第22話 帰還当日
「お坊ちゃま、もう随分なお時間ですよ」
「……もう少し寝かせてくれ」
涼やかな声に、意識の扉が叩かれる感覚だった。
目を開けずとも、まだ完全に目が覚めておらずとも、既に昼が近い時間だとシュニーにはわかっていた。
祭りによる昂奮が冷めず入眠時間が遅れ、疲労が睡眠時間を長引かせる。
それは、ピクニックで大はしゃぎした翌日の朝が感覚として近しい。
「いいえ。そろそろ起きてもらわなくては」
「誰に口を聞いているんだねキミは……父上に言いつけるぞ?」
中途半端に意識が戻っているからなのか寝覚めが悪いからなのか、今のシュニーは少しだけ以前の傲慢一色な彼に戻っていた。
ああ、そうだとも。ボクは偉いんだ。だから何をしても、何を言っても許される。
夢うつつの中で、シュニーは己の意向に逆らおうとする不遜な輩を罰しようとして。
「では証拠隠滅と参りましょう。お覚悟を」
「いだだだだ! 腕が! 腕が変な方向に!!」
有無を言わせぬ暴力に無理やり目を覚まさせられる羽目になった。
「おはようございます、お坊ちゃま」
「……セバス?」
涙目を擦りながら現実の世界に引き戻されてみれば、そこには己の執事が立っていた。
執事が朝の挨拶をしてくれる。
何もおかしくないはずなのに、どこか違和感があるような。
「何故ここに?」
寝起きの頭が回り始めるのには数秒を要した。
それから、上半身だけ起こした状態で周囲を見回す。
そこでようやく、シュニーは己を取り巻く現状の不整合に気付いた。
今シュニーがいるのは、ぼろぼろの部屋だ。
木を荒く削って加工しただけのベッドはささくれ立っていて、装飾はセンスの欠片もない。
ここ数日を過ごした、ステラの城に設けられた客室である。
おかしな点はなかった。今シュニーはこちらの町に滞在しているから。
セバスがシュニーを起こしに来るのもまた、当然の話だ。
セバスはシュニーの執事で、主人を起こすのは仕事の一つだから。
ただ現状、その二つが両立するのがおかしかった。
セバスがここにいるはずがないとシュニーは首を傾げる。
主人を誘拐犯にあっさり売ったこの駄執事は、自分を救出しに来ることはおろか様子を見に来さえしていなかったのだから。
「何故とおっしゃられましても。お坊ちゃまが帰られると知らせをいただきましたので、迎えに参っただけですが」
「……そうかね」
執事的に当然ですが? お坊ちゃまはおかしな話をしますね。とでも言いたげなセバスにシュニーは何も言えない。
どの口でと問い詰めたくもあったが、正直セバスの自由人っぷりには慣れていたのでその気も起きなかった。
それよりも、知らせを受けたという話の方が驚きとして大きい。
帰りたいと伝えて承諾されたのは、昨日の夜だ。
夜の街道を子供だけで移動するなど正気の沙汰ではないため、ステラが早朝にセバスの下へ遣いを出してくれたのだろう。
「こちらでの所用は済まされたのですか?」
「いいや。だが得るものはあったとも。帰ったら聞かせてあげよう」
「それは楽しみでございますね」
内心でステラに少しだけ感謝しながら、シュニーは朝の支度を始める。
ベッドから出ようとしてほんの微かな重量に気付いて布団の上を見れば、そこには畳んだ服が置かれていた。
「……なんだこれ新品かね!?」
それを手に取り広げてみて、シュニーは思わず大声を上げてしまった。
ルプスガナ公爵家お付きの職人に作らせた礼服。
先日大猪との戦いと解体ですっかり汚れてしまっていた、お気に入りの着衣である。
寝ている間に届けられていたのだろう。
「暖かな雪としか形容できない触り心地に、獣の臭いを消したばかりでなくほのかな花の香りを漂わせている……なんという……なんという!」
「お坊ちゃまには評論の才があるかもしれませんね」
着替えながらも、言葉が止まらなかった。
もう着られなくなるのも覚悟していた服が、完璧にクリーニングされている。
町一番の洗濯上手は伊達ではなかったらしい。
シュニーは感動でちょっと泣きそうになって、しかし領主の威厳! とぐっと堪える。
「ほら見てくれたまえよ! セバスが洗濯してくれた時よりずっと軽く感じるぞ!」
ともかく、これだけで清々しい朝を迎えられた気がする。
舞い上がってしまって、シュニーは満面の笑みでくるくる回る。
「ふーん。私なんかの洗濯より、よっぽどいいんですか」
「あっいやそれは語弊があるというかだね」
シュニーの失敗は、喜びのあまり発言に気を遣えなくなっていたことだろう。
「今後は毎回こちらに赴いて洗濯してもらえばいいんじゃないでしょうか? 主の喜びは従者の喜びなので、シュニー様がそうしたいならそうされるのが私としてもよろしいかと」
「すまなかったセバス! キミにはいつも助けられているとも! セバスー!」
結果、不機嫌になった執事をなだめるという仕事が急遽発生。
この思わぬトラブルによって、出立は少々遅れる羽目になった。
「皆様にご挨拶などはよろしいのですか?」
城の外でセバスに尋ねられて、シュニーは立ち止まってしばし考える。
ここの子供たち、とくに幼い層のシュニーに対する認識には大きな誤りがある。
最初はこの町の成り立ちから余計な軋轢を生むかもしれないと名乗っていなかったが、なんだかんだで距離が近付く内に領主だとは伝えていた。
