第19話 建築事業の悩み事
その日の町は、朝から少し様子が違っていた。
「おはよー、シュニー!」
「様を付けて呼びたまえよ」
寝ぼけまなこを擦りながら城を出てすぐに、キンキンした幼声の挨拶が頭を殴りつけてくる。
寝起きと相手の態度に少々不機嫌さが乗った声でシュニーが答え、子供たちは適当に話を切り上げて去っていく。
朝の恒例行事である。
「おう! シュニーさまもとっとと仕事済ませろよ! 疲れて寝過ごすんじゃねーぞ!」
「うん……? ああ」
『シュニーさま』。
自分に対する敬意の欠片もない子供が、敬称を付けて己を呼んだ。
衝撃に一瞬だけ意識が覚醒したシュニーだったが、その驚きもすぐに思考の隅へと押し流されてしまった。
今日の執務はかなり楽だ。それに楽しみでもある。
幸福感に満ち満ちて居眠りしてしまうかもしれないな。
そう、立ち去っていた子供の言葉に対して疑問を抱くこともなく、シュニーは現場へと気持ち早足で向かうのだった。
―――――
「十数人の宿泊と二三十人程での会合を想定、か。これなら問題ないんじゃないかい? ボクからすれば動物小屋のようなものだがね、庶民の祝いの席程度なら十分な広さだろう」
「なるほど、参考になります」
建物の各所を見回った後のシュニーの所感を、ステラが書き留める。
本日のシュニーの視察および執務は『新たに建てられた家の評価』であった。
現在シュニーが立っている邸宅は、ステラ曰く現在最も力を入れている建築物だという。
現在外装がほぼ完成していて、内装も九割ほど。
建築様式の簡易さもあり、あと三日もあれば完成する見込みとの話だった。
今からの変更は少々難しくはあるものの、場所によってはできないわけではない。
何に使うのかは知らないが豪華で棲みやすさを重視したものを建てたいらしく、裕福な暮らしの経験がある人間の意見を仰ぎたかったというのがステラの談だ。
そこで白羽の矢が立ったのが元公爵家の跡継ぎ、シュニーである。
「さっき言った通り、見てくれの美的センスについては何も言うまい。キミたちとは基準が異なっているからそちらで評価してくれたまえよ。それにボクは建築家ではないからね、あまり技術的な話ができるとも思わないでほしい」
「はい、大丈夫です。シュニー様から見て過ごしやすいか率直にご感想をいただけたらなーって」
鮮やかな色の落ち着かない装飾から目を逸らしつつ、祝宴用や平時は集会場にする予定だという広間を歩く。
事前に伝えていたとおり、シュニーにできることはさほど多くない。
ぬくぬくとした贅沢生活を送っていたシュニーからして快適なのかどうか、という評価程度だろう。
「さて……広さ以外についてだが……」
シュニーはダメな貴族である。
周囲に甘やかされ、惰眠を貪って堕落した日々を送っていた。
スノールト領に来てから数日、寒さに凍え貧相な食べ物に我慢する暮らしにどうにか耐えていたが、それでも本質は快適な生活環境をこよなく愛する人間だ。
天蓋付きのベッドと雪綿の布団が恋しくてたまらないし、贅を尽くした料理の数々を夢に見る日もある。
そこに飛び込んできた『快適な生活をコンセプトとした豪華な住居の体験』という執務を聞いた時の喜びが、どれほどのものだったか。
所詮は庶民の考える豪華で快適だ、そこまでの期待はするまい。
けれどそう言うからには普段よりも格段に良いものが用意されているのではないだろうか。
そう期待に胸を膨らませていた。
「キミたちは本当に! 快適な住居を作ろうという気があるのかい!?」
「ほわぁ!?」
なのでシュニーは怒った。それはもう壮絶に。
ここまで頭に血が昇ったのは、実家を追われてから初めてだったかもしれない。
「だいたい何だねあの寝室は! ボクが寛大だったから良かったものを、あのような部屋に貴人を泊めれば最悪戦争沙汰だぞ!?」
「それは言い過ぎではありませんか!?」
言い過ぎなどではない、宣戦布告が妥当であると並行世界における未来のシュニー、ルプスガナ公爵が頷いている。
「あのベッドはどういうことか! 敷布団を薄布一枚で済ませただけなど、客をもてなそうという気概が全く感じ取れない!」
少し嫌な予感はしていた。
シュニーが宿泊しているベッドも同じような状態であり、ささくれが取りきれていない材木のせいで背中がちくちくと痛んでしまった。
技術の限界なのか王族のくせにステラがその辺り無頓着なのかはわからないが、城の客室でこの有様だ。
それ以上の待遇が望めると思っていたのが間違いだったのだ。
「お、おい……せっかく姫様と兄貴がどんな感じか決めてくれたのにさ……」
「ボクは領主だぞ静かにしていたまえ!!」
煉瓦を運んでいた子供の一人がステラへの不敬に口出ししてきたが、今のシュニーは止まらない。
これまでで一番領主らしい自信と傲慢な威厳たっぷりの態度でばっさり切り捨てた。
「それから竈の配置が悪すぎる! どうしてあんな外側に追いやっているんだね! パーティに冷え切った料理を出すつもりかい!?」
次いでシュニーが指摘したのは竈だった。
