第17話 姫様の胸の内
「ありがとうございました、わかりやすかったです!」
ステラの疑問を解決し、ふたりは共に帰路を歩く。
「当然だとも。この地を治める身なのだからね」
シュニーの自慢げな声には二重の意味が籠っている。
領主として民の問題を解決するのは当然。高貴なボクにはこのくらいの言語能力はあって当然。
民に勉強を教えその双方を示せたシュニーは実に満足していた。
あまり性格が良くない考え方だという自覚はあったが、自分の座を狙っている相手に領主としての格を見せつけられた、という優越感も重なり今のシュニーはニコニコである。
「うぅ、そうですよね……。喋れるようになっただけで調子に乗っちゃってました……領主になるんだったら外国語のひとつくらい完璧にできないと……!」
「うっ……!」
しかし調子に乗っている人間へと天罰が下るのは世の摂理だろうか。
自省するステラに予期せぬカウンターを叩きこまれたシュニーは思わず顔をしかめる。
よくよく考えたらステラは外国人で、バルクハルツ語は彼女にとっては外国語だ。
すらすらと会話できていたせいで失念していた。
時に外交官の役目を負うこともある貴族にとって、古くから他国語の教養は必須だと言われている。
他の国家がほぼ壊滅している現代で他国に赴く用事はほとんどないものの、国内に受け入れた避難民たちとのやり取りにおいて極めて重要な意味をもっている。
シュニーは例によって例の如くサボりを繰り返したため母国語しか話せない。
己の過去に対する負い目もあり、シュニーはドヤ顔から一転して花が萎れるようにうなだれていく。
「あの! もしよろしければシュニー様が普段どのように勉強されているのか……」
「やめようかこの話は! せっかく一日の務めを果たしたのだから今からは身と心を落ち着ける時間だろう!」
シュニーは逃避した。
これ以上続けると深手を負う可能性が高いだろう。
相手が無自覚なのがより辛い。
「それよりもだね! ラズワルドの調子はどうだったかい!?」
なので露骨に話題を逸らしにいく。
実際、多少は気になっていた内容でもあった。
朝の戦いで負傷した、乱暴者の少年について。
戦友とは呼びたくないが、曲りなりにも共に修羅場をくぐり抜けた相手だ。
頭の片隅に引っかかっているのは仕方ないのだとシュニーは己を納得させる。
「キミが外に出ているのだったら大事にはなっていないのだろうが心配になってしまってねぇ!」
流れを誤魔化すのに必死で語尾がやたら上がってしまったが、シュニーはなんとか言い切った。
ステラが青空教室に参加していたのはただの日常だと聞いていた。
シュニーが変なことを吹き込まないかとか、子供がシュニーに対して何かやらかさないかとかを見張る監視役ではない。
日常の習慣を繰り返せている時点で、深刻な事態には陥っていないのだろう。
なんとなく状況は推測できていたからこそ、話を逸らすための話題に利用したのだ。
「はい、本当は付きっきりで看病していたかったのですが……勉強してこいって追い出されちゃいました」
「元とはいえ一国の姫君にそこまで想われているなど、果報者だな彼は」
ステラの返答は部分的に予想通りで、しかしシュニーの想定から外れている部分もあった。
「そ、そんな……いつものことですから」
「……ふむ」
あわあわと手を振るステラの様子に、シュニーは顎へと手を当て考え込む。
ステラの反応を見て、加えて聞いてみたい内容が浮かぶ。
「以前より疑問だったのだがね。キミ達は随分と深い仲のようだが……」
「ひゃいっ!?」
途端、ステラが飛び跳ねた。
突然の激しい動きに、シュニーもびくっと体を硬直させてしまう。
軽く尋ねたつもりなのだが、何か言葉を間違ってしまっただろうかと。
「ふ、深い仲ですかぁ……。そんな風に見えてましたか? 私とラズく……ラズワルドが、奴隷と王族が、ふ、深い仲だなんて……」
頬をかき、もじもじと体を揺らしているステラの心情はシュニーにはよくわからなかった。
恥ずかしがっているのはわかる。庶民と仲がいいと指摘されて同列に並べるな汚らわしいと怒っているのだろうか。
そんな予想が一瞬思い浮かんだが、すぐに的外れだと理解した。
「平民と仲を深める貴族がいたっていいだろう。釣り合うかどうかはその者たち次第だとも」
「へ……」
驚いたようで足を止めたステラに、シュニーは気まずそうに眼を逸らす。
「ほんとに、そう思われますか……?」
事実かどうかを確かめるような、信じられないというようなステラの目。
意外に思われ、加えて疑念を持たれている理由はわかっていた。
貴賤の身分差が激しいバルクハルツ帝国の貴族としての思考ではないからだろう。
帝国絶対主義と徹底的な階級社会への肯定は、国民性にまつわるジョークで使われる程に典型的な帝国貴族の特徴だ。
ステラの認識がそうであってもおかしくない。
そしてシュニーの価値観は、己自身で構築したものではなく父から叩きこまれた帝国貴族そのものである。
