第3話 はじまりの失態
「お前さん……もしかして、本当にココの新しい領主なのか?」
「こ……」
この無礼者が。
あれだけ主張していたのに、そこらの庶民ではあり得ない大金を見てようやく信じたとは。
内心にぱっと浮かんだ、半ば口癖になりつつある怒りの言葉を吐き出そうとして、シュニーはそこで声が出せなくなる。
「……そうか。本当に、か」
服飾屋の親父の表情がはっきりと変わったのを、認識してしまったからだ。
ありありと伝わってくる、失望と落胆。
シュニーは心の機微に聡い人間ではない。
今までは公爵家の跡継ぎという立場もあって、相手の顔色を伺う必要もなければわかりやすく悪意をぶつけてくる人間も殆どいなかった。
“達者でな、シュニー。よく働くのだぞ”
けれど、見覚えがあったのだ。
帝都を発つ間際に自分へと向けられた、表面上の激励の言葉と同時に見た顔だ。
一族の面汚しを追い出す段になって隠す必要もなくなり初めて明かされた、シュニーへの偽りなき評価。
「う、ぁ」
掠れたうめき声が、喉から独りでに零れる。
今のシュニーの自己認識は、真逆のふたつに揺れながら成り立っている。
高貴な生まれであり辺境伯、この地の領主なのだという未だ高慢さの残る自負と、それとは真逆の生家から捨てられ民にも認められていない愚者、という卑屈さ。
現状の自分の知識から将来設計を描き、自信満々で民に話した。
だが、その後に見限るような目を向けられた。
これまでのシュニーなら「しょせんは庶民、政治の大局などわからないか」と己を疑いもせず突っ走っていただろう。
だが、今の彼にはそうは思えない。
自分はまた間違えたのだ。己が正しいと思い描いた図は、碌な知識もないであろう領民にあっさり捨てられる程に愚にもつかないものだった。
どこが間違っていたのかはわからないが、きっとそうなのだ。
そう、自信満々な調子から一転して負の思考に陥ってしまう。
「あ、いやびっくりしたぜ! 疑って悪かったなぁ!」
シュニーの顔色が変わったのを察して、己の失態を悟ったのだろう。
親父の表情と言動は、これまで通りの子どもに接するものへとすぐに移り変わる。
「ボク、は……」
これでシュニーが「構わない、許そうじゃないか!」と言えたなら良かっただろう。
事実、もう少しタイミングが違ったなら実際そうしていたかもしれない。
上に立つ者として、鷹揚に構えようと先ほど自分自身に言い聞かせていたばかりだ。
けれど今のシュニーからはそんな余裕は失われていた。
自分が領主だと認識されたなら、民は好意的に接してくれるものだとばかりに思っていた。
しかし考えてみれば、至極当たり前の話だったのだ。
先代領主が愚君だったのか、はたまた行方を眩ませて時間が経っているのかはシュニーにはわからない。
ただどちらにせよ、朝の大通りに活気もない今の有様を見れば、シュニーが来るまでの治世が良いものでなかったのは明らかだ。
だから──
「まさかこんな若々しいとは思ってなくてよ! こりゃあ将来に期待だなぁ! 有望有望!」
──このなんだかんだ親切な民は、新しい領主に期待していたんだ。
ああ、そうか。と、心の内で冷ややかな納得の声が響いた。
きっと、新しい領主を迎えることができれば全てがいい方向に変わるのだ。
そんな夢を見ていたに違いない。
けれど実際にやってきたのは、道理もわきまえぬ傲慢な子供だった。
この地を変えるべく参上した英雄などではなく、ただ追いやられてきただけの無能だった。
彼の失望は、如何程のものだろうか?
