第21話 領主は帰りたい

「スノールトに戻ろうと思うのだが……構わないね?」


 ちょっと無理筋なんじゃないかとは本人も自覚していた。

 今のシュニーは虜囚も同然の立場である。

 そのような身がいきなり「そろそろ家帰ろうと思うんですが」と言い出してどうして認められようか。


 許可を求めるでなく「構わないね?」と確定事項だが一応の確認だとでもいうように伝えたのは、領主としてのなけなしのプライドからだ。


「少々執務が溜まっていてね。一旦片付けねばまずいのだよ」


 半分事実で半分嘘だった。

 まだ領民に何の権限も行使できていないシュニーがいなくても、領主着任以前と何も変わらない。特に領地運営という意味でまずい点は無いだろう。ゼロがゼロのままというだけである。


 一方で、シュニー個人からすれば少々問題があるのだ。

 シュニーがラズワルドに連れ去られた一件は複数の領民が目撃している。

 もし何かあって領主不在の誤報が帝国本土に伝わってしまえば、話が厄介になってしまう。

 最悪死亡や逃亡扱いで新しい領主が送られてくる可能性もあり得た。

 自分なりに考えて今の環境に身を置いているのに、勘違いで地位を剥奪されるなど虚しいにも程がある。


「それは……私たちから離れるという意味で間違いないですか?」


 シュニーの事情は切実だったが、ステラの立場から納得がいくかどうかは別である。

 彼女も困惑している様子だった。その質問はシュニーの相談を少し言い換えた復唱でしかない。

 一応、もしかしたら自分が何か勘違いをしているかわからないから念のため意図を確かめておこう、そんな感じの確認だろう。

 それもそうだ。人質に取った人間が堂々たる態度で「そろそろ家帰るわ」と言ったらどんな犯人だって耳を疑う。


「そうだとも。再び助力を求められたのであれば、手を貸すのもやぶさかではないがね」


 しかしシュニーは正気を疑われても構わず突き進む。

 本当なら、突飛な発言にはならないはずだったのだ。

 ステラとラズワルドを説得して傘下に引き込み、凱旋だとばかりに帰還する予定であった。

 もしそれが叶わなくとも、もう少し平穏な空気の中で切り出す予定だった。


 だが現実は冬の寒さのように厳しい。

 ここまで来たら己を貫き通すしかない。不退転の覚悟である。


 言い訳は複数用意してある。

 業を煮やしたセバスが全身フル装備で攻め込んでくるという脅しのようなものから『ボクが戻らなければ様々な話が滞り向こうの民が苦しむ。領主を志す身として、ステラはそれを放置するのかい?』という意地の悪いものまで様々だ。


「わかりました。今まで貴重なお時間をありがとうございました、シュニー様」

「いいのかい!?」

「なんで驚いてんだよ」


 シュニーにとってはありがたい話だが、それらは無駄になったようだった。

 意外にも承諾してくれたステラに拍子抜けし、思わず大声を出してしまう。


「ただ、一つお願いがありまして……それさえ受け入れてくださるのであれば」

「何かな? 難しいものでなければ構わないが」


 喜びこそあったが、シュニーは舞い上がる内心を抑えながら次の言葉を促す。

 交換条件で『領主の地位をください』の話を進めようとされては本末転倒だ。


「今より一週と三日後に、こちらに戻って数日間滞在していただきたいのです」

「ふむ?」


 無理筋な願いへの対価という状況に若干警戒していたシュニーだったが、提示されたのは少々意外な条件だった。

 

「ボクにいてほしい予定がなにかあるのかい?」


 嫌というわけではない。

 むしろ定期的に訪れられるのはシュニーにとっても歓迎すべき状況だ。

 スノールト領の将来を考えるにあたって、こちらの町を放置するわけにはいかないだろう。

 どのような落としどころになるかはまだ見えないが、ふたりとは話し合いを重ねる必要がある。

 スノールトの町との関係が拒絶してしまっている以上、現状で双方のパイプ役となれるのはシュニーだけだ。


 だが再び招かれるにしても、日程がやけに具体的なのが気になった。

 何かしらシュニーが必要な理由があるのだろうが、ステラを実質的な首長に据えて成り立っているこの町にわざわざ呼んでくる事情がわからない。


「先月なのですが……領地の外の方から『この町と良い関係を築きたい』という使者の方がいらっしゃいまして」

「なに……?」


 疑問に答えたのはステラだった。

 遥か未来の予定だった『外交』の二文字が、シュニーの脳裏を高速で通り過ぎていく。


「今この領地で一番話ができるのはドコかって考えて、選ばれたのはこっちだったってワケだ」

「わ、わざわざ言わずともわかっている! だいたいボクが来る前の領主不在の時期じゃないか……! 仮にでもまとめ役がいるキミたちの方がその、偉く見えたのは自然な流れだ……何を自慢げにしているのやら……」


