第4話 選択肢
「んぐぐぐぐ……!」
荷を持ち静かな雪道を歩く。
肉体労働をしながら、自分の領主としての今後について思索に耽る。
重い荷物に困っているであろう老婆の手伝いは、頭を冷やすためにちょうどいいだろうとシュニーは考えていた。
「コシが入ってないねぇ! ウチの弟子といいこれだから最近の若いのはダメなんだよ!」
「ええい、ケチを付けるな! 誰がわざわざ手伝ってやっていると思っている!」
「死にぞこないのババアより貧弱な領主サマだよ!」
しかし、その目論見は始まりの僅か数分で崩壊していた。
これまで面倒事を貴族の長子としての特権で周囲に押し付けてばかりだったシュニーは、自分で重いものを運んだ経験など殆どない。
たいていの事は召使がやってくれたし、弟と妹が喜んで参加していた騎士団の
食料や武器といった補給物資をひいひい言いながら荷車や馬車へと運んでいるふたりを眺めて「よくあんな苦労をするものだ」と呆れていたシュニーだったが、今はただ己の怠惰が恨めしい。
そのせいで、精神的に傷付いている状況でさらに老婆に追い打ちをかけられる羽目になるとは。
もう少し真面目に体を鍛えておくべきだったと反省するばかりである。
「というか、そもそもだ! ボクが手伝うまでもなく一人で持てたのではないのかい!?」
さらにシュニーの声を張り上げさせたのは、目の前の老婆の姿だった。
シュニーが生まれたての小鹿のように震えながら運んでいる荷物を、ニル婆は軽々と担いでいた。
その上、重量を感じていないかのような足取りですたすたと歩いていく。運動不足の若者には追いつくのがやっとだ。
「当たり前じゃないか! アタシを誰だと思ってんだい!」
別に困ってもいなかったのか! 貴女が誰だかは名前くらいしか知らないけどそれを先に言ってくれたまえよ! と思わずにはいられないシュニーであった。
最初の数分で自分の選択を後悔してしばし歩き、そろそろ三十分ほどが経とうとしている。
ただ歩いて移動するだけなら特別長い時間でもないが、重い荷を負いながらとなれば、相応に体力を消耗してしまう。
「まったく鍛錬が足りてないんじゃないかい! アタシがアンタくらいの頃はねぇ……」
「わかった、わかったからもう少し声を小さくしてくれたまえ……朝からこんなに騒いで、皆に迷惑じゃないか……」
なので、大声で言い返す気力も徐々に失せつつあった。
もちろん、領民たちを慮って……という心優しい理由の割合はほんのわずかだ。この口うるさい老婆を黙らせるための口実にしているだけである。
「ああん? 気にする事はないさね」
「いや気にするだろう……まだ寝ている者も多いんじゃないかい?」
周囲に気を利かせられない人間はこれだから……と嘆息するシュニー。
自分の過去の迷惑っぷりはすっかり棚に上げながら。
「いや。この辺にはもう誰も住んでないよ」
「なに?」
しかし次いで語られたのは、シュニーが想定していなかった理由だった。
現在、ふたりは街の中でも(あの寂れっぷりでありながら)最も賑わっている場所であろう中央通りを離れ、家がぽつぽつと並ぶ領地南部の町はずれを歩いている。
崩れて放置されている城壁の向こうに白帽子を被った樹林が伺える、素敵な景観の地だ。
何かが外から襲ってきたらという可能性は考えたくなかった。
「普通に家がいくつもあるじゃないか」
町はずれといっても距離的には出発地点から大して離れているわけではない。
幸い今日の天候は曇りで済んでいたが、シュニーの足首が埋まる程度には雪が残っている。
荷物と環境で足を取られている疲労もあって果てしない距離を旅したと錯覚していたが、よくよく考えればさほど移動していないのだ。
その事実を改めて認識したからこそ、シュニーはこの辺りにはまだ人が住んでいるのだと考えた。
「ちゃんと見てみな。住めるようなトコかい?」
促され、これまで背景程度にしか認識していなかった家々を改めて観察してみる。
