第14話 優雅に食料調達できるかな(前編)

 シュニーの朝は遅い。

 ここ数日は環境の変化もあり日の出と共に起きる健康的生活を送っていたが、本来の彼はとっても怠惰な人間である。

 家族で朝食を取る時間になってようやく布団から出るのが今までの日常だった。


「むにゃ……ふふ、わざわざ会いに来てくれたのかね?」


 なので彼は今、存分に惰眠を貪っていた。精神の上げ下げが著しく、疲労が積もっていたのも大きい。

 突然誘拐され領民も領地も分断状態にあるという衝撃の事実を知り、さらには領主の地位を譲るように要求される。夜には思わぬ入浴と会えると思っていなかった少女との邂逅で舞い上がった。


「えっ……いや……ち、違うのだよ……これは別にキミを軽んじているわけでは……」


 しかし最終的には、大変不名誉な誤解を受け必死に言い訳する羽目に。

 現在悪夢としてフラッシュバックしている程度には、ダメージが大きい出来事だった。


「……いつまで寝てんだテメェはよ」

「はうあっ!?」


 そこで執事の優しいモーニングコールではなく、ドスの効いた不機嫌な声がシュニーを叩き起こした。

 ある意味では救いの手だったのかもしれない。


 間の抜けた声と共に飛び起きたシュニーが慌てて周囲を見回せば、そこは夢の中の豪邸ではなく粗末な一室だった。

 壁に絵画は飾られていない。

 壁の大部分を構成している木材は塗装なんて手の込んだ加工はおろか、ささくれも取り切れていない。


 さらには意識しないようにしていたが、背中がちくちくする。

 ベッドの材質が原因だと思いたかった。虫が湧いていて刺された、なんて理由が判明した日にはシュニーの精神状態は危険水域にまで突入するだろう。


「……はっ」


 そして何より、自分を起こしに来た相手にシュニーのテンションはだだ下がりである。

 赤髪の少年、ラズワルドがシュニーの奇声を鼻で笑う。


「すまないね! 賊に寝込みを襲われたと勘違いしてしまったものでね!」


 彼の領主を領主とも思わない無礼な態度に、シュニーは嫌味で返す。

 ラズワルドとの応酬で、ようやく現実に思考が引き戻されてくる。

 領主の地位を譲るつもりはない。

 昨日、シュニーはラズワルドと彼の主でありここを治めているという少女ステラにそう言い切った。

 

 最悪強硬手段に出てくるかもしれないと覚悟を決めていたし実際ひと悶着あったが、最終的な落着は『すぐに結論を出せる話じゃないだろうから、ここの暮らしを知ってからゆっくり考えてほしい』という提案だった。


「寝ぼけてんじゃねえぞ。おら、とっとと準備しろや」

「……何のだい?」


 寝ぼけているというか実際に賊めいたやり方じゃないか、とシュニーは内心で独りごちる。

 譲歩しているように見えて、そうではない。


 そもそもの領主を譲れという要求自体が無茶苦茶な上、無理やり連れてきておいて帰るという選択肢も与えられていないのだから。

 弱気な雰囲気に似合わずしたたかなやり口じゃないか。

 ステラをそう評価しながらも、シュニーは彼女の提案を受け入れた。

 民の生活を見て、現状と問題点を理解する。それがシュニーが決めた、領主としての最初の仕事だ。

 少々特殊な事情はあれど、ここも治めるべき領地には変わりない。

 なのでこれは、ある種の視察なのだ。


 そう、シュニーは我が身可愛さではなく領主としての使命感から今の選択を取ったのである。

 本人的にはそう主張したいところだった。


「メシ獲りだよ。もちろん手伝ってもらうからな」

「てつ、だう……?」


 ただ、自分が働く可能性については全く考慮していなかったが。




「ほ、ほっ……ほんとに入るのかい? 正気とは思えない……!」


 冬の川はとっても冷たい。

 シュニーは今日、人生で初めてその事実を知った。


「正気に決まってんだろ。他の連中見てみろ」


 川岸に行儀悪く座っているラズワルドが顎で指し示す先では、子どもたちが浅瀬を駆けていた。

 きゃいきゃいと楽しげに悲鳴を上げているあたり、皮膚感覚を失っているわけではないだろう。

 