数十人規模の祝宴を想定しているだけあって、竈は大型のものが複数備え付けられていた。
しかしそれら全てが、建物の隅や離れに配置されていたのだ。
竈は料理に使うだけでなく、排気を工夫すれば部屋を暖める用途にも用いられる。
この冬の時代に熱を無駄遣いするなど、シュニーからすれば考え難い愚行であった。
「だ、だってお客様からすぐ見える場所に置いてあるのは失礼なんじゃないかなって……」
「……む? 竈が失礼だって?」
一体何をやっているのだと燃え上がるシュニーにしどろもどろなステラ。
けれど彼女の言葉で、シュニーは認識の齟齬に気付いた。
「もしかして……キミの国では、竈が軽んじられていたのかい?」
「はい……人がいる場所に置くのはあまり良くないのではと」
この国において、竈は精霊が宿る神聖な場として大切に扱われている。
今は廃れた古代宗教に端を発する信仰のため、現代でこそ半ば冗談めかして語られる話だが、“冬”が始まる前から国土の多くが寒帯に属していたという地勢柄、古来より寒気を遠ざけ暖を取れる場所は人々に重宝されてきた。
そのため、竈があるのが失礼などという話はあり得ない。
「……少し昂奮しすぎたようだ。申し訳ないな」
「いえ、お気になさらないでください。こちらでは大丈夫だったんですよね?」
話が拗れなかったのは、今のシュニーには行き違いがあれば怒りを治め謝罪できるだけの精神的余裕があり、ステラにその謝罪を受け入れられるだけの鷹揚さがあったが故だろう。
「その言い方だと、キミの国では違ったのだな」
「はい。ネザーリア連邦は、常夏の国でしたから」
結局のところ問題は文化の違いだったのだと両者は気付き、互いにそれを認めた。
南方の諸島連合、ネザーリア連邦。
かの国についてシュニーが知る情報はほとんど無かったが、そう言われて改めて得心がいった。
竈の扱いが比較的軽いのも、隙間風がやけに入り込んでくるのも、この町の住居が南国の建築様式を土台にしているからなのだ。
恐らく、全ての家がそうなっているだろう。
乾いた冷たい気候の土地と湿った暖かな気候の土地では、求められる条件が全く異なっている。
真逆の環境に持っていけば、合理性が一転不合理になってしまうのは当然だ。
ただ、ステラもラズワルドも、この極寒の地で故郷と同じ様式を貫く意味があるとは思っていないに違いない。
少なくともシュニーの目からすれば、二人は盲目的な愛国者ではないように見えた。
けれど、北国に適応した帝国式の住居を建てるには知識が無かったのだろう。
きっと、この不合理に見える建築の数々は妥協の産物だったのだ。
碌な資源も伝手も無しに荒野へと飛び出した子供たちを、どうにか生き長らえさせるための。
「……そのだね。少々考えたことがあるのだが」
苦肉の策。それが間違いだとはシュニーにはとても言えなかった。
しかし生活の土台となるべき住居の不完全さとそれを放置している今の状況が望ましくないのもまた事実だ。
「後ほど、ボクが伝手を作れたら……。スノールトの町から、建築家を呼ぶのはどうだろうか」
「……」
帰ってきた沈黙という答えに、シュニーは一瞬言葉を止めそうになる。
ステラははっきりと言葉にしてはいないが、否定的な意図が微かに感じ取れた。
「キミたちはもう少しマシな家に住むべきだ。隙間風に凍えるような家屋に民を放置するなど、領主として見ていられない」
だがシュニーは己の考えを押し通す。
領主として。その言葉が、シュニーの地位にとって代わろうとするステラの至らぬ部分を攻め傷つけるのだと知っていた。
けれど、シュニーにだって譲れないものがある。
「ありがとうございます。皆のこと、大事に思ってくれて」
「……」
今度は逆に、シュニーが黙り込む番だった。
はっきり頷いてはいけない気がしたし、否定してもいけない気がする言葉だ。
「シュニー様がこの町に来てくれて、よかったです」
「当たり前だろう。全ての民にそう思わせるのが、ボクの中間目標なのだよ」
答えに窮している間にステラが話を進めてくれたのは幸運だった。
シュニーは賞賛の言葉を素直に受け取ることなく、そっぽを向く。
少し赤くなっている顔を見られるのが、恥ずかしく感じられた。
「ところで気になったのだが……今日は皆が随分と落ち着かない様子だな」
それから少しして、そういえばとシュニーは今日一日の疑問を思い出した。
ここで作業をしている子供たちといい朝に挨拶を交わした子供といい、なにやらそわそわとしている様子だった。
どこか上の空というか、手に付かないというか。
誕生日を間近に控えた弟と妹がこんな感じだっただろうか。自覚してなかっただけで自分もそうだったかもしれない。
「あれ、お伝えしていませんでしたっけ? 今日の夜はお祝いのお祭りがあるんですよ!」
「そういえば……この前そんな話を聞いたような気がするね?」
そこでシュニーは、すっかり忘れていた祭事を思い出すのだった。
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