第20話 小さな祭りと領主のお願い
「祭りか」
「ご興味は? せっかくなので参加いただけたらなー、なんて思うのですが」
陽が落ちかけ、空が赤く染まる時分だ。幸いにも、雪は降っていなければ曇り空でもない。
本来ならステラの執務である町民からの報告の取りまとめ、城に備えられた共用倉庫の視察、といった軽めの執務を手伝いつつ夕食を待つ時間帯なのだが、今日の流れは少々違っていた。
「やめとけ、お偉い帝国貴族様には俺らのお遊びなんざどうでもいいだろ」
城に戻ったシュニーとステラを出迎えたのは、槍を杖替わりにしているラズワルドだった。
脇腹に当てられた布には血が染みているものの、赤黒く乾いた色になっているあたり傷はある程度塞がったようだ。
「ふん、その通りだな。誰が好き好んで……」
売り言葉に買い言葉。
開口一番に皮肉をぶつけてきたラズワルドに応戦するシュニーだったが、ふと言葉を止める。
「と、言いたいところだがね。ボクも見学させてもらうとしよう」
ラズワルドへの対抗心と貴族の誇り、気恥ずかしさその他もろもろ。
いくつもの感情を判断材料にして、結局シュニーは己の本音に従うことにした。
シュニーには、祭りらしい祭りに参加した記憶がない。
いっしょに遊ぼうと誘ってくれる友人もいなかったし、人がうじゃうじゃ蠢いている雑踏は己のような高貴な者が居るべき場所ではないとも思っていた。
父が主催したり他家にゲストとして赴いた際のパーティは何度か経験しているが、それは全く別物だろう。
「祭事に顔を出し民を喜ばせるのも領主の務めだろうからね」
「けっ、逆にやる気が失せるぜ」
「もう、ケンカしちゃダメですよ二人とも」
率直に言って、今のシュニーは心が躍っていた。
ただ素直に頷くのは大変癪だったので、後付けの理由も足したが。
――――――
「……ほう」
祭りの場が近づいて実態がはっきりと見え始め、シュニーは思わず感嘆の息を吐いた。
地べたに置かれたいくつもの小さな灯りが、広場全体を照らしている。
シュニーたちが今手に持っている物と同じ、蛍鉱のランタンのようだった。
蛍鉱は昼間に光を吸い夜に吐き出すとされる鉱石だ。
純度の低い安物なのだろうが、数を集めればそれなりの光源になる。
採掘できる地がこの辺りにあるのだろうか、もしかしたら資源として役立つだろうか。
思考が領主モードに切り替わりそうになったシュニーを引き戻したのは、灯りに照らされた広場の光景だった。
交流のために最低限の灯りだけが置かれている普段とは違い、露店が立ち並んでいる。
草を編んで作った人形のような娯楽品や魚の干物のような食べ物といった様々な店が、子供たちの手によって催されていた。
「普段はどうしても節約節約なんですけど、お祭りの時だけは別です。色んなものをぱーっと使っちゃうんです!」
「ぱーっと、か」
シュニーとしては、擬音が与える印象に対してあまりにも貧相だと思わざるを得ない。
帝都の普段の商店街の方がよっぽど沢山の物品を取り揃えているだろう。
けれどきゃいきゃいと楽しそうな喧噪と目まぐるしく動き回っている無数の影を見て、貴族目線での感想はそっと内心にしまい込む。
「えーっと……どこから見て回りましょうか……シュニー様に紹介させていただきたいのは……」
「あ、おえらがたー! こっち来てー!」
どこに行こうかと周囲を見回していた三人に、ぶんぶんと勢いよく振られる手があった。
何か料理を出そうとしているのか、火にかけられた鉄板を前にしている少女だ。
「ンだよその呼び方」
「ほう、よく覚えていたね。勉強の成果が出ているじゃないか」
「えへへー!」
「テメェの仕業かよ」
幼子らしからぬ固い言葉に、ラズワルドが呆れシュニーは得意げに鼻を鳴らす。
覚えのある顔だった。
青空教室で特に熱心だった生徒の一人だ。
「それで、ええっと……アンネ。キミは何を出すつもりなんだい?」
「イノシシの焼肉! ぜったいおいしいよ!」
名前を覚えていたシュニーへと嬉しそうに笑み、アンネは肉を鉄板に乗せていく。
ジュウという気持ちのいい音と共に、香ばしい匂いが漂い始めた。
「イノシシというと、もしや」
「ラズ兄ちゃんとシュニーがやっつけたやつ! だからふたりとステラさまに最初に食べてほしかったの!」