「この寒さだぞ!? もしや彼らはああ見えて人間ではないのかね!?」

「じゃあなんだと思ってんだよ」


 知識として冬の川が間期のそれよりも冷たくなるのは理解していた。

 それくらいの常識はシュニーにもある。

 だが実際に体験したことがあるわけではない。


 シュニーの生まれ育った帝都の生活用水は、都市周辺の大河を水源としている上水道によって供給されていた。

 さらにその水は使用する前に各家庭で熱術、浄化術といった措置が施される。

 これらの魔術を自動で行使する術具も存在しているが、非常に高価だ。


 古くから研究が進んでいる熱術による温水の供給など例外もあれど、一般家庭には最新科学と魔術理論の複合体であるそれらを買う余裕など無い。

 そのため生水をそのまま利用するか個々人が魔術や神秘術を用いて対応するのだが、公爵家ともなれば話は別である。

 シュニーは年中いつだって、衛生的かつ用途に応じて温度を調整した水を利用することができていた。


 なので、冬の川を流れる水がどのようなものなのか実際に体験するのは初めてだったのだ。

 別にご大層な話ではない。

 世間知らずのお坊ちゃまが自然の洗礼を受けているだけである。


「……氷魔?」

「ぶっ飛ばすぞテメェ」


 つま先で水面をつつきながら、シュニーは冗談半分真面目半分で呟く。

 こんなものに耐えられるのは、“冬”より出でてくる冥府からの使者、氷の魔物くらいに違いない。

 半分だけとはいえそのような馬鹿馬鹿しい仮説を真剣に考えてしまう程度には、耐え難い冷たさだった。


「うわぁ」


 バシャン、という大きな水音にシュニーが思わず目を向ければ、子供たちが川に飛び込んでいるのが見えた。

 足先だけでも震えが止まらないような水温の川に、全身を浸す?

