしながら目を逸らすラズワルドがもう頭に浮かぶ。
「──ステラ」
だが、空気はステラの予想とは違う方向に変わった。
「……ラズくん?」
「今なんつった」
外の寒さで少し赤くなった耳に追い打ちをかけるような、冷たい音だった。
ステラは困惑と共に名を呼ぶことしかできない。
以前にも聞いたことがあって、でもあまり思い出したくない声色。
「アイツは、こっちに大人の連中を入れるつもりなのか」
それは、国を逃れると決まった時の彼によく似ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます