第9話 もう一つの町
シュニーの目の前には、町があった。
木材や石を雑に組み上げた、家と呼ぶにはお粗末な建造物が何十と立ち並んでいる。いつ崩れるかわかったものではない。
どこで塗料など見つけてきたのか、濃い赤や緑の落書きが無秩序に描かれている様は見ていて気分が悪くなってくる。
おまけに、布地や食器といった日用品から剣や槍といった武器まで、種類を問わず物品が雑に置かれている場所がいくつも。
「なんだ、ここは」
率直に言って、ここを町などとは呼称したくないのがシュニーの本音であった。
記憶にある光景で一番近いのは、社会勉強として父に連れられ遠巻きに見た
犯罪の温床であり、一般民の居住区でまともに生きられない人々が追いやられる場所。
これを見てどう思う、と顔を向けず尋ねてきた父に「このような汚らしい場所は早急に片付ければいいと思います」と嫌悪感を剥き出しにして答えたのを覚えている。
今でもその認識は大して変わっていない。シュニーの美的感覚と衛生観念には全く合わず、見ているだけでぞわぞわと鳥肌が立ってしまう。
「そりゃ勿論、俺らの家に決まってんだろ!」
「びっくりしたかよー!」
誇るように胸を張っている少年の取り巻き二人も、シュニーの意識には入ってこなかった。
こんな場所は人間の住処などと認められない。獣の巣の方が近いだろう。
醜い。見ていられない。
そのはずなのに、目が離せないでいた。
認めたくないその理由は、はっきりとしている。
「誰か服作った子いるー? 朝に鳥捕まえたから肉出せるよー!」
「白麦の種欲しいヤツ! 早いもん勝ちで三人だけな!」
「姫様に納めるの、もう決めたか? ウチは自信作でさぁ! きっと大喜びだぜ!」
「こっちも傑作だが!? どっちが喜んでももらえるか勝負するか? おぉ!?」
ざわざわとした雑多な声が、シュニーの耳を打つ。
ここは『町』なのだと思ってしまった。
貧しくとも汚くとも、明るく気力に満ちた営みがある。
人々が希望を持って生活を送っているように見える。
ただそれだけで、シュニーが先程までいたスノールトの町よりもずっと、ここは良き地なのかもしれないと思えてならなかった。
一体ここが何なのかはわからない。
少なくともスノールト領の中には違いないだろう。
しかし、人々の暮らしも活気も、まるで別の土地のようだ。
加えて、どうにも気になる点が──。
「ただいまーっ!」
思考に深く沈みこもうとしていたシュニーを引き戻したのは、明るい大声だった。
威勢よく声を張り上げ走っていく取り巻きの片割れからは、町の大人たちのような疲れ切った雰囲気は全く感じ取れない。
自分の所属する場所が大好きで、日々の暮らしが楽しい。
そのような溌剌とした雰囲気だ。
「おかえりラルバ! って事はアニキたちも?」
「あっ、向こうにいる! おーい!」
取り巻きの片割れ、ラルバというらしい彼を迎えて住民たちが集まっていた。
ある者は作業を止め、ある者は家からひょこっと顔を出し。
彼らはすぐにラルバに続くシュニーたちにも気付いたようで、手を振りながら駆け寄ってくる。
ほどなくして、シュニー達はすっかりと囲まれてしまっていた。
「おかえんなさい! 大丈夫だった?」
「向こうの人たちにやられてないー?」
「バッカ、アニキがケガなんてするわけないだろ!」
「いちいち大げさなんだよテメェら。散れ散れ」
子供たちが赤髪の少年に次々と声をかけ、少年は呆れたようにすげなく返事をする。
どうやらお互いに慣れたやり取りのようだ。
少年は笑顔ではしゃいでいる子供たちにそれ以上反応を返すことはしていなかった。
「……ん、そっちの子は? 新しく入ってきた子?」
そして子供たちの次なる興味は、約一名の見慣れない人間へと。
「新入り……のつもりはないのだが」
問われ、微妙に答えに詰まるシュニー。
このスノールト領で新たな暮らしを始めたという意味では新入りだろう。けれど、この町なのかなんなのかよくわからない場所の住民になるのかと言われればそれは違う。たぶん。
一体どうしてここに連れてこられたのか、そもそもここがどのような場所なのか説明されない事には何も言えない。
とりあえず説明を求めたい、というのが現在の心境だった。
「散れっつったろ。後で紹介してやるから大人しくしてろ」
シュニーの意図を汲んだ……というよりは単に本人的にうっとおしかったのだろう。
少年のお叱りの威力は絶大だった。
それだけで子供たちは「はーい」と各々頷き、ぱっと散開して元の場所へと戻っていく。