シュニーの脳裏に、在りし日というにはあまりに最近の記憶が蘇る。
あれは過酷な戦いだった。できれば二度と経験したくない。
半ば反射的にラズワルドを見れば、目が合ってしまった。
思考が一致したことにうんざり、とでも言いたげな表情をしている。たぶん自分も同じような顔をしているんだろうな、とシュニーは顔をしかめた。
「ささ、できあがりました! どうぞー!」
男二人がにらめっこをしている間に調理は完了したようだ。
シュニーが先んじてそれを受け取り、観察する。
木の皿に薄切りの肉が山盛りになっている。サービスしてくれたのだろうか。
皿の隅には盛られた塩が。これを味付けにするのだろう。
単調極まりない料理ではあるが、食欲をそそる香りが頭をぐらつかせてくる。
「これは中々……!」
こんな貧相な料理で喜ぶなど、とシュニーの中のお高く留まった貴族成分が主張していたが、お腹を空かせた男子成分が殴り倒した。
今すぐいただきたい。脳内は肉一色である。
「む……もしやこれは手掴みで?」
食欲にせっつかれて早速味わおうとして、そこでシュニーは気付く。
フォークやそれに類する食器がない。
「なんか文句あんのかよ」
「いや……そういうわけではないが」
勉強になるな、と皿を眺める。
思えば、庶民の食事の具体的内容についてなど考えたこともなかった。
経済力が違う以上料理の内容が異なるのは自然に理解できる。
だが確かに、豪華な食材だけでなく食器が手に入らない場合もあるか。
「また上手になりましたねアンネちゃん! これは今月の料理人賞狙えるかもですよ!」
ステラを見れば、手掴みでばくばくと食べ進めていた。
なるほど、文化の違いというのは興味深い。
手掴みは行儀が悪いと教育されたシュニーからすれば、手が汚れるのに忌避感があるしなにか罪を犯すような後ろめたい感覚を覚えてしまう。
けれどこれもまた経験、民の生活を実感するためだ。
覚悟と言うにはあまりにささやかな覚悟を決め、シュニーは肉に手を伸ばし──
「ごめんなさい付け忘れちゃった! はいどうぞ!」
「えっ」
──普通に串を渡された。
なんだったのだボクの関心は。
シュニーは徒労感を覚えながらも、ふと気づいた。
「……なんですか?」
ラズワルドとシュニーの目線が同時に、手掴みで肉を食べる姫君へと向く。
違和感の主はふたりの視線に気付き、じとっとした目を返してくる。
『食事中の女性を見るでない無礼者』というよりも『コレ ワタシノ ニク アゲナイ』という感じの野性味ある表情だった。
そうしてロマンの欠片もない雰囲気で見つめ合うこと数秒。
「あ、あぅ……! これは誤解で……その、癖といいますか!」
しゅぼっ、という幻聴が聞こえそうな勢いで、ふたりの視線が何を意味するか理解したステラの顔が真っ赤に染まった。
「ステラ……」
「そ、そうです! 派閥! そういう派閥なんです!」
「癖で派閥なのかね……フフッ」
額に手を当て息を吐くラズワルドと無理のある弁明をするステラに、シュニーは思わず笑いを零してしまう。
なんだか愉快な気分だった。
「ところでキミも手掴みではないのだな」
「あ? そりゃ普通はフォークとナイフだろ」
あとラズワルドもどうやらシュニーと同じく手掴みじゃなくて食器使う派閥だったらしい。
なんだその派閥。それが普通ならどうして手掴みか尋ねたボクを非難してきたのかね。
釈然としないものを感じながら自分で自分にツッコミを入れ、シュニーの祭り巡りは続く。
「なんと! お借りしたシュニーの銅貨が消えてしまいました!」
「おぉ……手の込んだ手品だな、良いものを見せてもらった。それじゃあ銅貨は返してもらおう」
「えっ?」
「えっ」
「こら! ちゃんと返さないとダメですよ!」
それから、いくつもの屋台を巡った。
庶民の祭りを何も知らなかったシュニーにとっては、ひとつひとつが新鮮な驚きの連続だ。
「ふむ、草団子」
「おう、コイツが作るのは最高でな。品切れじゃなくてよかったな」
「キミが手放しに褒めるとは少々期待が持てるね。どれ……」
「これを家に置いとくだけで悪い虫が逃げてくんだ」
「食用じゃないなら早く言ってほしかったのだが!? 一口齧ってしまったよ!」
時にシュニーの銅貨が犠牲になり、時にシュニーの胃が犠牲になり。
