第16話 机仕事も楽じゃない

 やはり自分の適性は机で書に向き合う仕事だろう。

 大猪の解体という重労働を経て今現在書と向き合い、シュニーは強く実感した。


 戦でもないのに野山を駆けずり回って野生動物と死闘を繰り広げるなど、スマートな貴族の行いとは程遠い。

 人間にはそれぞれの階級に見合った仕事があるのだ。

 大臣に畑を耕させ農民に国政の具体策を問うても効率が悪いように。


「……昂奮に身を任せてしまったかもしれないな」

 

 手元の本からさらに目線を下げ、シュニーは自分が着ている衣服をちらりと見る。

 なんとも嘆かわしい、威厳の欠片もない粗末な平服。

 シュニーが後悔している大きな要因だった。


 今のシュニーの服装は領民たちとほとんど変わらない、何の動物の革かよくわからない灰色の外衣と粗い羊毛の上着だ。

 作りが作りなので、複数枚重ねて着ることで無理やり寒さを誤魔化している。


 先程まで着ていたお気に入りの礼服は、血の汚れと沁みついてしまった獣の臭いのせいで着られなくなってしまった。

 この町一番の洗濯上手に洗わせる、と約束を取り付けはしたものの、果たしてまた着られるようになるのだろうか。

 薄い期待に、シュニーは溜息をつく。

 貴重な経験であったのは確かだが、それはそうと代償になったものを思えば気分が沈む。


「ねえねえこれなんて読むのー?」

「わざわざボクが教えてやる程の内容かい? これだから学の無い庶民は……」


 鬱々とした心境では受け答えも思わず刺々しくなってしまう……と言いたいところだったが、素である。

 元気に手を挙げて質問してきた相手に容赦なく高慢貴族ムーブをかますシュニー。

 甘やかされ放題だったお坊ちゃまの面目躍如と言えるだろう。悪い意味で。


「ぷぷ……読めないからごまかそうとしてるんでしょー? 先生しっかくー!」

「ボクを誰だと思っているんだ! この一節はだな……!」


 しかし相手はシュニーの立場も偉そうな態度も気にしない元気一杯の子供だった。

 逆に煽られてしまい、まんまと乗せられ怒りと共に説明する羽目に。

 書と向き合うのが適職だとは言った。

 ステラにそう説明し、だったら丁度いいところが、と提案された。

 けれどこれは少々違うのではないかい? とシュニーは眼前の光景を疑問に思う。


 夕焼けの町の一角に並べられた椅子と机、そこに座った子供たち。

 現在、シュニーは青空教室の先生になっていた。




 時は数時間ほど遡る。

 早朝に出発した食料確保隊が帰還したのは、昼食時を少し過ぎた頃合いだった。

 元々の想定よりもたくさん獲れていた魚に、何をするにも欠かせない大量の水。

 さらには、臨時収入とでも言うべき大猪の肉。


 成果は上々で、帰ってきたシュニーたちは歓喜を以て迎えられた。

 聞くところによれば、近々祝祭が催される予定だったので食料が多めに欲しかったのだとか。

 マルシナが赴いた山の方面も成果は上々だったそうで、狩りこそしなかったが撃ち捨てられていた新鮮な動物の死体から肉を確保できたらしい。

 というか、子供たちに野生動物を狩れるだけの武力は無いらしく、山での肉の確保は主にもう死んでいる動物からなのだとか。


 しかしシュニーは無邪気に喜べなかった。それはもうしおしおになっていた。

 理由は先に述べた通りだ。

 命の危機に気疲れした上お気に入りの服が酷く汚れてしまった。

 何不自由なく生きてきた彼に容赦なく突き付けられたハードな狩猟ライフは、精神を疲弊させるには十分だった。


 一日分どころか一週間分くらいの元気を使い果たした気がする。

 少なくとも今日はもう何もする気が起こらなかったシュニーは、替えの服を受け取りひとまずの住居としている城の一室に戻って寝ようとしたのだが。


「兄ィィ!?」


 何やらただ事ではない悲鳴と騒ぎに、踵を返す羽目になった。


「……相変わらず心配しすぎなんだよテメェらは」


 小規模な人だかりの中心にいたのはラズワルドだった。

 普段と変わらない、相変わらず愛想の欠片もない表情である。


「道でいきなり倒れたら心配されない方がおかしいですよラズくん!?」


 ただし、石畳に横たわっている。

 若干顔色が悪い気がする。手で脇腹を押さえている。恐らくは、先程の戦いの傷が思いの外重かったのだろう。