「デイル、ラルバ。道草食ってねぇで行くぞ」
「へーい」
「んじゃまた後でなー!」
シュニーを一瞥し、今だ名前のわからない赤髪の少年が町の一点を指す。
取り巻きの二人は元々知っているだろうから、シュニーに行き先を示すためなのだろう。
存外こちらの事を考えているじゃないか、と偉そうに少年を評価しながら、シュニーはその人差し指の延長線上へと目を向ける。
「……む」
そこにあった物を見て、シュニーは思わず不機嫌な声を零してしまった。
一言で言い表せば『城』だ。
廃材を適当に組み立てたようなお粗末な作りは他の家と大して変わらない。
シュニーの審美眼には適わないごてごてした派手な色合いの装飾も同じ。
だが、規模が全く違っていた。
ここの家は最低限の住居としての機能以外を考えていないのか、数人が寄り集まって寝るだけでやっとと思わしき大きさだった。
けれど目の前の建築物は、面積も高さもまさに小さな城とでもいうべき威容を誇っている。
「ここが君たちの拠点というわけかい?」
「どうだ。テメェの館よりずいぶんと立派だろ」
近付くにつれてさらに大きく感じられるその城を見上げているシュニーに、少年が話しかける。
その声には、微かな喜色が含まれていた。
不愛想で不機嫌で、何より狂暴。短い付き合いだが少年の人格をそう認識していたシュニーは、彼が見せた正の感情を少々意外に思う。
「……まあ、そうだな」
憎まれ口でも叩いてやろうか。帝国本土の高層建築が技術的にも芸術的にも歴史的にもいかに優れているか講釈してやろうか。
反抗心がもぞもぞ内心で蠢いていたシュニーだったが、結局軽い肯定と共に頷くだけで終わった。
シュニーからすれば、目の前の城は殆ど評価に値しない。
技術という観点ではお察しである。
石材を基礎として、高楼の部分は木で組み立てて穴は布で覆っている。材料の加工も雑だ。飾り立てて誤魔化そうとしているが、技術も予算も無い貧民が見栄を張って広げた違法建築そのもの。
では芸術的か、と言われてもシュニーは首を横に振る。
明るめの赤や緑といった濃い彩色は下品にしか映らなかった。バルクハルツ帝国の貴族は一般的に落ち着いた色合いを好み、そこから降って市民もまた似たような感性を持っている。他国ではどうだか知らないが、少なくともこの国で好評を得られる類ではない。
せいぜい前衛芸術として数人の物好きが評価する、程度だろう。
だが、歴史を思ってシュニーは心の内の嘲りを押し留めた。
土台になった建物があるようには見えない。足元の石畳は自作できそうにもないため、廃墟か何かをそのまま利用していると思わしいがそれくらいだろう。ほぼ一から建てたのだ。
元の素材がボロボロなので判別がつき辛かったが、いくつもの修理跡と思わしき部分がある。不格好に突き出したりしている部屋等が伺える当たり、必要性に駆られて後から建て増しした流れが見て取れる。
シュニーに建築の知識は無いが、目の前の城にはここを不法占拠(?)している彼らの努力と苦労が伺えた。
一から何かを積み上げる大変さを、シュニーは覚え始めたばかりだ。
成果を誇りたくなるのは当然だろうと自然に納得がいった。
「……それで。わざわざ領主を呼び出したからには、相応の待遇で迎えるつもりがあるのだろう?」
これまた極彩色で飾られた門をくぐり、城の中へと。
「俺としちゃ適当でいいっつったんだけどな。言っても聞かなくてよ」
「ふむ?」
ぎいと軋んだ音を立てて木の扉が開かれる途中、少年と交わしたやり取りにシュニーは首を傾げる。
シュニーをどう迎えるかについて、まるで少年以外の意思が介在していたかのような物言いだ。
「お、おかえりなさい、ラズ……ワルド。デイルとラルバもお疲れ様です」
意味を問おうとして、しかしその答えは少年が語るまでもなく明かされた。
開かれた扉の先には、ひとりの人間が立っていた。
「そして、フィンブルの町にようこそおいでくださいました。スノールト辺境伯」
この地に来てから初めて見た気がする、上流階級らしいドレス。
短く整えられたくすんだ黒の髪に、丁寧で落ち着いた口調とは裏腹に幼さを感じる小柄な体格と顔立ち。
堂々としよう、と務めているのが見て取れるが、同時に所作や目には隠し切れない弱気が伺える少女である。
「それじゃあオレらは見張りに戻ってます!」
「後で広場の方行ってやってください! 姫様への贈り物がどうとか喧嘩してたのがいるんで!」
騒々しく去っていく取り巻きふたりを、笑顔で控えめに手を振って見送っている少女。