「ここに取り出しますは自称領主、シュニーくんの服! すっごくきれいだけど血に汚れて臭くなっちゃってるな! 今日はこれを新品かってくらいピッカピカにしてやるぜ!」
「すごい……洗濯物が宙を舞ってます……」
「リュードのヤツ、また腕を上げやがったな」
「自称じゃないしボクの服の洗濯を娯楽にするのはやめたまえよ!?」
『あれ? これボクばっかり酷い目に遭ってないかい?』と思いながらも、時間が経つのはあっという間だった。
「シュニー様、いかがですか? 私たちのお祭りは」
「まあ、悪くはなかった。案内、感謝しようじゃないか」
喧騒から少し離れて、一息つく。
数十人規模の小さな祭りではあったが、元気を爆発させる子供たちに混じって屋台を巡るのは、従者と家族以外独りぼっち生活に慣れていたシュニーには少々堪えた。
派手に宙を舞うお気に入りの礼服がちゃんと洗濯されるのかも心配だったが、なるようになるだろう。たぶん。
「それにしても……何もないところから、祭りを催せるまでになるとはね」
来た時と同じく少し距離を置いてみれば、これまた来た時と何も変わらない賑やかな祭りの光景が飛び込んでくる。
帝都のそれとは規模が違う。華やかさも違う。
けれど確かに、シュニーの目には幸福そうな人々が映っていた。
世界を喰らう“冬”の最前線である辺境の地などとは、誰も信じないだろう程に。
「ここの連中が何としてでも生きてやる、っつってステラが叶えた。それだけだ」
「はい。ラズくんとみんなが頑張ってくれたおかげで、ここまで来られました」
「……そうかね」
民の営みを見て柔らかく微笑んでいるステラに、シュニーは少しだけ複雑な気分で頷く。
思わず見惚れてしまいそうな、心から自分の従者と民を慈しんでいる為政者の顔だった。
「なあ、二人とも。提案があるのだが。この町の今後に関わる話だ」
その表情を見て、シュニーは切り出した。
ふたりの立場とこちらの町の成り立ちを聞いてから、ずっと考えていた案があった。
シュニーなりに領地の現状を考え導き出し、もし受け入れてもらえたなら全てを丸く治められるかもしれない策だ。
何度も提案してみようと思い、けれど切り出すのに臆病になってしまってずっと暖めつづけていた。
「キミたち、ボクの臣下になりたまえよ」
けれど今は、驚くほどにあっさりと口にすることができた。
「へ……」
「あぁ?」
ちらりと目線を横に向ければ、困惑しているステラとラズワルドが見える。
「いや、領民は最初から臣下のようなものだが。そういう意味ではなくてね?」
「……私たちは、シュニー様の領民なのですか?」
「ふん、思い上がらないでもらいたい。いくらキミたちが王族だろうとひとつの町を治めていようと、ボクの民には変わりないとも」
どうでもいい部分だと思いながら補足するシュニーだったが、ステラは困ったように尋ねてくる。
この点に関しては、自信を持って答えられた。
姫だろうがなんだろうが、このスノールトという地に住んでいる以上は領主である自分の民だ。
シュニーはそこを譲るつもりは決してない。
「話を戻そう。キミたちがボクの……領主の立場を求めているのは、大手を振ってこの町を治められる権利が欲しいからなのだろう?」
数日この町で過ごしながら、シュニーは領主である自分と二人との関係性について考えていた。
自分にとって必要なのは領主、辺境伯としての正しき地位だ。
誰かの操り人形などであってはならない。
一方のステラとラズワルドが必要としているのは、今シュニーが持っている領主としての、公的に認められ領地の運営方針を決められる地位である。
「だったらボクに仕える立場として、そうしてくれればいい。それが皆の為になるのなら、ボクが邪魔をする理由などどこにもない」
「それは……!」
両者の願いは両立し得ないように見えて、実はそうでもないのではとシュニーは考えた。
ステラとラズワルドが欲していたのは領主という立場そのものではなく、帝国に目を付けられることなく平穏にこの地を治められる権利だ。
ならば“シュニーという領主の臣下として衛星都市の統治を任せる”といった形であれば、問題は解決するのではないか。
「た、確かにそうかもしれませんけど……ずいぶん急と言いますか……」
「……」
困惑しっぱなしのステラに、無言のラズワルド。