 この状況でどうして心配されないと思っているのかと大いに疑問を抱くシュニーだったが、そのツッコミは慌てて城から飛び出してきたステラが代弁してくれた。


 自分の従者が心配になる気持ちはよくわかる。シュニーだってセバスの奇行にはいつも悩まされている。

 微妙にずれた共感を覚えながら、シュニーはステラに経緯を説明しようとした。


「これはだね……猪だったかと戦った時「何でもねぇ。石畳が割れてたのを確かめただけだ」


 刹那、ラズワルドが起き上がった。それはもう凄い勢いで。

 苦しい言い訳だった。

 石畳の状態に気を遣うような性格では明らかにないし、そもそもこの町の石畳はかつてのものを利用しているだけなので欠けたり割れたりしているのは珍しくない。


「……いや、どう見ても「今さら芸術鑑賞ってヤツに目覚めたんだよ。いいよな石畳。テメェもそう思うだろ」


 苦しすぎる言い訳だった。 

 同意を求められても困る。貴族のたしなみとして芸術鑑賞は好きだが、シュニーは別に石畳愛好家ではない。というか石畳は芸術品ではないと思う。


「ラズくん。人が喋ってる時に被せちゃダメって、前にお伝えしましたよね?」

「いやだから俺は」


 まるで小さな子を叱るようなステラと、見苦しく抵抗するラズワルド。

 シュニーは二人のやりとりを少々意外に思いながら見ていた。

 昨日話した雰囲気では弱気なステラがガラの悪いラズワルドに引っ張られているような空気を感じたが、どうやらそう単純でもないのだろうか。


「……ラズくん?」

「チッ……」


 決着は、名前を呼ぶだけの短い一言でついた。

 ひぇ、と部外者であるはずのシュニーが竦み上がってしまう笑みだった。

 にっこりとした素朴で可愛らしい表情のはずなのに、なんだか異様な圧がある。

 観念したように舌打ちし目を逸らしながらも、ラズワルドはステラに肩を預けていた。


「ごめんなさいシュニー様。改めてお聞かせいただいても大丈夫ですか?」

「あ、ああ。ボクにも責任の一端はあるだろうからね」


 先のラズワルドに対してではない純粋に優しい表情だったのに、シュニーは思わず後ずさってしまった。

 その行動の意味がわからず首を傾げているステラへと、誤魔化すように経緯を伝える。


 大猪に襲われて戦った際にラズワルドが傷を負った。

 止血はしていたし帰り道も普通に歩いていたから大丈夫そうとは思ったが、予想以上に重傷だったのかもしれない、と。


「キミの従者の武勇に感謝を。業腹だが、ボクも助けられた結果の傷だ」

「ふふ、こちらこそありがとうございます」


「俺に直接言えや」

「やかましいな平民風情が」


 ステラに謝意を伝え、尤もな正論を言ってくるラズワルドの言葉を切り捨てる。

 シュニーが本人に直接伝えなかったのは、ささやかな敵愾心と気恥ずかしさからだった。

 性格が合わない以前に、なぜだか本能的に対抗心のようなものを抱いてしまうのだ。


「……平民か」


 このまま口喧嘩じみた流れになると思っていたシュニーは拍子抜けしてしまう。

 ラズワルドが引っかかったらしいのは、シュニーの予想と違う箇所だった。

 けれどただ呟いただけで、それ以上何を言うでもない。


「そうだ、今日の文字教室はお休みしなきゃですね」


 はっと何かに気付いた様子のステラが、ふたりの間に流れた形容しがたい空気を破った。

 聞き慣れないワードに、自分ではなくラズワルドに向けたものだろうとシュニーは判断する。


「あ? 別に軽く休みゃいくらでも……」

「少なくとも三日くらいは絶対安静です。いいですね?」 

「……オウ」


 再び無理を押そうとするラズワルドを、ステラが二度目の笑顔で黙らせた。


「文字教室とは一体?」


 いくら性格が合わないとはいえ、共に死地を切り抜けた相手である。

 そろそろいたたまれなくなってきたシュニーはステラの興味を逸らそうと試みる。


「あ、そうです……!」

「……そうなっちまうか」

「ど、どういう事なのか説明してくれたまえよ」


 効果は劇的だった。

 劇的過ぎて当のシュニーが困惑する程に。

 ぱぁっと表情を明るくしたステラと若干嫌そうな表情のラズワルドが、同時にシュニーへと振り向いてくる。

 そして。

 

「シュニー様、みんなの先生になっていただけませんか!」


 頼まれたのは、何が何だかよくわからないお願いだった。


 


