第10話 どっちが偉いのか一番勝負

 バルクハルツ帝国において、辺境伯は爵位の中でも大公、公爵に次ぐ高い地位にある。

 国土の中央から遠い土地を任せても野心をたぎらせたりしないだろうという信頼と、他国との最前線である上に支援も遅れる危険地域を治められる実力。

 本来であればこれらの条件を満たした者のみが、帝国の防人となる栄誉に浴することができる。

 

 実態はさておき、立場だけ見ればシュニーはとっても偉いのである。

 領主は一地方の王に等しい。中央からの影響が弱い辺境であればなおさらだ。

 少なくともスノールトという領地の中で見れば、並ぶ地位の人間など存在しない。


「す、少し聞き違えたかもしれない。もう一度、名乗ってくれたまえ」

「ご、ごめんなさい……声、小さかったですか? ステラっていいます……」


 そのはずなのだが。


「いやそこではなく。肩書の方だ」

「王族って言ってんだよ。耳に雪詰まってんのか?」


 聞き間違いではなかった。

 ぽそぽそとか細い声のステラに代わって説明したラズワルドは、今度こそ間違える心配のない声量でシュニーに現実を教えてくれた。


「ステラももっと自信持って喋れや。辺境伯如きにぺこぺこと情けねぇ」


 確かに姫と呼ばれていたけれど、まさか愛称の類でなく本当の意味でそうだったとは。

 当然ながら、そこいらの貴族よりも遥かに上の立場だ。

 貴族の中には王族も含まれるため全てがそうとは決めつけられないが、少なくともシュニーよりは明らかに偉い。


「な、ななっ……なんだと!? 尊き御方がこのような場にいるなど聞いていないぞ!」


 本来であれば、言葉を正し非礼を詫びて平伏するのが然るべき対応だ。

 しかし突然の事態に、シュニーは半ば平静を失っていた。


「証拠を出したまえよ、証拠を! もし名を騙るような真似をしたならば、許されざる大罪だぞ!?」

「大罪ですかぁ!?」


 混乱しながらではあったが、シュニーの言は事実だ。

 帝国の威光そのものである皇帝の血筋を騙るのは、その時点で切り伏せられてもおかしくない罪過である。

 だが同時に、先行きによってはシュニーの首も怪しい。


 皇帝の血を騙るのは大罪だ。そして同じくらい、皇帝の血を疑うのも罪深い。

 これでもしステラが本当に皇家に連なる身だった場合、今のシュニーは言葉遣いから発言内容まで礼を失した、で済む域を超えていた。

 どちらが斬首されるかの熱い無礼バトルである。


「しょ、証拠……! そんなの持ってません、ごめんなさいぃ……!」

「やはりか! キミからはボクを越えるような高貴な気風は伺えないと思っていたのだよ!!」


 そして神はシュニーに微笑んだ。

 青ざめてぷるぷると震えるステラに、胸を張ってしたり顔で勝ち誇るシュニー。

 少なくともその表情に、危ない橋を渡ったという焦りはいっさい無い。

 