楽しい祭りの最中に話すには唐突な話題だ、仕方ない反応だとシュニーも思う。
けれど、これを切り出そうと思った切っ掛けを作ったのもまたこの祭りだった。
「その、あまり怒らないで聞いてほしいのだがね? 最初は、キミたちのことを明確な敵だと思っていた。領主に逆らい土地を掠め取っている反逆者なのだと」
「その通りに振舞ってやろうか?」
「怒らないでと言ったじゃないか!」
槍をちらつかされ慌てるシュニーに満足したのか、ラズワルドは素直に矛先をひっこめた。
冗談の質が悪い、と軽くラズワルドを睨みながら、シュニーは息を整える。
「けれど、違うと気付いたのだよ」
最初はふたりを、排除すべき存在だと考えていた。
この地は、決して喜べない経緯であれど陛下から預かった偉大なる帝国の領土だ。
その一部を勝手に占有し政を敷いている者がいる。
明確な反逆の徒がいながら、それを放置するしかない無力。
屈辱的な事実は貴族としてのシュニーを焦らせ、内心の余裕をじりじりと削り取っていた。
「キミたちは、良き理想のために民を治めていた。こうして祭りが催され皆から歓迎されているのは、悪辣な為政者などではあり得ないだろう?」
けれど、無理矢理とはいえこの町で数日を過ごして、その考え方は少しずつ変わっていった。
暮らしは貧しく、環境は過酷だ。
その上で皆はステラとラズワルドを慕い、自分たちが掲げるべきリーダーだと従っている。
ふたりは皆の信頼に応え民をまとめ上げ、未熟ながら少しでも良い暮らしができるように日々励んでいる。
彼らの関係性は偽りなどではないと、ささやかながらも明るく暖かいこの祭りの光景が教えてくれた。
「だから、敵対するのではなく共に歩めるなら嬉しい。より具体的な中身は、互いに納得できる落としどころを探ろうじゃないか」
そこにシュニーは、共生の可能性を感じ取ったのだった。
少なくとも、対立する関係よりはその逆であった方が良いと思った。
「テメェが何言いてぇかわかった。理屈もわかる」
「ならば!」
いつもの荒々しい棘が見られないラズワルドに、シュニーは上ずった声を被せてしまう。
思わず感情が高ぶってしまったのは、肯定的な返事が得られそうだったから……が全てではないのかもしれない。
「でも、無理なんだ。テメェが俺らの下に付け。そうじゃねえと、信用できねぇ」
しかしシュニーが己の情動を深堀りする前に、その思考は大きく揺さぶられた。
「なぜ……」
「あのっ、私はもしかしたら、それでもいいかもと……!」
断られた。
驚きに言葉が出なくなり、返事が遅れる。
疑問を声に出せたのは、逆にステラがシュニーに肯定的な返事をしようとしたのとほぼ同時であった。
「思い出せ、ステラ。俺を上から見下ろしてた連中が、俺とお前に何をしたのか。自分より上にいる連中が、どれだけ身勝手に人を踏み躙れるのか。忘れたワケじゃねえだろ」
暴力的な熱ではなく、凍てつくような声だ。言葉選びすら別人のように感じられた。
普段とは明らかに違うとシュニーにも察せられる程に、今のラズワルドは冷え切っている。
「そう、ですけど……」
「だからお前が一番上に立つしかねぇ。そうしないと、何も安心できねえんだ」
何らかの実感が籠っているのだろう、とシュニーはなんとなしに感じ取る。
乱暴者ではあるが、ラズワルドはこれまでステラの決定に口出ししていなかった。なのに今に限ってそうではない。
事情を知るであろうステラは、委縮するように頷くことしかできていない。
「そういうワケだ。この間の話通り、テメェが領主を譲り渡すってんならいつだって歓迎してやるよ」
シュニーとステラがそのまま何か反論することもなく、話題は打ち切られてしまった。
祭りの賑やかさとは真逆の、気まずい沈黙が三人の間に流れていた。
「そ、それとだね……もう一つ話がある」
そこに切り込んだのは、再びのシュニーだった。
静かではあるが多少の自信があった先ほどとは違い、恐る恐るである。
空気を考えれば致し方ない状態だが、さらなる事情があった。
「スノールトに戻ろうと思うのだが……構わないね?」
そう、あまりにも間の悪い相談内容なのである。
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