ただそれだけで、シュニーの疑問は氷解した。
「これは……」
「耐えられずに出てったヤツ、凍え死んだヤツ。獣だの氷魔だのに家ぶっ壊されたヤツ。理由は色んなのがあったけどね。もう誰もいないんだよ、この辺りにゃ」
家の形をぎりぎり保っているだけの残骸。
骨組みだけしか残っていないような廃墟もある。
シュニーの視界の端にこれまで映っていたのは、人の営みの証ではなく、その名残でしかなかった。
「……バカな。まだ、管理が十分行き届くはずの範囲だろう」
この有様は、シュニーの持つ“町”という概念の常識からかけ離れていた。
率直に言って、シュニーは庶民、中でも貧しい人間を見下している。
下々の者。選ばれし自分たちよりも弱い存在。
それは恵まれた家柄に生まれ上流階級の中で育まれた、貴族なら多かれ少なかれ持っている当たり前の差別意識だ。
「何故庇護されていない……? 衛兵は、それに準ずる集団はどうしているのだ……!」
けれど、彼ら庶民は王族や貴族といった強者に守られるべき存在である、というのもまたシュニーの認識であった。
今シュニーがいるのは、都市の構造でいえば外縁部の土地にあたる。
都市の中心部に並ぶ店や施設を利用するには遠く不便で、外部の過酷な自然に近い立地から獣や悪しき存在に襲われる危険性も高い。
それらの欠点がある分安く家を買ったり借りられるため、このような場所に住む者たちは民の中でも恵まれない層が多くを占めている。
とはいえ、彼らもまた領民には変わりない。
支配者が守るべき者たちであり、シュニーが知る帝都では衛兵の詰め所がところどころにあり警備の眼を光らせていた。
だからこのような有様になるはずがないのだ。なっていいはずが、ない。
「アンタ、領主になってからまだあんまり経ってないのかい? ここの事、全然知らないんだねぇ」
愕然とするシュニーに向けられたのは、慈しむわけでも怒り突き放すわけでもない、ただ平坦な声での疑問だった。
「……そう、だ。何も知らなかった」
貧しい地であるとは、帝都からこの地への出立前日に不意打ちで聞かされた。
寂れた地だとも、厳しい環境の地であるともその時に聞いていた。
実際、シュニーは中央通りの街の有様を昨日今日と見ている。
そして、有力貴族の長子である自分がこんな地を、と嘆いた。
「まさか、民がまともに生きる事すら難しい環境だったなど……!」
けれど、それでも甘かったのだ。
シュニーが治めねばならない領地は、彼が思っていたよりもずっと深刻で、滅びに近い場所だった。
「……聞かせてくれたまえ」
唾を飲みこむ。
考える事を放棄していた。いや、その段階にすらない。
考えるという発想自体がこれまでのシュニーにはなかった。
「この周辺に、取引ができそうな他の村や町はあるかね?」
「あぁ? なんでココが『極北の牢獄』なんて言われてると思ってんだ」
だが、今ここで聞かなければならないのだとシュニーは直感する。
そうしなければ、自分は致命的な何かを取りこぼすのだという嫌な確信があった。
「では、領内に研究施設の類は?」
「はっ。明日のおまんま食うだけでも必死なのにンな事してる暇あんのかい?」
シュニーの質問は、当たり前のように切り捨てられる。
目の前の老婆はシュニーが何の意図を持ってそれを聞いているのかきっとわかっていない。
だが、彼女の回答はこの上なく『領主の提案に対する生の意見』だった。
「……そう、だな」
荷物が重くなった錯覚に、シュニーの体が少し沈む。
ルーカスに失望された訳が、部分的にだが理解できた気がする。
目の前の問題を何も知ろうとしない。
それを解決する過程が如何に困難かも考えずに、理想を語るだけ。
きっと、領主が子供の時点で期待し難いから……というのが全てではない。
現状を認識しているとは思えないその姿勢に、向けられていたのだ。
「いいかい、よくお聞き」
また責められる。恥ずべき無知だと、領主失格だと。