「いや持ってんだろ。早く見せてやれ」

「……あっ!」

「え゛」


 そして神はフェイントをかけた。

 首元をとんとんと叩くラズワルドのジェスチャーに、ステラがはっと気づいた様子を見せる。

 一転して、シュニーの額からどっと汗が流れ落ちた。

 実のところ内心ではちょっと気付きつつあったのだ。

 あれこれもしホントにやんごとなきお方だったらとんでもない非礼を働いているのでは、と。


「ど、どうですかっ! これこそが──」


 ステラが首にかけていたネックレスを引っ張れば、青の宝石がはめ込まれているエンブレムがドレスの首元から姿を現した。

 鯨と波、海を連想させる美しい意匠だ。

 宝石も一部の島国でしか採掘できない希少かつ特殊な種類のものである。

 王族に受け継がれる宝としては十分な説得力があると見ていいだろう。


 不毛な戦いの終わりを告げる一言は、弱々しくも精一杯声を張り上げるステラから告げられた。


「──ネザーリア連邦の王家印です!」


「……バルクハルツ帝国ではなくてかい?」

「……えっ?」

「あ?」


 そして彼らは、悲しきすれ違いに気付いた。



「ごめんなさい! ごめんなさいぃ……!」

「姫とはそういう意味か、紛らわしい……」


 ステラが顔を真っ赤にしてぺこぺこ頭を下げ、体から力が抜け落ちているシュニーが柱を掴んでどうにかへたり込むのを耐える。

 先の戦いの結果は『どちらも正しい』。

 シュニーの疑念は正しい。ステラは姫ではなかった。

 ステラとラズワルドの主張は正しい。ステラは姫だった。


「紛らわしいのはテメェの方だろ。ここの王家の話ならそう言えや」

「それは……一理あるかもしれないな……」


 ラズワルドの正論をシュニーは渋々と受け入れる。

 尊きお方と言っただけでどこの国の、とは言っていない。

 やりとりを思い返してみれば、たしかに今回の件はシュニーの言葉が足りなかったせいだと言えるだろう。


「話を戻そうか……。ボクに何の用があるんだい?」


 反省しながらも、シュニーは主題を忘れない。

 シュニーの立場を知った上で、彼らはここに連れてきた。

 それはつまり“領主”に用事があったという意味に他ならない。


 最初は不満の捌け口にされるのだと思っていた。

 苦しい生活を強いている領主に対しての、領民の反逆。

 理不尽極まりない話ではあるが、理解はできた。


 現状を見るに、この地の領主は責務を果たせているとは言い難い。

 それはシュニーだけでなく歴代領主の分も合わさった負債だが、積み重なった怒りと憎しみが今の領主であるシュニーに向くのは理屈としてわかる。


 不満を持った連中に散々暴言を浴びせられ暴力を振るわれ、最悪命まで奪われる未来を思い浮かべていた。

 しかしシュニーへのこちらの人々の対応は、それにしては生温い。

 まず新入りかと思われ、権力者だろうステラの元に通された。そもそも、シュニーが領主だと知らない民もいた。

 シュニーの知名度が皆無なのは当たり前だが、それでも害意を向け実行に移す程に憎んでいる相手の顔も知らないとは思えない。


「ここに生きている多くの人は、優しくて素敵な方々です。国を追われたラズく……ラズワルドと私を受け入れてくださいました」

「そうか」


 ステラの言葉にシュニーからの異論はなく、驚きもない。

 まず、優しくて素敵な方々、というのは今のシュニーには是とも非とも答えられない。

 確かに世話になった人間はいるが、それだけで判断するにはまだ領民のことを十分に知らなかった。

 それでもここの民たちの様子を見れば、少なくとも彼女の認識を間違いなどとは言えない。


 もう一つの内容、国を追われたという彼女たちの経緯を端的に表したステラの言は、そうだろうなという納得しかなかった。

 どうして他国の王族がこのような地にいるのかと言えば、それくらいしかないだろう。

 けれど自らこれ以上詮索するまいと、とシュニーは己に誓う。

 今あまり詳しく掘り下げる話でもないし、話がまずい流れに転ぶ不安があった。

 他国の王族という立場に対して、間違いなく無礼にあたる本音が自分の内にある。

 それを表に出してしまえば、話が拗れると自覚していた。


「でも、そうじゃない人もいました。皆さんに厳しくして、辛いってわかってるのに必要以上に取り立てて……。それに加担して、私たちを押さえつけようとする人までいました」


 厳しくする。取り立てる。

 その表現から、ステラの言わんとすることをシュニーは察する。

 恐らく、先代の領主の話だろう。

 同じ立場であるシュニーに気を遣ってはいるが、これまでのごく短い交流でも遠慮がちで控えめな性格のステラが苦渋の表情を浮かべている。

 相当な人間だったのだな、と否が応でも理解できた。


「だから、私たちはこうしました」


 どこか後ろめたさを覚えるような表情だ。

 それきり口を噤んだステラの目線はシュニーから外れ、その背後へと。

 沈黙の中に、子供たちが騒ぐ明るい声だけが小さく聞こえていた。


「ステラ。俺から──」

「……大丈夫、です」


 静寂に耐え兼ねたラズワルドが、ずいと割って入ろうとする。

 だがステラは一度微笑み、その助けをそっと押し返す。


「スノールト辺境伯、シュニー様にお話があります」

「……言いたまえ。領主として、民の嘆願を聞こうじゃないか」


 改めてのかしこまった、シュニーの立ち位置を確認する言葉。

 シュニーは少しだけ考えて、次を促す。

 薄々と、本題が何なのかはわかってきた。

 本来ならばこの時点で踵を返して立ち去ってもいいような話だろう。

 逃がしてくれるかは別だが、心情としてはそうだ。


 こちらがどう感じるかわかった上で、大きく気分を害すると知った上で相手は伝えようとしている。

 敬意を持ったまま、真摯な態度で。

 今から己に乞われようとしているのは、それだけ重いものなのだ。

 ならば、逃げるという選択だけは許されないのだと思った。


「貴方の地位を、私たちに譲ってください」


 たとえそれが、己の存在を揺るがすような内容であったとしても。

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