だが年少の子供たちにとって、領主とは『悪そうなおじさん』というイメージが焼き付いているらしく、シュニー=領主だと認識できていないようだった。
あとは大変に業腹な話だが、そもそも偉い人であると信じられていなさそうだ。
シュニーと同年代以上、ある程度は知識が付いている少年少女からすれば、自分に近い年齢層の少年が爵位を授かっているのが偽りにしか思えないのだろう。
結果、シュニーは『さすがに領主とか貴族って言われると嘘っぽいけどそれはそれとして姫様に重用されてる謎の人』という微妙なポジションに収まっていた。
「いや……特に挨拶に来る理由もないだろう?」
それらの事実を勘案して、シュニーは再び歩き出す。
質問に対する答えとして少々かみ合っていないのは、思わず漏れ出てしまった驕りと卑屈が原因だった。
挨拶とは、するものではなくされるもの。そのために赴くのではなく、来訪されるもの。
公爵家の跡継ぎ、上級貴族としてのシュニーの認識である。
だが今の自分にわざわざ挨拶に伺うだけの価値は無い。
ならば誰も来るわけはなく、ここに立ち止まっている理由もまた皆無だ。
「だから、わざわざ見送りに来る者など「帰っちゃうの? 今度いつ来る―!?」
「てかホントに領主さまだったんだな!」
「また魚獲り行くって約束したじゃんかよー! 今度は俺らといっしょに飛び込むんだろー!?」
「ウワーッ!?」
「おやまあ」
そんなシュニーの誤った認識は一瞬で正された。
肉食魚の群れが棲む沼に肉を放り込んだかのような騒乱である。
殺到してきた子供たちに対処できる体捌きはシュニーには無い。
ある程度年上の層は少し離れて話しかけるに留まっていたが、それでも数が数だ。
たじろいでいるにシュニーはもみくちゃに押しつぶされてしまった。
「ごめんなさい、皆に教えたらお別れするって聞かなくて……」
「んな必要ねえって言ったのにな」
別れを惜しむ、あるいはただただこの大騒ぎを楽しむ子どもたちから遅れて、町の統治者とその従者が悠然とやって来る。
「我が主がお世話になりました、お二方。此度の礼はまたいずれ」
「とんでもないです……! こちらこそとっても実のある話し合いをしていただいて」
「悪かったな。アイツが首を縦に振らないせいで返すのが遅れちまった」
誘拐犯と被害者の身内とは思えない和やかな空気だった。
ステラには貴人に対する礼節を持って、ラズワルドには同じ貴人の従者として、セバスは恭しく頭を下げる。
「ぜぇ、ぜぇ……では失礼する、二人とも。キミはもう少し品性を養っておくことだな!」
「おう、次来るまでにもうちょっと鍛えとけヘナチョコ」
「もー、こんな時まで……」
相変わらず相性が悪い。
子供たちの包囲網から必死に抜け出したシュニーとラズワルドが軽い悪口を放ち合い、ステラが困り顔で仲裁に入る。
別れの挨拶にも交えるくらい三者ともに慣れてしまった、お決まりのやり取りだった。
「……それと、ステラ。キミに領主の座を譲るつもりはない」
だからこれもまた、事実の再確認だ。
「けれど同時に、忘れないでくれたまえ。こちらからキミたちを害するような真似はしない。自分の領民を痛めつける趣味もなければ、そんな余裕もないからな」
かつてのシュニーにとって、自分の意思とは周りが汲み取って然るべきものだった。
青き血が流れる者として、わざわざ言葉を発せずとも周囲が尽くして当然なのだと信じて止まなかった。
「だから、キミたちはそのまま進むといい。ボクの地位を狙って、領主に成り代わろうとしてみせろ。その為に皆を導きより良い暮らしを実現し、ボクより相応しいと証明するため励むがいい」
だが今は、いくら言葉を尽くしても足りないと思っている。
自分の思いを正しく伝えるにはまだ経験が不十分で、さらには素直でない内心が吐き出そうとした言葉を歪めてしまう。
なればこそ、せめて今伝えたい精一杯は伝え切ろうと決めていた。
大事な用件は、ふたつ。
「それでも最後には、ボクには敵わないと思い知らせて膝を折らせてやる。このシュニー・フランツ・フォン・スノールトが領主でよかったと泣いて拝ませてあげよう」
ひとつは、宣戦布告だった。
一方的に連れ去られ脅しつけられていた領主は、今改めて対等な立場として簒奪者たらんとする少女と少年に相対し不敵に言ってのける。
剣呑な空気は流れなかった。
それは両者にとって、半ばわかりきっていたやり取りだったからなのかもしれない。
身を翻し二人と子どもたちに背を向けて、今度こそ立ち去ろうとする。
「それと……祭りだがね……楽しかった。ありがとう」
もうひとつは、上手くできなかった。
別れ際に、小さくか細い声で感謝を告げる。
精一杯を伝え切ろう、なんて意気込んでおいて結局面と向かって言えなかった。
でも仕方ないじゃないかと自分に言い訳をしながら、シュニーは逃げるように足を早めてしまう。
頭が熱くて、きっと赤くなっているだろう顔を見られたくなかった。
「今さら言いやがって」
「……こちらこそ、シュニー様!」
けれどその言葉は確かに、ふたりには伝わっていたようで。
ステラが背に向けて小さく手を振り、ラズワルドは悪態を付きながらもじっと目を向け静かに見送る。
こうして、就任五日目にして辺境伯を襲った誘拐劇はひとまずの解決に至ったのだった。
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