反射的にシュニーは目をぎゅうと閉じる。
「領主でも何でも、勝手にすりゃいい」
「え……」
しかし、ニル婆の言葉はシュニーの予想とは全く違った。
突き放すようで、どこか肯定するかのような。
冷たいようで暖かくて、でもやっぱり冷たいような。
酸いも甘いも嚙み分けてきたであろう老人から伺える感情は複雑で、未熟に過ぎるシュニーには読み切れない。
「今のアンタにゃ誰も期待してねぇんだ。それどころか、ついさっきまでのアタシみたいに存在すら知らないヤツばっかだろうよ。殆どの連中にとっちゃ、領主様なんていないのと同じなのさ」
だから、シュニーはただ言葉の内容に耳を向けた。
侮蔑じみた言は紛れも無い事実だ。
きっと、ここの領民のほぼ全員が新たな領主を知らず、何かしてくれる事に期待していない。
「つまり、今ならどうとでも選べるってこった! 逃げ出しちまったっていい、何食わぬ顔で皆に混じって暮らしてもいい!」
しかし裏を返せば、だからこそいくつもの選択肢が残っている。
国からも家族からも見捨てられたような立場だ。
もはやシュニーの道に口を挟む人間などどこにもいないのだから。
「……もちろん、真面目に領主やったってね。ガキなんだから難しい事考えずにもっと身勝手に生きてみろってんだよ!」
ニル婆の過激な意見に、シュニーははっきり肯定も否定もできていなかった。
身勝手の度があまりにも過ぎる気もするし、言われてみれば確かにそうだとも思う。
「……さて、到着だ。随分とかかっちまったね」
結局明確な答えを出せない内に、制限時間は来てしまった。
不意に立ち止まったニル婆につられて足を止めてしまい、そのせいでシュニーは転びそうになる。
なんとか足を踏み出し身体を支え顔を上げれば、そこには小さな館が建っていた。
数十人でパーティが開ける規模だろうか、と場違いな感想が思い浮かぶ。
今シュニーが暮らしているボロ小屋よりもずっと立派な家だ。
「悪かったな、運動不足の若いので」
「反省してんのなら次までに改善しときな」
「次などあってたまるか! 今度は遣いの者にやらせるとも!」
「おやおや、いつ小間使いなんて増やせるくらいになるんだろうねぇ」
むすっとしたシュニーの文句をニル婆は鼻で笑う。
口喧嘩では全く及ばない。
この性格の悪い魔女のような老婆との実力差を悟り、シュニーはこの話題を打ち切る。
戦略的撤退だ。
「まあいい、失礼する。せいぜい腰を痛めないようにすることだな」
「待ちな」
立ち去るため背を向けたシュニーは、しかし帰路の一歩目で立ち止まった。
呼び止める声にまだ何かあるのかと振り返れば、シュニーへと向けて放り投げられた何かが視界に飛び込んできた。
「うわっ、危ないじゃないか!?」
「お駄賃だよ。試作品の余りだけどね、とっときな」
慌てて受け止めれば、それは金属製の筒だった。
継ぎ目のようなものが上部に見え、取り外せる構造になっているのが伺える。
水筒だろうか。
「……礼を受け取るほど役に立った覚えは無いが」
「暇な帰り道の慰め程度にはなったさね。せいぜい頑張りな、領主様」
今日は踏んだり蹴ったりだ、とシュニーは顔をしかめる。
計画性の無さを再び突き付けられ、弱っていたところに必要も無いはずだった重労働を強いられ、口の悪い領民にいじめられ。
問題はまだ何も解決しておらず、はっきりした答えも出せずにいるけれど。
「……ふん。その領主を暇潰しに使うなど、いつか罰してやるからな」
終わってみれば不思議と、少しだけ平静を取り戻せていた。
少なくとも、また貴族らしい尊大な態度を取れるようになるくらいは。
困っていた(?)老婆を助け荷物を運ぶ。
領地と領民の支配者としてはいまいち恰好の付かない、あまりにささやかな人助けではあるが。
けれど確かにそれが、新任辺境伯が最初に成した仕事だった。
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