彼女の一言目に、シュニーの中の刺々しい感情は幾分か和らぐ。
歓迎の意思を感じ取れた。
自分を捕らえここに連れてきた少年と違い、敬意がある。
少なくとも直接的な敵意が無いというだけで、ささくれ立っていた心が多少落ち着いた。
「……辺境伯ではなくシュニーで構わない」
しかし一方で、礼を尽くした挨拶をシュニーは素直に受け取れなかった。
脅され連れてこられた当てつけだとか、自分の領地を不法占拠しているかもしれない相手だとかで悪意を持って接したかったわけではない。
ただ、気後れしてしまったのだ。
少女の側へと移動し傍に控えている少年を見るに、恐らく彼女がこの町のような場所のリーダーなのだろう。
まだ何もできていない自分と違って、貧しいながらも民に笑顔と活力のある環境を与えられている人間。
そんな相手から、この地の長と呼ばれるのが恥ずかしかった。
「よろしいのですか?」
シュニーに尋ねながらも、少女の視線はシュニーではなく隣の少年に向けられていた。
本当にそう呼んでしまって大丈夫なのか内内で確認したい、とでも言いたげだ。
「……別に確認取る必要もねえよ。敬意払うような相手じゃねえ」
それに気付いたようで、少年は溜息をひとつ。
相手が違う問いに、首を縦に振って答える。
「ふん、ボクからの慈悲だとも。光栄に思いたまえ」
「ありがとうございます。ではシュニー様、と」
肩をすくめ、シュニーは生意気に少女の問いを肯定し少年の無礼な意見を否定する。
なんとも複雑な感情だった。
気後れしているのは確かだが、かといって下手に出るつもりはない。
己はこの地の領主であり、ならばその地位に相応しい振舞いを、というのはシュニーの意地だ。
「で、キミたちはなんと呼べばいい?」
「……ラズくん、ちゃんと名前言ってなかったのですか!?」
驚きと非難が混じった声に、少年はふいと少女から顔を逸らした。
「驚くべきことにね。なっていない配下を持つと苦労するな」
大いに実感の籠った言葉だった。
流れが向いている、とシュニーもここぞとばかりに便乗して追撃を加えていく。
「しつれいしました……こちらはラズワルド。えっと……」
推定配下の非礼に恥ずかしそうに目を伏せながらも、少女は少年の名をシュニーへと紹介する。
けれど、どこか歯切れが悪い。
「ただのラズワルドだ。姓はねぇ」
口ごもっている少女に、ラズワルドと呼ばれた少年が助け舟を出した。
姓が無い。それが何を意味するのか即座には出てこなかったが、シュニーにはぼんやり思い当たる節がある。
「奴隷階級、というわけかね?」
「ご名答だな。よくもまあ本人の前で言えたもんだ」
「……」
ハッ、と鼻で笑いながらシュニーを睨むラズワルドと、なにも言わない少女。
答えを記憶から引っ張り出し、遠慮なく口にしたシュニーへの反応はそれぞれだった。
奴隷。詳細までは知らないが、一般の国民よりも下に位置する身分。
勉強をサボり気味だったとはいえ、貴族の教養としては特に常識な身分階級についてシュニーがうろ覚えなのは、帝国では既に廃れた制度だからだ。
家庭教師から聞いた話もいまいち実感が持てず、詳しく記憶できていなかった。
けれど、この階級の人間は多くの国で姓を奪われる、もしくは名乗れないという話は朧げに思い出せる。
「まあだから何だという話だけどね」
中央の変化が届きにくい辺境の地で廃れたはずの制度が残っているのはおかしな話ではないだろう。
だから奴隷という存在について、今のシュニーがこれ以上思うことは特になかった。
ラズワルドと少女の明確な上下関係がわかった、という程度だ。
「それで、奴隷を従えているキミは一体?」
「ステラといいます。自分から言うのはお恥ずかしいのですが……」
それよりもシュニーが知りたいのは少女、ステラの立場だ。
領地に恐らく勝手に新しい町を立ち上げておいて姫だとか慕われている彼女は何者なのか。
疑問は尽きなかったが、それはどちらかというと興味本位であって、危機感などの類ではない。
実績はひとまず、ひとまずそっと棚の上に置いておくとして。
自分の方が偉いという事実自体は揺らがないだろう。
辺境伯という立場を超えることなどあり得ないのだから。
「王族、です。一応……」
「うん?」
と、思っていたけれど。
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
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