「コレは着任祝いとお詫びの品、ってワケで持ってってくんな!」
しかし、まだ成人……十五も迎えていない少年にその感情を向けるのが酷であるのもわかっていたのだろう。
努めて溌剌とした声色で、親父は差し出された金貨をやんわりと押し返しシュニーに手袋を渡そうとする。
「いや……不要だ。生活の糧を無償で奪うわけにはいくまい」
だが、そのフォローはシュニーの心をさらに抉る結果となった。
慌てて隠すように明るく振る舞う、という移り変わりが、最初の感情こそが隠し切れずに出てしまった本心なのだとより強く突き刺さる。
「……失礼、する。時間を取らせたな」
まるで熱を出して意識が朦朧としている時のような、視界がぐにゃりと捩じれる感覚だった。
どうにか絞り出した言葉は、半分以上何を言っているか自分でも認識できていなかった。
場の空気に耐えられず、シュニーは店に背を向けようとする。
「ボクは、キミたちを導けるような立場ではないのかもしれないな」
自己評価が、明確に傾く。
有力貴族の長子。父のように、祖父のように、将来は勇猛果敢深謀遠慮の当主になる金の卵。
十二歳に至るまで抱き続けていた夢想から、一族に名を連ねさせる事すら恥だと思われていた無能へと。
そうして家名を剥奪されて、こんな辺境の地に追いやられて。
けれど、今度こそ頑張ろうと思えた理由があった。
領主としてなら、民に自分を知ってもらえたなら、もしかしたらという淡い期待があった。
最初は認知されていなくとも、皆に名を知らしめればきっと、と奮起した。
それでも、冬のように冷たい現実はシュニーを突き放してくる。
お前は誰からも期待されていないのだ、そう嘲るように。
何かフォローの言葉をかけようとする親父に背を向け場を去ろうとした、その時だった。
「なんだいルーカス、子供いじめてんのかい? そんなだから息子に逃げられんだよ」
凍りついたような空気に、しゃがれた声が割り込んだ。
シュニーと親父が半ば反射的に顔を向ければ、そこには来客がひとり佇んでいる。
雪避けの外套にすっぽり身を包んだ老婆だ。
背は低く、腰は曲がっている。
だがその弱弱しい外見とは裏腹に、鋭い眼光が服飾屋の親父……ルーカスとシュニーへ向けられていた。
「げっ……ニル婆……」
「年寄りをこの寒さの中で待たせるとは、お前さんも随分偉くなったもんだ」
ニル婆、と呼ばれた老婆の嫌味からは、多少なりとも彼女がこの雪の積もった屋外で放置されていた事を意味していた。
途端に、男二人は気まずそうに一瞬顔を見合わせる。
シュニーもルーカスも、先ほどまでの重い空気と精神状態で周囲に意識を向けられておらず、来客の存在に気付かなかったのだ。
「いじめてるってワケじゃねえんだけどさ……いや、うん……それより何の用だ?」
「先月の分の取り立てに決まってんだろ。とっとと出しな」
「ちぇっ……まだボケてなかったか」
そのままやり取りを始める大人達に、どうやら自分は部外者になったようだ、とシュニーは認識する。
もう用は無いためこのまま帰ればよかったのだが、彼は足を止めふたりの会話を聞いていた。
何故そうしようと思ったのかは、自身でもよくわからない。
「ほらよ、纏めて入れといたから。持ってってくれ」
一度店に引っ込んだルーカスが、奥から箱をふたつ抱えて戻ってくる。
ガチャガチャと硬いものがぶつかり合う音が響いているあたり、金属か陶器かが複数入っているのだろう。
大の男で恰幅のいいルーカスだから軽々持てているが、それを受け取る老婆の体格からすれば一抱えはある大きさ。
音から推測される中身からして、恐らく重量も相応にある。
「今店から手離せないもんで、悪いけど自分で運んでくれ」
「やれやれ、仕方ないね」
シュニーの眼前にあるのは、特別な何かがあるわけでもない日常生活の一幕だ。
実際、人が変わっただけで内容は同じようなやり取りを、シュニーはこれまで帝都で何度も見てきた。
毒になるわけでも薬になるわけでもなく、今の不安定な精神状態にいい影響を与えてくれるわけでもない。
それよりも今の自分に必要なのは一人で心を落ち着ける時間だと、シュニーにはわかっていた。
「……ご婦人」
「あん?」
わかっている、はずだったのだが。
「その荷物、重くはないだろうか」
自分でも掴めていない何かの感情に導かれ、シュニーは老婆に話しかけた。
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