 誰にするでもない言い訳を呟くシュニー。

 実際その通りでありシュニーにはどうしようもない所で進んだ話とはいえ、領主である自分を他所に外交が行われようとしているのは屈辱的だ。

 嫉妬と怒りの炎がめらめら燃え上がる感覚である。


「それで、なんだ……わざわざボクを呼び出すのは、見せつけるためなのかい?」

「そうだ」

「おのれ!!」


 そこに思いっきり油が注がれた。


「違いますよ。私たちのお出迎えや交渉に非礼や誤りがないか、シュニー様に見てもらいたいんです」

「む」


 しかし、鎮火もまた一瞬だった。

 力量差も忘れラズワルドに掴みかからんばかりの怒りを見せたシュニーは、ステラの説明にぴたりと動きを止める。


「自分たちだけじゃ十分に判断できるかわからなかったので、お願いしたいのです」


 利には適っている。

 ステラとラズワルドに交渉の経験はないのだろう。その点ではシュニーも同じだが、少なくとも貴族としての最低限の礼儀作法が叩きこまれている。

 交流相手とやらがスノールト領の周辺というからには、帝国やその周辺の作法で通じる可能性が高い。

 地域文化への理解では、異国の民だったふたりとシュニーには大きな差があった。

 一方で、無視できない点もある。


「こちらとしては構わないが、いいのかい? ボクは君たちからすれば……」


 政敵も同然だろうに、という続きをシュニーは呑み込んだ。


 利に適っているのは確かにそうだが、シュニーに頼るのは目の前のふたりにとっては少々都合が悪いように思えた。

 領主の座を欲している以上は、地位に相応しき能力があると示さねばならない。

 その不足や不安の解消を当の争っている相手に頼るのは良いのだろうか。


 笑顔のステラとふてくされているラズワルドを順に見る。

 恐らく、シュニーが語らなかった言葉は考慮されているだろう。

 ステラはその上で、民のより豊かな生活の為に頭を下げられるタイプだ。

 数日の付き合いであるが、彼女が心優しい少女であるのはわかっていた。


 だがラズワルドはどうだろう。

 明らかにプライドが高いひねくれ者の彼は認めてくれそうにないのだが……というのがシュニーの疑問点である。


「大丈夫ですよ、問題ありません。ラズくんからの提案でしたから」

「ラズワルドから?」


 だから信じがたい答えに、シュニーは目を丸くした。


「おいステラ! 言うなっつったろ!」


 不機嫌から一転、怒りと苦々しさの混じった表情に変わったラズワルドを見れば、ステラの言がお茶目な冗談などでなかったのは明白だった。


「ボクはキミが嫌いな貴族で、領主だぞ? 任せてくれるのかい?」


 まるで縋るような弱々しい声が出てしまう。

 頼まれている側、優位な立場であるはずなのにそのような態度を取ってしまった。

 本当なら、不敵に笑いながら「ボクに屈したという意味かな?」などと言ってやれる状況だったのに。


「いや……いや。何でもない」


 自分らしくないと訂正しようとして、しかしシュニーは止める。

 今はラズワルドの答えが聞きたい。

 それに、何故あんな態度を取ってしまったのか、という己への問いを避けたかった。


「確かにそうだ。テメェは嫌らしいお貴族様で性格も悪い。しかも領主っつぅ碌でもねぇ立場の人間だ」


 何から何まで酷い言いようだ。

 普段と変わらぬ、配慮の欠片もない毒舌っぷり。


「でも、俺らを騙すようなヤツじゃねえ」


 けれど続いて語られた理由だけは、そうではなかった。

 吐き捨てるような早口だ。

 内容を聞き逃して語勢だけで判断すれば、罵倒されたのだと勘違いしてしまうくらいに。


「だからだ。ぐだぐだ言わず働きやがれ」


 本人もらしくないと自覚しているのだろう。

 これ以上言うことなぞ無いとばかりに、ラズワルドは口をつぐみシュニーから眼を逸らす。


「まあいいだろう。領地の他所との付き合いを監視するのも、ボクの仕事だ」


 喜ぶべき状況ではないかもしれない、とシュニーは現状を分析していた。

 シュニーも立ち会う予定であるとはいえ、半ば独立状態にある町が外部勢力との交流や交渉を行うのは、領地全体を統べる実質的な権威がどこにあるのか喧伝しているも同然だ。

 むしろ立ち会っているからこそ『領主も現状を認めている』というメッセージになりかねない。

 

 シュニーがふたりを手伝うことによって生じる相手側のリスクはどちらかというと『自分たちの方がよくできると突き付け立場を譲らせたい相手に頼らねばならない』という本人たちの心情的な面が大きい。


 しかしシュニーのリスクは『領主が先頭に立ち行うべき行事の主導権を他人に譲り渡している』という当人の心情に収まらず民からの評価にも影響する部分だ。


 ステラとの権力争いにおいては悪影響の方が大きい可能性も考えられた。

 断り、何らかの非礼をやらかして関係が拗れふたりの評価が地に落ちるのを期待した方がいいまである。 


「……ふっ。民のたっての願いなら仕方ないね」

「調子乗ってんじゃねえぞ。使えるもんは使うだけだっつぅの」


 そうわかった上でシュニーが引き受けたのは、私情に満ちたごく単純な理由である。


 今まで反目しあっていた相手から少しは信頼されていると知れた。

 その事実は、自尊心が満たされるのを抜きにしても純粋に嬉しかった。

 ただそれだけだ。

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