 時は進み、今現在。

 かくしてシュニーは断るに断れず、子供たちに文字の読み書きを教えていた。


 バルクハルツ帝国の識字率は、まだ他国が健在だった時代のそれらと比べてもなお高い。

 貴族を初めとした上流階級なら家の教育で、都市には帝国学校が、そうでなくとも聖教会が布教の一環として、というように様々な場所で学べる体制が整っているからだ。

 しかし貧しい辺境の地であれば例外も存在する。

 今のスノールト領は、その例外に当たる土地だった。


 教育機関もなければ、教会に余裕もない……かは定かではないが、少なくとも学校としては機能していなかったらしい。

 結果、この町の子供たちは十分に文字を扱うことができていないのだ。


「分断の弊害なのだろうな」


 今まではあまり表出しない問題だったのだろう、とシュニーは己の知識から推測する。

 スノールト領は流刑地という特殊な立ち位置にある土地柄、外部から流入してきた人口が多い。

 そのため、ここを訪れた時点で既に他で教育を受けた教養のある大人が多数なのだろう。


 しかし子供は皆が皆そうともいかない。

 大人から別れこちらの町に移り住んだ子供たちには、文字を学ぶ機会が無かった、あるいは中途半端で終わってしまった者も多いと思われた。


「『お父さんウサギは言いました。食べ物をたくさん用意しておこう』。さっき説明したこの次の行だが……読める者はいるかい?」


 そんな子供たちがやる気に満ちているのは、きっと良いことだ。

 シュニーが促せば、元気のいい「はーい」の声と共にたくさんの腕が挙げられる。


 シュニーとしては悪くない気分だ。

 最初は自分から聞いた手前断るのも……と仕方なく引き受けた。

 これでもしブーイングでも受けたりやる気の無い者ばかりだったら席を蹴って立ち去ってやる腹積もりだった。


「キミが早かったな。二列目のボクから見て右から二人目……ええっと」

「アンネでーす!」


 名前を覚えられていないシュニーを待ちきれないように自己紹介して、小さな生徒が立ち上がる。

 たどたどしい、けれど溌剌とした声で字を読み上げていく姿に、シュニーは頭の片隅で考える。


 随分と楽しそうに勉強をするのだな、と。

 思えば、シュニーの境遇はここの子供たちとは真逆だ。

 いくらでも学べる環境があったにも関わらず、最低限以外は面倒だからと拒絶していた。

 もう少し真面目に取り組んでいたら領主としての生活が楽になったのかもしれない。いやそもそも、この地を訪れていない可能性が高いか。

 かつての自分を叱りつけたい気分になるシュニーだったが、一方で否定しきる事もできない。

 面倒なものは面倒なのだ。やりたくないのだ。

 きっと万人がそう思っている、というのがシュニーの持論だ。


 今やっている読み書きの先生だって、面倒だと感じていないかと言われれば嘘だ。

 とっとと部屋に戻って寝たい。


 けれど人は、そんな欲望を押しのけて面倒なことをする。

 どうしてなのかといえば、そうする理由があるからだろう、とシュニーは考えている。


「『そして、ふゆがきました』。……かんぺきでしょ!」

「ああ、間違えていない」


 文字を覚えるという過程を面倒とも苦とも思っていなさそうな笑顔。

 それはきっと、新しい知識を得るのが、できなかった事ができるようになるのが嬉しいから。


 自分がこうしてわざわざ庶民のために読み書きを教えているのは、断り辛い話の流れだったから。

 ……ただ、最低限の義理は果たしたとばかりにさっさと終わらせなかったのは予想以上の熱意に負けたからかもしれない。


「さて、暗くなってきたからこのくらいにしておこうか。どうだい、ボクの教えは。ラズワルドよりもずっと上手かっただろう?」

「えっ」

「……あー、うん?」

「そうといえなくもないこともないかも?」


「この愚民どもが!!」


 最終的には恩を仇で返された気がしないでもなかったが。

 こんな無礼な領民たちより領主が怠惰というのも、格好がつかない。

 元の町の方に帰ったら領地についての勉強をもう少し頑張ってみるか、と少しだけ奮起するシュニーであった。





「あっ、ちょっと待ってください! 教えてほしいところが!」


 授業が終わり解散し、机と椅子が片付けられていく。

 青空教室から交流のための集会所へと様変わりしていく広場を背にして、シュニーは城に戻ろうとしていた。

 そんな、ようやく部屋で休めると安堵していたシュニーの下に、教科書にしていた童話の本を持って駆け寄って来た人間がひとり。


「手短に頼むよ」


 なんだかんだ悪い気分はしていなかったシュニーは了承し、生徒の顔を見ないままに本を見た。

 ところどころに書き込みがしてあり、几帳面な性格が伺える。

 指でなぞられた部分を目で追えば、確かに苦戦しそうな部分だった。

 貴族としては当たり前の教養だが、庶民にはあまりなじみの無い文法の部分だ。

 シュニーは答えを教えようと顔を上げ、


「ああ、これは確かに庶民に馴染みのある単語ではな、い……?」


 相手が誰なのかを見て言葉を詰まらせた。


「どうしましたか、シュニー様」

「いや、そういえば疑問に思っていたのだがね」


 ここの子供たちはよく言えば溌剌としていて、悪く言えば生意気だ。

 シュニーを容赦なく呼び捨てにしてくるし馬鹿にもしてくる。何度怒りをこらえたことか。

 様付けでシュニーを呼ぶ人間などひとりしかいなかった。


 よくよく考えれば疑問だったのだ。

 なぜこの町で最も識字の勉強など必要なさそうな人間が混じっていたのか。


「ステラ、どうしてキミまで授業に参加していたんだい……?」


 困惑するシュニーの視線の先。

 そこには、恥ずかしそうに微笑むこの町の姫様が立っていた。

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