 想像しただけで背骨が氷に置き換わったかのような錯覚を覚えた。

 今服を脱いで確認すれば全身に鳥肌が立っているに違いない。確かめる気にはとてもなれなかったが。


「……はぁ。マルシナの方に付いていった方がマシだったかもしれない」

「どう見てもテメェに狩りは無理だろ」


 牢獄から解き放たれ、シュニーと同様こちらに一時滞在する運びとなった少女を思い浮かべる。

 薪集めと狩りに山へ、水汲みと食料調達に川へ。

 童話の始まりかのような流れで突き付けられた作業分担だったが、シュニーは川を選んだ。

 熊がよく出るとマルシナに聞いたばかりの山へと行く勇気は出なかった。

 しかしその代償が冷たい川というのも、果たしてこれで良かったのかわからなくなってくる。


「それで、川に入ってどうするのだね。手づかみで捕まえろと?」

「見てりゃわかる」


 ラズワルドに言われた通り経過を眺めていると、子供たちは川底から何かを引き上げていた。

 細長い、枝か何かで編まれていると思わしき籠のような物体だ。

 ひとりでにガタガタと揺れており、水面を激しく叩いて水を飛び散らせている。


「ああ、籠罠か」


 目を凝らしてよく見れば、籠自体が動いているわけではなかった。

 中に閉じ込められた魚が暴れまわっているのだ。

 魚を獲りに行くとは事前に聞いていたが、具体的な方法までは教えてもらっていなかった。

 てっきり釣りか網で掬うかと考えていたシュニーだったが、確かに効率的な方法だ。


「とっとと行ってこい。ここにいてもいい事ねえぞ」

「いやぁ……川に飛び込まなくていいという利点がだね?」


 見苦しく抵抗するシュニーに、うんざりしたような視線が突き刺さる。

 そんな目を向けられても困る。無理なものは無理なのだ。風邪でもひいたらどうしてくれるのか。ボクは領主なのだぞ。

 ぐだぐだと内心でいくつも言い訳をするものの、声には出せなかった。

 どれも短い時間稼ぎにしかならないし、ラズワルドの怒りを買うだけだろうとわかっていたのである。


「……そ、そもそもだ! 川に入っていないのはキミだって同じじゃないか! サボりかい!? ステラに言いつけるぞ!」


 だがあれやこれやと考えていたシュニーは有効な反論にたどり着いた。  

 川に飛び込む子供たちを、シュニーはラズワルドと共に眺めている。

 つまりは、ラズワルドも自分と同類、サボり仲間に等しいじゃないか。

 言いつけるぞ、という脅し文句は我ながらちょっとアレだなと思わなくもないシュニーだったが、一度思いついたからには貫き通す構えである。


「いや、ボクは責めているわけじゃないんだ。キミは平民だがステラの従者だ、他の子供たちより偉い立ち位置にいるのだろう? ならば監督役や見張り役として全体を眺められる場所で待機しているのは正しい姿勢だと思うのだよ。だがそれはボクも同じだと思わないかい? 街の暮らしを知るのは領主の務めだからね。まず初回くらいは現場に混じるのではなく俯瞰して見てみたいのさ。つまりはだ、キミがこうしているのは間違っていないしボクがこうしているのもまた間違っていない。ボクを責めるのは自分がサボっていると告白するも同じだと言いたいのだよ」


 この事実に気付いたシュニーの頭の回転は速かった。

 あと口の回りも寒さに震えているとは思えないほどに速かった。


 詳しく聞き出してはいないが、周囲の反応を見るにラズワルドはここのナンバー2のような立場なのだろう。

 お互い人の上に立つ立場なのだから、サボりというか見張りというポジションでもおかしくない。

 ラズワルドが川に入らないのが正当なら、シュニーが川に入らないのもまた正しい。

 あまりにも小賢しい理論武装である。


「……おう。確かに俺は危なっかしいガキ共の見張り役だ。テメェの言う通りだな」


 ラズワルドの反応は、予想に反して肯定的だった。

 自分で言っておいて、おや? とシュニーは首を傾げる。

 意味わかんねぇ事言ってんじゃねえぞとか逆ギレされるかと思ったが、存外理性的だ。


「んで、テメェも見張りの仕事がいいってワケだな」

「あ、ああ。だいたいその通りだ」


 立ち上がったラズワルドに一瞬びくっと反応してしまったが、言葉自体はただの復唱だった。

 自分だけしゃがんでいるのも居心地が悪い気がして、シュニーも合わせて立ち上がる。


「んじゃ、今から手伝ってもらうか」

「うん?」


 いきなり得物である槍を構え背後を振り返ったラズワルド。

 唐突な動作の意味が理解できないまま、半ば反射的にシュニーも同じ方向へと向き直る。


「ゴフッ、ゴフッ」

「……うん??」


 でかい動物と、目が合った。


 牙の生えた豚のような動物だ。

 イノシシ、という名称は咄嗟に出てこなかった。

 体高だけでシュニーの背丈に近い辺り、相当なサイズである。


「なんだねこれは!?」

「見張り役の仕事に決まってんだろうが。腹減って気が立ってんだよこいつら」


 ラズワルドがシュニーの襟をがっしり掴むのと、大猪が砂を蹴って駆けだすのは同時だった。

 見張り役って、子供たちが溺れないようにとかそういう意味合いではなく──?

 

「あのだね、やはり今から川に飛び込んで──」

「せいぜい頑張れよ囮役」


 結局どっちを選んでも狩りだったじゃないか。

 人生の理不尽を嘆く暇なく、シュニーの身体が宙に投げ出される。

 錆の浮いた槍を構え、目の前の猛獣に劣らぬ気迫でラズワルドが突貫する。


 辺境伯の過酷な視察が、始まった。

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