多くの経験から考え、教わった価値観とのずれを認識し、どちらが正しいものと置くのか熟慮し再構築する過程を辿るにはシュニーはまだ経験不足だった。
「普通なら思わないだろうがね」
少しだけ迷って、シュニーは数少ない例外を口にする。
“高貴なる者、下民と易々触れ合うものではない”。
それはシュニーに与えられた常識だったが、しかし完全に受け入れているわけでもない。
平民を見下す思想は確かに内にある。幼少期にはその通りの過激な思考を持っていて、幾度となく余計ないざこざを起こしたものだ。
けれど一方で、今のシュニーはお互いの交流を断絶するべきというまでの結論には至っていなかった。
「だが、ボクの執事も元平民でね」
「そうでしたか……!」
それは、長い月日を共にしてきた例外だった。
幼い頃より刷り込まれた価値観に幼い頃より入り込んでいた、差別意識に真っ向から抗う異物があった。
だからこそ、現在のシュニーの身分差に対する認識は純粋な帝国貴族とは少しだけ違う位置にある。
「ただ、常態とは言い難いのも確かだ。尊き身の従者は、主ほどではないが近い身分から選ぶのが自然じゃないかい?」
わざわざ訪ねた理由も、これだ。
シュニーには己の思想が一般的ではないという自覚があった。
それ故に、自分と同じように平民を傍に置く事情がどこにあるのか気になってしまったのだ。
貴族の従者や副官といった傍に侍り支える立場ならば、教養と家柄双方において高い水準が求められるのが普通である。
国家の頂、王族ともなればなおさらだろう。
「それともネザーリア連邦だったか、キミの祖国では平民を王族に仕えさせるしきたりが?」
「い、いえ……たぶんそんな事はないかと思いますが……」
シュニーの疑問はあくまでバルクハルツ帝国の文化を基準にした話だ。
誇り高き帝国貴族の一員であれど、今の時代に帝国の常識こそが全てなどとは考えていない。
けれど同時に、万国共通で通用する話なのではないかとも思う。
能力でも信用という面でも、幼少より優れた教育を施された上流階級の人間の方が信用できるのは当たり前だろう、という理屈は。
「だったらなおさら謎でね。何故彼のような礼儀知らずな人間を──」
「ラズくんは、すごい人です」
興味のままに尋ねたシュニーを遮ったのは、穏やかな声だった。
「確かに乱暴でお行儀が悪いところはあるかもしれませんけど……でも、前よりもずっと良くなりました。最初にお会いした時はそれはもう酷かったのですよ? シュニー様があの時のラズくんと会ったら、きっと一言目で喧嘩になっていたかなと」
身内の過去の、部分的には現在進行形での恥。
けれどそれを語る声からは、内容に反してほんのりとした熱しかない。
「ぶっきらぼうですけど面倒見がいいのは、昔から何も変わってません。今でもみんなから好かれてますけど……もう少し笑ってくれたら、もっといいのにと思ってしまいます」
笑顔、笑顔か。
シュニーには人を殺す直前かのような悪辣な笑みしか想像できなかったが、ステラはどこか懐かしんでいる様子だった。実際に見たことがあるのだろう。
「それで……優しい人です。いろんな不幸が重なって、昔は隠れちゃっていたけど……すごく、優しい人なんです」
大いに疑問に思うべき言葉だ。
ラズワルドのどこを見れば優しい、などという表現に結び付くのだろうか。
まさかそんな、と流石に異論を挟もうとしたシュニーだったが。
「だから、いっしょにいます」
ステラの顔を見て、小さく頷くことしかできなくなってしまった。
それが彼女にとって紛れも無い真実なのだと、何よりも雄弁に語っていたから。
「……そうか」
なんとかは盲目、などという言葉があっただろうか。
なんとかの部分は本当に思い出せなかったが、好意的な感情は時に判断を鈍らせる……みたいな意味であることはぼんやりと覚えていた。
「キミは本当に、彼のことが好きなんだな」
「はいっ……好き!?」
ステラが語った内容に異論はないし、そもそもできない。
どこまでが自分にも同意できる客観的事実でどこまでがステラの主観なのか判断するのは、シュニーには無理だ。
なので。
「ボクが他人のことを語る時には、もう少しボクからどう思っているかの感情が漏れないように気を付けねばならないな」
「あ、あの……シュニー様……」
必要な学びだけ得て、シュニーは話を打ち切った。
ぷるぷると震えているステラに、うんうんと頷く。
気が付けば、もう目の前には城の門が見えていた。
「さて、キミは今から見舞いに行くのだろう? ボクはお風呂でもいただくとするよ」
「シュニー様!!」
肝心かなめのふたりが一緒にいる経緯こそ聞けなかったが、領主としての立ち振る舞いの参考には大いになった気がする。
何やら怒っているステラを他所に、勝手に満足するシュニーであった。
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